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第59話 未来に向かっての退避

◆<アンリエッタside ~一人称視点~> 


 逃亡のタイミングは事前に決めていた。仮に王子と対峙する事があっても、この場で争う事は好ましくない。更には会場で敵対の意思を見せると、それを戦争開始の理由とされてしまう可能性もあった。


 だからこそ、王国の誘いに乗った上でこちらも相応の強さがある事を見せ、大魔女メーテルの杖を奪還した時点で機を窺い退避する。これが当初の計画だったのだ。


 舞台上へ炎が広がると同時、ラーディが魔法結界でエルフィンを覆う。が、興奮気味のエルフィンはラーディを無視し、彼が創り出した結界の外へ出ようとする。


「ラーディ、この程度の炎、結界など要らん。遠雷――サファイア!」


 舞台上へ落ちる轟雷ごうらい。無駄よ、今のわたしにその程度の雷、肩凝りに効く程度の効果しかないわ。


「ふふふ、何かした? 下衆王子」

「き、貴様……!」


「ミルフィーユ、時間だ」

「はぁ~い♡」


 レイが指笛を吹き、闘技会場へ銀色の毛並を靡かせた狼が舞い降りる。わたしとジズが素早く結界へ出来た穴から観客席の最上部、石壁の上へと移動する。わたしは石壁の上からお姉さまへ向け、この日最後のメッセージを伝える。


「聖女クレア様! キュウちゃん……七色鳥、回復させてくれてありがとう」

「そう……やはり。この子の事はご心配に及びません。暫くこちらで看病します」


「うちは必ずあなたを迎えに参ります。待っていて下さい」

「分かりました、ミルフィーユ。わたくしはその時を待ちましょう」


 今のわたしは姿も名も違う。自身の魔力は熱く滾り、闇の魔力によって心の半分は欲望の海に浸潤してしまっている。そんなわたしの姿を見ても、お姉さまはわたしを信じてくれた。離れていても心は通じ合っていた。それが嬉しくて。お姉さまへの気持ちと闇の魔力が混ざり合い、蕩けそうになる。


 でも、わたしはアンリエッタ。お姉さまが真っ直ぐこちらを見てくれている限り、わたしはわたしを保っていられる。


こうして、わたしとジズ、レイはグリモワール王国を後にする。再び笑って過ごせる未来を信じて。



「アンリ、怪我はないか?」

「お陰様で。レイも無事でよかった」


 風魔法で移動していたわたしは王都を出た直後よりサスケへ乗り、レイの背中へ身体を預けた。わたしはレイの温もりを感じながらレイへ〝治療〟の魔法を施す。ルワージュの治療はあくまで応急処置。レイは完治していなかった。その状況下でレイがエルフィンと戦っていたと思うと、胸が締め付けられそうになる。でも、その気持ちはレイも一緒だったみたいで。


「アンリエッタ……無茶しすぎだ。闘技場全体へ及ぼす規模の魅了魔法に、広範囲の上級魔法。母上の杖が無ければ魔力は枯渇し、その場に倒れていた」

「うん……でも、大丈夫。杖が時折語り掛けて来るの。持っているだけで魔力が満ち溢れて、何でも出来るような気がして来るの」

「だが、無茶はするな。その……俺の気持ちが大丈夫じゃない」


 レイは、心配してくれていたんだ。わたしがレイを心配していたように。レイの逞しい背中へ身体を預け、高速移動の中、わたしは感謝の意を彼に伝える。


「ありがとう、レイ」

「俺からも礼を言わせてくれ。ありがとう、アンリエッタ。皆、誰も欠ける事なく母上の形見を取り返す事が出来た」

「ううん……わたしはただ、必死だっただけ」


 レイの事、杖の事、お姉さまの事。起きている事をなんとかしようと精一杯だった。レイも、お姉さまも、みんなわたしの事を信じてくれている。それだけでこの先もなんとかなる。そう思えて、胸の内からこう熱い気持ちが……勇気が沸いて来るんだ。


 レイとわたしの会話が落ち着いたところで、風を纏ったままサスケの背中を追っていたジズがわたし達と並走する形で横についた。


「報告します。残ったララを含む、王国へ忍ばせた密偵達は任務を終え次第、我々を追って帰還します。事後処理は彼等にお任せください」

「嗚呼、頼んだジズ。苦労かけたな」

「いえ。それからアンリエッタ様」

「え、あ、はいジズ」

「あの魅了魔法で何を・・仕掛けたのですか?」


 嗚呼、あの時か。エルフィンとレイがやり取りしていた際、わたしが仕掛けた魔法の事を言っているんだ。わたしはレイとジズへ説明する。


 杖を持った直後より、時折誰かの記憶が流れ込んで来るかのように〝大魔女の杖〟の知識がわたしへ送り込まれる事があった。上級悪魔ラミアの眷属、夢魔・・。その力を利用し、魅了状態で眠っている人々の夢へ思念を送ったのだ。


 つまり、あの時わたしがやっていた事は、眠っている人々の記憶の書き換え。観客達の記憶では、決勝のあと無事に表彰式が行われ、レイは大拍手の中で杖を受け取った事になっている。彼等の脳裏には、王子とレイが握手する映像が焼き付いている筈。


 恐らくこのあと目を覚ました人々は、何事も無かったかのように帰路へ着く。但し、王子や誰かが魔国を敵に回そうとした場合、話は別だ。会議に出るであろう貴族は反対し、他国の王族は魔国が悪いと思わない。王国へ疑念を抱くよう、暗示を掛けておいたのだ。


 お姉さまの周囲に起きていた人は居たが、恐らくそちらも問題無さそう。何故ならば。


「ジズ、お姉さまはあの後、会場から消えたのね」

「はい、密偵の報告によると、あの女刀剣士、サザメによるサザナミ流影踏術えいとうじゅつによって消失しました。あの場に居た数名と、七色鳥レインボーバードも恐らく一緒かと」

「そう、お姉さまが王子は危険だって……気づいてくれたのなら嬉しいな」 

「アンリエッタの姉が動くのならば、王族や貴族の悪事を暴く絶好の機会かもしれん。魔国へ帰り次第父上へ報告し、こちらも準備しよう」

「ありがとう、レイ」


 王家と貴族の悪事を暴き、グリモワールの罪もない民を救う。本当の意味でお姉さまを救う準備が整ったと言える。王国がこのまま何も動かない事はないと思うけれど、今回の王国潜入は成功だったと言えるんじゃないだろうか?


「そうと決まれば、早く魔国へ帰って、一度お祝いしましょう。そうだ。ミルフィーにもお礼を言わなくちゃだ」 


 ミルフィーの魔力が無ければ、そもそも〝魅了〟魔法なんて使えず、今回の作戦は成功しなかったのだ。帰ったらいっぱい感謝しないと。


 こうしてわたし達は王国潜入の成功を喜びつつ、魔国への帰路につく。


 この時のわたしは、このまま全てがうまくいくような気がしていた。


 魔国の地へ足を踏み入れる迄は―― 


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