背後に立つレイの顔を見てわたし自身も安心したのか、ほっと胸をなでおろした。
「あとはアーレスだが、アンリエッタ。今のやり方、魔力を強制的に引き剥がせばいいんだな?」
「ええ。〝浄化〟の光で毒の侵攻を止めて、毒に冒された魔力を対象から引き剥がして同時に注ぎ込まないといけない。でも、わたしはアーレスの魔力を持っていないから……」
闇の魔力にまだ慣れていないわたしの魔力をアーレスに注ぎ込むと、違う成分の血液を混ぜると起きる拒絶反応と同じ事が起きてしまう。ミルフィーの場合、わたしがミルフィーの魔力を既に体内へ長く滞在させていた事で拒絶は起きなかった。どうすれば……。
「ならば、〝浄化〟の光だけ当ててくれ。アーレスの残りの治療は俺がやる」
「え、でも……残りの治療って……」
え? ちょっと待って。確かにレイって魔力の〝譲渡〟は出来るけど、アーレスとレイがそれは〝譲渡〟という名のキスをするって事……!? でも、そうよね。これは緊急事態だもの。それにレイなら、アーレスのような若くて綺麗な執事さんとキスする絵も美しくて映え……いいえ、そんなことを考えている場合ではないわっ。今は一刻の猶予もないもの!
「分かったわ。
アーレスの抉れた腸の傷はかなり酷かった。医療部隊が展開する魔法陣による闇の制御と先程わたしが振り撒いた〝浄化〟の力で進行を止めているだけ。恐らく魔竜と直接対峙した事により出来た傷。もう時間は残されていない。
「
わたしはアーレスの前に跪いて祈る。わたしの両の掌から〝浄化〟の光が放たれ、アーレスの全身が純白の光に包まれる。光の粒子が傷口から膿のように禍々しく滲み出ていた
「アーレス、俺だ。お前を死なせる訳にはいかない」
レイがアーレスの耳元で話し掛ける。アーレスの双眸は閉じ、酷く魘されたままだが、レイの声に反応したように感じた。このままわたしと同じやり方でレイは治療するのかと思ったんだけど、違った。このタイミングでレイが魔剣を引き抜いたのだ。
「え? レイ?」
魔剣の鋩をアーレスの腸についた傷痕へと当てるレイ。わたしは思わず声をあげるもレイはそのまま言葉を紡ぐ。
「――
突然アーレスの肉体の上に
魔剣で吸収する闇の魔力は魔竜の呪詛に染まった紫黒色。怨嗟と憎悪に染まった闇。
レイの掌から放たれる紫は、宵闇を包む
治療をわたしに任せる事で、レイは魔剣でアーレスの魔力を冒している
「コフっ」
「アーレス!」
アーレスが口からどす黒い血の塊を吐き出し、閉じていた双眸が開く。わたしは休む事無く〝浄化〟の光を当て続け……。
「うぅ……」
「アンリ!」
いま……わたしが倒れちゃダメ!
お姉さま……力を貸して――
わたしの胸元で煌めいたペリドット。淡翠色の光が粒子となり上空へと舞い上がり、まるで粉雪のように静謐室全体へと降り注ぐ。わたしの魔力とお姉さまの魔力とが混ざり合い、〝治療〟と〝浄化〟の魔法が闇を打ち祓っていく。その光景にその場に居た誰もが息を呑み、思わず吐息を漏らす。
「……嗚呼、奇跡だ」
「魔女様……聖女さま……」
アーレスから滲み出ていた
「ははは、留守を任されていたのに……情けないですね……ご迷惑をおかけ……しました」
「アーレス、今は喋るな。休め」
「レイス様、アンリエッタ様……ありがとう……ございます」
そのまま安らかな表情に変化したアーレスは眠りについた。
◆
静謐室での治療を終えたわたし達は、ようやくひと息入れる事にした。
待機していたノーブルさんが紅茶を淹れてくれた。紅茶に浮かんだ
ミルフィー、アーレスの治療は一旦終わったものの、完治するには恐らくまだまだ時間を要するだろう。それに、魔力を入れ替えたとは言え、傷痕は残っており、いつ魔竜の呪詛が彼等の体内で復活するか予測出来ない。紅茶の上で踊る薔薇の花弁を眺めていると、レイが昔話をしてくれた。
「アーレスはまだ幼い頃、ノーブルによって連れて来られた。俺が五歳、彼は八歳だった。その頃、周辺諸国との紛争も耐えなくてな。アーレスの故郷は魔の森を超えた先にあったんだが、かつての紛争によって滅びてしまった」
「そうだったんですね」
人間と亜人。違う種族と文化。今でさえ共存共栄の道を歩もうとしているが、いつの時代も争いは絶えないんだ。
「歳が近かった事もあり、俺の世話係としてアーレスは城で生活する事となり、ノーブルの下で学んだ。俺の師が父上なら、アーレスの師はノーブルだ」
「ずっと一緒だったんですね」
この六年後、カオスローディアとグリモワールの戦争が始まり、レイとミルフィーは母シャルルを失う事になるんだ。一体どれだけの哀しみを乗り越えて、彼等は此処に居るんだろう。
「……もう戦争の歴史は終わらせないとですね」
「嗚呼、まずは魔竜を何とかしないと……だな」
紅茶のカップを握り締めたまま、暫く無言になるレイ。こんな表情の彼、初めてみた。彼もいっぱいいっぱい考えているんだ。
「レイ、もう一人で抱え込まないで。わたしが傍に居るから」
「だが……アンリを危ない目に遭わせる訳にはいかない」
「ふふふ、何を言っているの? わたしはあなたのものなんでしょう? それにわたしはもう、魔女アンリエッタよ」
「……すまない」
魔力を大量に消費したせいか、この時のわたしは既に魔力変貌状態から白磁色の肌と銀髪へと戻っていた。でも敢えてレイを心配させまいと、魔女のような口調で微笑んだ。