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第71話 蠢く闇

 サスケの高速移動で魔の森へと向かったわたし達。陽光を遮る鈍色の空は冷たく重く、魔竜復活によって溢れ出た妖氣エナジーによって出来た分厚く覆う鉛雲なまりぐもが、気を抜いた瞬間にもわたしの全身を圧し潰してしまいそうな程だった。洞窟近くに作られた野営基地へ到着した時には、日没前の時刻となっていた。


「よし、到着だ」

「ルーズー、着いたわよ~。って、え? ちょっとルーズ!」


 ルーズがまるで魂が昇天した後の抜け殻のようになっている。嘘!? そんな筈はない。彼女へはお姉さまの〝浄化〟の魔力を譲渡してあるし、サスケとわたし達の身体は事前に〝浄化〟の魔力で創った結界で覆っていた。魔竜の妖氣が幾ら強かろうが平気だった筈!


「ルーズ! ルーズ! しっかりして!」


 わたしがもう一度、ルーズの頬を軽く叩きながら彼女の両肩を上下に揺さぶったところ、白目を剥いて、口から雫を零していた彼女の双眸にようやく光が灯る。よかった。どうやら気を失っていただけで、無事だったみたい。


「はっ!? 此処はどこ? 私は誰? あなたは……アンリエッタ様♡」

「無事みたいね。大丈夫?」

「はぇ? 嗚呼、えっと……アンリエッタ様のその柔らかな肢体と、艶やかな銀髪と妖艶なうなじ辺りから漂うかぐわしき蜜壺のような甘い香り。足許を包む毛布のような銀狼の毛並に、気づけば私。アンリエッタ様と脳内で濃厚で甘い密約の一夜を過ご……」

「はいはーい、それ以上は自主規制にしておいてね~」

「そんなぁ~。私のこのお預け状態な気持ちは……どうなるのでしょうか?」

「野営基地にある燻製肉でも食べて鎮めておきなさい」

「分かりましたぁ~。そこの焚火からお肉の匂いするし、行って来まぁ~す」


 まだ逢ってそんなに経っていないんだけど……。ルーズのお下げが激しく揺れているか、遊んでもらえなかった子犬の尻尾ように重力に沈んでいるかで、彼女の心情がなんとなく分かるようになって来た。これは、わたしの弟子だからでしょうか?


「レイ様。アンリエッタ様。お疲れ様です。魔竜侵攻に備えて、この基地は何重にも結界を張っています。バッファローの燻製肉と猪鍋を準備しております。今夜はゆっくり過ごされて下さい」

「嗚呼。ご苦労だった」

「あ、ジズさん。ちょっと待っててね」


 そう言うとわたしはこの基地を覆うドーム状の結界へ向け、大魔女メーテルの杖を向け、双眸ひとみを閉じる。そして、祈りを籠めて、上空の結界へと魔力を放つ。ジズさんが用意していた透明の結界が波打ち、景色が揺れた後、基地はまた静寂に包まれる。


「何をした?」

「薄い〝浄化〟の魔力の膜を結界へ乗せました。これで万一魔竜が攻めて来たとしても時間は稼げます」

「流石だな、アンリエッタ」


 こんな事が簡単に出来るようになったのも〝大魔女メーテル〟の杖のお陰。〝浄化〟の光を数回放つだけで魔力切れを起こしていたわたしは、ほぼ魔力を消費せずにこの程度の結界を創れるようになっていた。


 結界が波打った事に気づいたのか、密偵部隊の皆がいつの間にか傅き、わたしとレイへ向け片膝を立てる。レイは皆を一瞥し、「おもてを上げよ」を告げた後、彼等へ誓いを立てる。


「俺が来たからには魔竜の侵攻は俺が必ず食い止める。そして、魔竜を御した後、この一件を仕組んだ者を捕え、諸悪の根源を叩く。もう戦いの歴史はこれで終わりだ」

「「「おぉおおおお」」」


 傅く者達から歓声があがる。そして、レイの視線へ気づき、わたしも自ら彼の横へ立つ。


「わたしは次代の魔女アンリエッタ。そして、聖女の血を引く者でもあります。わたしが王子と共に此処へ立った理由は只一つ。此処に居る誰も、わたしの居る前では死なせないためです。絶対にあなた達を護ります。共に魔竜を撃ち、和平の一歩を踏み出しましょう」

「「「おおおおおお」」」


 わたしの言葉により士気が高まったのか、彼等の双眸に熱い意思が灯っていた。今まで、こういう言葉はお姉さまの専売特許だった。でも今は違う。誰も死なせないと誓ったあの日から、わたしは自らの意思で前に出ようと心に刻んだんだ。


「皆、食事の手を止めて、すまなかったな。では、明朝の出発に備え、今は英気を養おう」


 野営地で食べる食事。妖氣エナジーを取り除いたバッファローの燻製肉。少し癖のある、噛み応えのあるお肉。食べて分かる。これは以前食べた魔獣化したバッファローのお肉だって。魔剣で妖氣を取り除き、バッファローへ戻してから燻製肉として保存しておいたもの。思えば初めて食べた魔物のお肉も魔獣化したバッファローだった。肉の味を噛み締めながら、わたしはこれまでの出来事を思い返していた。


「レイ。初めての冒険は、このお肉を食べた後、七色鳥キュウちゃんとの出逢いだったわね」

「嗚呼、懐かしいな」


 魔国でのレイとの〝契り〟の契約から始まり、レイのお父様であるジークレイド皇帝の治療。キュウちゃん、ミルフィーとの出逢い、レイと初めてひとつになった日。そして、王国への潜入。お姉さまとの邂逅。


「まだまだやるべきことはいっぱいあるけれど。早くみんなが穏やかに過ごせる日が来るといいなと思ってるわ」

「嗚呼、俺もだ」


 焚火から少し離れた岩場の上で、これまでの出来事を振り返るわたし達。ふいに視線が重なって、自然に彼の手がわたしの手に重なった。そして、そのままお互いの顔が自然に近づき、彼の吐息がわたしの前髪へとかかった瞬間……。


「アンリエッタ様―、レイス様――、猪鍋をお持ちしましたぁああああ! って、あれ? お二人共、どうかされたのですか?」


 互いに背中を向いた状態で、顔だけを彼女へ向ける姿は先に進行方向へ首だけを向ける鳩のようにも見えただろう。


「んん? 何でもないわよ、ね、レイ」

「嗚呼。猪鍋、いただこうか?」


 ルーズが持って来た猪鍋の入った木製の器と匙を手に取った瞬間、激しい轟音と共に大地が鳴動し、暗転の空が軋んだ。須臾の間にレイの傍へジズさんが既に移動し、彼に報告する。


「監視部隊より報告。魔竜、動き出した模様」

「分かった。皆の者は待機。俺とアンリエッタ、ルーズ、ジズの四名で洞窟へ向かう。アンリエッタ、野営地の〝浄化〟結界を強化してくれ。ジズはララ達部隊へ我々の後方支援を指示。ジョーを報告のため、カオスローディアへ送れ」

「分かったわ」

「御意」


 いよいよ迫る魔竜との死闘。いざ向かうは、混沌と憎悪と怨嗟の根源――魔竜カオスドラゴンの眠る洞窟だ。




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