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第75話 怨嗟と浄化

 眼前に迫る闇の重みを肌で感じながら、わたしは杖で軽く地面を叩く。〝浄化〟の光は 空間の闇そのものを純白へと塗り替えていく。が、混沌の吐息が止まる事はなくわたしの身体を呑み込み、刹那、わたしの視界は黒く染まってしまう。


 と、同時に聞こえて来た脳髄を上書きするように響く声は、世界を恨み、嘆き哀しむ叫声。耳をつんざくその声は、通常なら一瞬にして人間の脳を破壊してしまうだろう。


 ふと、わたしの脳裏に映像が浮かぶ。


 ……人間と同じくらいの蜥蜴型の魔物。数百、数千のレッサードラゴンが大地を歩いている。小高い丘の上に魔竜が立ち、たける。次の瞬間、レッサードラゴンへ向けて炎が放たれ、上空より聖なる光の雨が矢のように降り注ぐ!


 人の者が大地に降り立ち、魔竜の牙と光輝く剣が激しくぶつかり合った。

 そうか……これは魔竜と人間の歴史。

 そう……魔竜は一族を滅ぼされたのね ――


 景色が変わる。脳裏に聞こえるのはかつてのわたしを蔑む声。人を恨め、人を殺せと潜もった声が響く。王子が侍女を抱き、お姉さまとキスをしている。そして、お姉さまの聖女の服が引き剥がされた瞬間、視界は暗転し――


『魔女よ、お前は余とともに人の子を滅ぼせ』


 そうね、王子も貴族もわたしを蔑んだ人達も、みんな人ではないものね。わかったわ、魔竜さん。


「お断りするわ」

『なん……だと!?』


 わたしは双眸を見開いた――


 視界を覆っていた黒い何かに罅が入り、窓硝子が割れたような音がした。

 わたしはどうやら宙に浮かんでいるみたい。何やら下の方で声がする。


「アンリエッタ様! アンリエッタ様!」

「一体、何が起きている」

「レイス様。アンリエッタ様はご無事です」

「よかった」


 みんな心配してくれていたのね。わたし自身が先程放っていた〝浄化〟の光が空間を包んでおり、洞窟内は陽光の照らされた昼間のように明るくなっていた。


 カオスドラゴンがこちらを見上げている。巨大な火球を放つ魔竜。でも、わたしの前で火球はあっけなく消滅する。 


「苦しかったでしょう。全てを恨んで憎んで。かつての人の過ち。あなたは許せないでしょう。でも、わたしはあなたを赦します。人間は過ちを繰り返そうとしている。わたし達は復讐の連鎖を止めにいく。だからあなたも復讐は止めて欲しいの」

『嘗めるな、人間!』


 巨大な翼をはためかせ、突進する魔竜。飛び上がるレイが間に入ろうとするも、レイを尻尾で打ち払い、魔竜の爪がわたしの身体を襲った。はらわたを抉られ飛散する朱の飛沫あかのしぶき。飛ばされ、洞窟上空の壁に激突するわたし。そのまま地面へ落下するかに見えたわたしの身体を何かが支える。


「アンリエッタ様を! 死なせる訳にはいきません!」

「ルーズ!」


 風魔法で飛び上がったルーズがわたしの身体を掴み、地面へと着地する。


「ありがとう、もう大丈夫よ」

「でも、傷が……!」

「結界で覆っている。毒の侵攻はないわ。此処で待っていて」

「アンリエ……」


 ありがとう、ルーズ。これ以上巻き込まれないよう、彼女を結界の障壁で包んであげる。抉られた腸の傷を左手で治癒しつつ、右手で杖を構え、わたしは再び魔竜の下へと駆け出す。空間を〝浄化〟の光で包んでも尚、ひるまない魔竜。この憎しみから放たれる呪詛をわたしが止めるしかない。


 尻尾の攻撃を受けたレイも傷はあるが致命傷は避け、着地していたみたい。ジズさんが短剣で呪縛の結界を発動させた瞬間、わたしは再び上空へと舞い上がる。


「ミネルバ=プリムラよ。希望の光を放ち、咲き誇れ!」

 刹那、それまで呪詛と怨嗟に包まれていた洞窟一面に、白く輝く希望の花が咲いた。




 それは幼き頃の記憶―― 


 豊穣の大地に新緑の芽が青々と芽吹く頃、セイントミネルヴァ山の麓、丘の上から見下ろす一面に、白い綿雪のような花が広がっている場所があった。  


 ミネルバ=プリムラ――〝女神の希望〟と呼ばれるこの花は、セイントミネルヴァ山へ春を告げるこの地にしか咲かない花。幼い頃、よくお姉さまとこのお花畑で遊んでいたっけ。


「出来たわよ、アンリエッタ」

「おねえさま、わたしもできた!」


 クレアお姉さまは花かんむり。わたしはお姉さまへ花の首飾りをそれぞれ渡す。


「ありがとう、アンリエッタ」

「ありがとう、おねぇさま!」


 たとえどんな困難が訪れても、創世の女神ミネルバ様はわたし達の幸せを願い、純白の花弁のようにずっとずっと見守っていてくれている――


 ◆


 だからいま、わたしがこの絶望を希望へ変える――


深淵の闇を希望の花が純白へと塗り替えていき、大地より放たれる神々しい光が魔竜の体躯を包み込んでいった。


「グガギャアア」


 声にならない奇声をあげる魔竜。体躯を包んでいた妖氣エナジーは強制的に引き剥がされ、妖氣エナジーによって護られていた竜鱗りゅうりんが眩い光によって消滅していく。


 ジズさんの光の壁を魔竜が破ったときにはもう遅い。わたしよりも高く飛び上がっていたレイが真っ直ぐに銀刀を振り下ろし、魔竜の頭蓋を貫いた。


「魔国剣戯――竜殺しの太刀ドラグーン=スレイヤー


 レイが魔竜の頭から銀刀を引き抜き、飛び上がった瞬間、竜の頭蓋より噴出した暗緑あんりょく紫黒色しこくしょくの混ざったかのような液体が飛散し、魔竜の叫声が空間へ響き渡る。わたしはゆっくりと魔竜の方へ一歩、一歩近づいていく。


「下がれ、アンリエッタ!」

「レイ、心配ないわ」


そして、暴れ狂う魔竜が首を擡げた瞬間、わたしは魔竜の傷口へ手を当てる。


「魔竜さん、もう苦しまなくていいのよ」


 〝浄化〟の光で魔竜の全身を包み込み、銀刀が頭蓋を貫いた箇所を塞いでいく。怨嗟も呪詛も憎悪も、全てを白い花が受け止め、希望の光へ変えていく。やがてカオスドラゴンの漆黒の体躯から呪われた竜鱗りゅうりんが全て引き剝がされ、銀色に輝く鱗へと産まれ変わっていった。


「こ……これは……何が起こった? まるで全ての闇が解き放たれ、気分が晴れたかのようだ」

「カオスドラゴン……いえ、あなたの新たな真名は聖竜シルバリス。聖女・・アンリエッタによって産まれ変わった聖なる竜です」

「嗚呼。聖女よ。我が余世。全てを其方へ捧げると誓おうぞ」

「ふふ。よろしくね。聖竜ちゃん」


 直接言葉を話せるようになった竜は、首を擡げ、わたしへ誓いを立てる。


 こうして深淵の闇そのものとされた魔竜は消滅し、聖竜へと産まれ変わったのだ。



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