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第62話 絶対に死なせない

 魔竜カオスドラゴン――存在そのものが厄災とされる闇のドラゴン。周囲へ巻き散らす妖氣エナジーだけで植物及び生物は腐敗し、大気は汚染されると言われている。グリモワールに住んでいたわたしでさえ名前は本などで見聞きした事がある最狂の魔物。


 魔竜をどうするかは後だ。まずは皆を助けないと。


 医療部隊の人から簡潔に話をしてもらい、状況を分析する。爪による傷はどうやらアーレスとミルフィーの二人だけ。他の重傷者は魔竜の火焔吐息フレイムブレスによる火傷、圧縮された闇の魔力そのものを吐息ブレスとして放つ混沌の吐息カオスブレスと濃縮された妖氣エナジーへ触れた事による皮膚の融解。中には残念ながら手脚の一部が溶け落ち、欠損しているものの居た。


わたしは両膝をついてその場で祈る。

「この者達へ女神ミネルバさまの祝福を」


 光の粒子がわたしの手から舞い上がり、静謐室全体へと広がっていく。横たわる者達全員へ粒子が行き渡り、傷ついた身体を包んでいく。元々妖氣の影響を受けない静謐室だが、既に体内へ侵食した妖氣エナジーは別。それを浄化した事で、妖氣エナジーによるこれ以上の浸食は抑えられる。


「あの! ありったけの池の水を汲んで来て下さい。わたしが以前精製した聖水も妖氣エナジーの回復薬に使えます。わたしがミルフィーとアーレスに集中している間、他の方々をお願いします」

「承知致しました」

「水は俺も汲んで来よう」


 待機していた者数名が部屋を後にする。それまで黙って様子を見ていたレイも手を挙げてくれた。静謐室を出る直前、レイはわたしへ振り返り、ひと言。


「妹とアーレスを頼んだ」

「ええ、勿論」


 レイの背中を見送ったわたしは、医療部隊の方々へ指示をする。特にアーレスは侵攻を止める魔法に加え、爪痕へ聖水を染み込ませた布を当ててもらうよう伝える。


 そしてわたしは、ミルフィーの身体へと向き直る。魔竜の爪痕へ手を当て、魔力の鼓動を聞く。〝浄化〟の光がじんわりと右太腿全体を覆う。「ぅう……っ」とミルフィーが呻き声をあげる。


「ごめんっ、痛くしないから。もう少し我慢して」


 まずは右脚全体へ広がる妖氣エナジーを取り除く。魔力の循環で身体へ侵食している妖氣も。そうしなければ右太腿が壊死してしまうし、体内へ留まる妖氣が黒い靄のように邪魔し、魔竜の毒を見定める事が出来ないから。


 早く繊細かつ、より正確に ――

医療部隊の方々が魔法陣で侵攻を止めてくれていたのでよかった。ミルフィーの体内に留まる妖氣が〝浄化〟され、ようやくわたしの治療が毒の成分へと行き当たる。


「痛っ!?」


 嘘っ、〝浄化〟の光が弾かれたっ!? 


 わたしへ何かが襲い掛かるような感覚を覚え、ミルフィーの身体から手が引き剥がされてしまった。カオスドラゴンの毒……正体は何なの? 皮膚の融解は起きていない。壊死へ近づいていたのは恐らく膨大な妖氣のせい。ミルフィーの身体へ触れる。神経も正常……体内を循環する毒を取り除くには……。わたしは胸元に煌めくペリドットのネックレスを左手で握り、右手をミルフィーの胸へそっと当て双眸を閉じ、祈る。


「かはっ!」

「ミルフィー!」


 ミルフィーが吐血する。急いで彼女を横向きに寝かせる。吐血した血液へ手を近づける。違う。血を媒体として循環している訳ではない。白衣をずらし、胸元へ直接耳を当て、彼女の魔力を自らの肌で感じる。そうか……やはりだ。


 魔竜の毒は、彼女の魔力・・を媒体として侵食している――


「うぅ……アン……ッタ。もういいわ……今まで……ありがとう」

「っ!? 何を言っているの、ミルフィー! あなたに話したい事がいっぱいあるの! あなたは絶対に死なせない! グリモワールでも何度もあなたに助けられたの! フルーツタルトも食べに行くんでしょう! 待って。すぐになんとかするからっ」


 毒が強すぎて〝浄化〟が通じないんだ。ならば〝浄化〟の光でこれ以上の侵食を強制的に抑えつつ、強硬手段に出るしかない。左腕のブレスレット。ミルフィーの魔力が入ったペリドットへ力を籠める。左眼に冷たさを感じ、わたしの双眸が朱と蒼へと変化する。


 そのまま左腕をミルフィーの胸元へ当て、力を籠める。冷たくも奥底に優しさを持ったミルフィーの魔力。彼女を知っているからこそ、彼女の魔力の流れは分かる。そこに侵食する悍ましい何か。これは……激しい憎悪だ。魔竜の憎悪、怨嗟。何にそんなに怒っているのか、毒に籠められた呪詛。これだ……こいつを強制的に引き剥がす!


 自身の中にある彼女の魔力とミルフィーの体内なかにある魔力とを呼応させ、ミルフィーの魔力を入れていたペリドットへ魔力を強制的・・・に毒ごと吸い出し、閉じ込める。


「アンリエッタ様! 今ミルフィー様の魔力が無くなったら……彼女の体力が持ちません」

「分かってる、ちょっと黙ってて!」

「申し訳ございません」


 心配し、狼狽している医療部隊の者を一喝し、わたしはミルフィーの魔力へと集中する。ミルフィーの身体の魔力が減っていく。このまま彼女の魔力がゼロになれば、恐らく魔力を媒介にして体内の臓器を冒していた毒により、彼女の心臓が止まる。でも、わたしがそうはさせない!


「もう少し、もう少しで終わるからね」

「……………タ」


 やり方は知っている。だって、何度も直接触れて来たから。自身に眠る闇の魔力を媒介とし、ミルフィーの魔力とわたしの魔力を身体で混ぜるイメージ。そして、その魔力を一点に集中させ、彼女の美しく艶やかな髪へわたしの両手を添える。そして……。


「ミルフィー、大好き。あなたはわたしが死なせない」


 ミルフィーの柔らかく潤った口元へわたしの口元を重ねる。ミルフィーを肌で感じ、そのまま折り重なるように創り出した魔力を彼女へ注ぎ込む。彼女の心臓が跳ね、全身が一瞬ビクリと痙攣する。左手を再び胸元へ当て、ペリドットで毒を吸い出し、に身体で教わったやり方で拒絶反応が起きないように優しく、じっくりと魔力を送る。


 一瞬、ミルフィーが双眸を見開いた……ように見えたけど、そのまま彼女は双眸を閉じた。どうやらそのまま眠ってしまったよう……。全身を覆っていた熱は冷え、彼女は落ち着きを取り戻す。そっと彼女の口元から顔を離し、起き上がったわたしは、そっと息を吐く。


「もう……だいじょうぶ」


 安堵の溜息が周囲から漏れる。そのタイミングで誰かに肩をそっと叩かれる。


「妹を助けてくれて、感謝する」

「レイ」




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