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第69話 化粧と決意

「ナタリー、お願いがあるの」

「アンリエッタ様、そんな畏まってどうされたのですか?」


 その日、仕度部屋にてわたしの民族衣装メーテを準備してくれていたナタリーへわたしはとあるお願いをする。


「レイと〝契り〟の契約をした時と同じお化粧を、わたしにして欲しいの」

「え? え?」


 ナタリーは暫く首を捻ったり唸ったり左右への移動を繰り返した後、やがて少し頬を朝焼け色に染めたあと、ポンと手を叩いた。


「承知致しました。出発前に……えっと……飛びきりのものを準備しますね。お部屋の香りの準備と……それと、露天風呂のお湯加減、診るよう侍女へ伝えますね」


 何やらナタリーさんが、民族衣装メーテをそっと衣装掛けへと掛け直し、何故か下着を物色し始めた。いつもよりちょっと刺激的な朝から見るにはちょっぴり大人なナイトドレスを探している様子を見たところで、流石にわたしもナタリーの盛大な勘違いに気づいた。


「ま、待って! ナタリー。違うから! わたしとレイは朝からもう我慢できないの♡ って話じゃあないからっ!」


 むしろ今日のお昼から魔竜の洞窟へ向けて出発予定なのだ。洞窟監視のため、ジズの密偵部隊が洞窟近くに現在野営の拠点を作っており、今日はそこへ一泊。明日の明朝、魔竜討伐へ向け、洞窟への進行を開始する予定。


 魔竜討伐の作戦は、流石に潜入するメンバーにのみ伝えていたようで、ナタリーは何も知らなかったようで。盛大な勘違いに気づいたナタリーは……一瞬、時が止まったかのように固まったあと、顔を真っ赤な林檎へ変化させた瞬間、頭頂部から一瞬湯気の塊を出し、ポシュンッ! と弾けた。


「ナ、ナタリーーー!」



「あの……私ったら、朝からはしたない真似を。大変申し訳ございませんでした」

「ナタリー、いいのいいの。わたしも突然説明もなしに〝契り〟の契約の時のお化粧なんて言ったから、勘違いもするわよね」


 ナタリーの誤解を解きつつ、改めて民族衣装メーテを後ろから着せてもらうわたし。


「王国潜入も任務で大変でしたでしょうし、きっとご無沙汰だったんではないかと……ナタリーは勝手に想像してしまいまして……」

「えっと……ご無沙汰でも……なかったかなぁ……」

「ぇえ!? あ、でもお若い男女が同じお部屋で宿泊されたなら……そうですよね」

「まぁ……色々ありまして……」


 そりゃあもう、お肌も健康的にこんがり焼けて、髪が肩まで伸びてレイに近い臙脂色になるくらいに染まり切るくらいには激しく……お肌とお肌を重ね合いましてね……ええ。


「お、久し振りの民族衣装メーテ! やっぱりしっくりくるなぁ~。布もしわなく伸びているし、ナタリーが毎日お手入れしてくれていたのが分かるわ。ありがとう~」

「え? 嗚呼。ありがとうございます。こうしてまたアンリエッタ様に着て貰えてナタリーも嬉しいです」


 無事に話題変更へ成功するわたし。久し振りに身に着ける民族衣装メーテ。すっかりこの魔女の姿にも慣れてしまって、最近は違うローブだと何だか違和感を覚える位になっていた。そもそも、グリモワール王国潜入中は、ほぼ〝常闇の衣〟で身を隠しており、衣の下は中級魔導師が着るようなローブ、ルーズ変装時はルーズの衣装しか着ていなかったわたし。この民族衣装メーテもわたしが還って来た時いつでも着られるようにとナタリーが欠かさず手入れメンテナンスをしてくれていたのが伝わって来た。


 そして、椅子に座ったわたしへ、ナタリーが改めてお化粧を開始する。

今回彼女へあの時・・・のお化粧を頼んだのには理由があった。


「ナタリーには伝えていなかったけれど。これからね、わたし。任務へ向かうの」

「嗚呼、それで」

「レイとの契約の時も、ミルフィーとの決闘の前も。思えばナタリーにお化粧して貰ったなって思って。決意のため、今日はあの時の姿になりたかったんだ」

「そう……だったのですね」


どうやらナタリーも察したみたい。大怪我をしたミルフィーとアーレス。先遣部隊の者達。アーレスとミルフィーについた痛々しい爪の痕。彼等が帰って来た時、ナタリーも大粒の涙を零し、思わず身構えたのだという。そして、その後の侍女同士の会話から嫌でも耳に入って来る噂話から導かれた結論。


 魔竜が復活したという緊急事態――

 そして、それを誰かが討伐しなければならないという事実を。


瞼の上には薄い紫色のライン。頬にはほんのり薄紅色。唇には赤いルージュ。皆の魔力が備わったペリドットのブレスレットに、お姉さまから貰ったネックレス。そして、立て掛けていた大魔女メーテルの杖を手に持つわたし。全身鏡に映る姿はまさに異国の魔女。わたしのその姿に、杖の魔力が一瞬震えた……そんな気がした。


「嗚呼……アンリエッタ様。若き頃のシャルル様にそっくりです」


 全身鏡の後ろに映っているナタリーが口元へ手を当てて、驚いている様子が見える。


「そっか。いよいよわたしも魔女ね」

「おうつくしゅうございます。アンリエッタ様」


「ふふ。そんな畏まらないで。今まで通りでいいのよ、ナタリー」

「ありがたきお言葉。ナタリーは嬉しゅうございます」


 またナタリーが目元を濡らすものだから、慌ててハンカチを渡そうとするわたし。それを静止した彼女は黙って取り出した白地に何か動物の刺繍が施されたハンカチで自身の目元を拭いていた。一瞬、窓から差し込む陽光に彼女の手元が煌めいた。


「あの……アンリエッタ様。絶対、帰って来て下さいね」

「もう、泣かないで。大丈夫。絶対帰って来るから!」


 胸元で光るペリドットを握り、わたしはそう誓いを立てる。そう、わたしは魔女であり聖女。だから、みんなを救う使命があるの。レイも仲間もみんなも。わたしの前では誰も死なせない。


「此処へ来た時よりもっと……何だか頼もしくなりましたね。アンリエッタ様が眩しく見えます」

「もう、そんな大袈裟な。ありがとう」


 いつの間にか、ナタリーもわたしも笑顔になっていた。ミルフィーが回復しないとフルーツタルトも食べられないし、ナタリーの手作りクッキーもまた食べたいし。それに、帰る理由がまた一つ増えた。


「あ、そう言えばナタリー。気になった事があって」

「え? 何でしょう?」


「ナタリー、左手の薬指。指輪、前からしてたっけ」

「え?」


 おや、ナタリーがそっぽを向いたぞ?


「あと……さっきのハンカチの刺繍。もしかして……ケルベロス?」

「いえいえいえ~~わんちゃんですよ~~わたしの故郷の~~」

「頭が三つの?」

「ええ。頭が三つの……」


 次の瞬間、ナタリーの身体が再び時が止まったかのように硬直し、やがて、頭頂部から一瞬蒸気を噴射したかと思うとナタリーという名の赤い果実が弾けた。


 ナ、ナタリーーーー!




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