舞台中央、わたしとミルフィー王女の動きが止まった事で、少しだけ結界の外へ視線を送る。アーレスは静観している様子。その横に立っているレイと一瞬目が合った。二人とも、見守ってくれている。まだ、魔力も充分ある。左腕のブレスレットに右手を添える。そこに、お姉さまの温かい魔力を感じる。だいじょうぶ、わたしは一人じゃない。
「余所見、している暇はありませんわよっ! 凍てつく刃よ、我が手より放たれん――〝
「――〝
先程放たれた氷の塊よりも鋭利な氷の刃。わたしの掌から放つ爆発で初撃は防い……だめ! 数が多い!
「無駄よ。――〝
放たれた
「くっ……」
右脚首、左太腿、結界で防ぎ切れなかった両脚に無数の傷が走る。飛散した赤い液体は瞬時に凍り付き、無数の傷が凍傷へと変わる。
「そんな結界如きじゃあ、うちの魔法は防げないわよ。終わりよ! 凍結の美学――〝
「え?」
ミルフィー王女が杖を持ったまま両手を地面についた瞬間、掌から放たれた氷が決闘場の地面を白く染め上げていった。空間そのものを変化させる規模の魔法。下級でも中級でもない、上級の精霊魔法だ。
わたしは瞬時に悟った。これは防ぎ切れない、と。このままじゃ駄目だ。ミルフィー王女と対等じゃなければ彼女はきっと話すら聞いてくれないだろう。せめて、彼女とお話がしたい。舞台は白く染め上げられ、凍った大地がすぐわたしのところまで迫っている。わたしは目を閉じ、祈りのポーズを取る。今、わたしに出来る事は……これしかない。
辺り一面、純白の世界。足許から全体まで、冷たく凍てつく氷がわたしの全身を白で染め上げていく。わたしは祈りのポーズのまま凍り付いていき……。
「終わりね! アンリエッタの
本来、相手が戦闘不能なら、決闘は即終了。ミルフィー王女は勝ちを確信していた。周囲の観客は固唾を呑んで見守っている。この場に皇帝は姿を見せていない。氷漬けとなったわたしの姿を視認し、ミルフィー王女は見届け人であるノーブルへ自身の勝利宣言をするよう促した……のだが。
「ノーブル、何故うちの勝利宣言を致しませんの?」
「お嬢様、それは……。まだ、試合が終わっていないからです」
「なんですって!? 見なさいよ! あの氷の彫刻に何が出来るというので……なっ」
そこまで言ってミルフィー王女はようやく気づいた。祈りのポーズのまま氷漬けになっているわたしの左腕。ペリドットのブレスレットが淡い光を放っている事に。その光はネックレスの宝石とも呼応し、同時に明滅しているのだった。そして、わたしが
「なんですって!? どうして、目が……開いて……」
「ふふふ。此処からはわたしの時間のようですね、ミルフィー王女」
お姉さまが届けてくれたペリドットには、聖女としてのお姉さまの魔力が籠められていた。きっと、毎日少しずつ、魔力を籠めてくれていたのだろう。何かあった時のため、このペリドットはお姉さまがずっと前から用意してくれていたのかもしれない。
氷漬けになる直前、わたしの魔力と呼応する事で魔法結界が発動し、わたしの全身を薄い結界の膜で覆うようにして包み込んだ。よって、膜の
「嘘よ! 魔法結界で肉体を覆ったとでも言うの!? あの一瞬で?」
「そうだと言ったら、どうします?」
「じゃあ、こうするわよっ!」
両手を地面についたミルフィー王女が魔力を籠め、流れる氷の奔流がまるで巨大な波のようにしてわたしへ襲い掛かろうとしていた。この時、流石にアーレスが止めに入ろうと一歩前へ出たが、レイが右手を彼の胸元へ出し、制止していた。
巨大な氷の波が襲い掛かろうとしている様子にも動じず、わたしは祈りのポーズのまま、左腕へ力を籠める。今度はレイ。あなたの魔力を借りるわ。
さっきまでのわたしは聖女。そして、此処からは……魔女アンリエッタ。
「――燃えて」
刹那、わたし自身を包んでいた純白も、大地の白も、全てが
アンリエッタ・マーズ・グリモワール。代々聖女として力を継ぐと言われるグリモワール家。お姉さまのミドルネームはミネルバ。それは創世の女神さまの名。わたしのミドルネームはマーズ。それは……火精霊マーズ様の名だった。その意味を、昔考えた事はあったけど、誰も教えてくれなかった。でも、今なら分かる。
――わたしは
純白と紅蓮。白と朱が中央で混ざり合い、氷は一瞬にして融解する。やがて、純白の舞台が灼熱に染まり、地を奔る紅蓮が舞台全体を包み込んでいた。ミルフィー王女は慌ててドーム状の結界を創り出し、自身を覆っていた。
「ふふふ。あれ? ミルフィー王女? どうしたの? もっと氷を出してもいいのよ?」
「あんた……何よこれ!? 駄目よ、これ以上は……魔力が……足りない」
何だか心地いい。全身の血が滾っているような、そんな温もりを感じる。これは、わたしの魔力にレイの魔力が混ざり合って、反応しているんだわ。口づけの時にまるで舌を絡め合ったかのような熱く蕩けるような、昂揚した気持ち。わたしは、軽く身震いしつつ、一歩一歩、ミルフィー王女へと近づいていく。
「何を……する気……!?」
「ねぇ、一緒に。もっと熱くなりましょうよ?」
あら、邪魔な結界は溶かしてしまいましょう。わたしが手を触れた場所から結界は熱でドロドロと溶けていく。結界が溶け落ち、手に持っていた杖を落としたミルフィー王女。そのままわたしが彼女の顔へ手を触れようとした瞬間――
「そこまでです」
ノーブルの合図と共に、それまで舞台を染め上げていた紅蓮の業火は一瞬にして消え失せ、ミルフィー王女の頬へ触れようとしたわたしの左手を包み込むように大きな分厚い手が重なっていた。振り返るとそこにはレイの顔があり、いつもより、何故か真剣な表情でわたしを見つめていた。
「あれ? レイ、どうして?」
「お前の勝ちだ、アンリエッタ」
「え?」
あれ? わたし、今、何をしていたんだっけ? ミルフィー王女の氷を結界で守って、その後、炎で氷を溶かして……。眼前に触れようとしていた王女様の頬。それまでの威勢が嘘のように、ミルフィー王女の全身は……震えていた。
「もう……やめて……」
「え?」
そこに居たのは、
「二人共、魔力を使い過ぎだ。このまま治療室へ運ぶ。アーレス!」
「はい」
どうして? わたしはただ、ミルフィー王女と分かり合うために、決闘を受け入れて、彼女の攻撃から身を守るため一生懸命で……。ミルフィー王女の身を案じつつ、レイの腕に抱かれたまま、わたしもいつの間にか気を失っていた。