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第38話_境界線上のアリアドネ

砂塵の残響



「また、か……」


fuは、霞がかったモニターに映し出される惨状に舌打ちした。ガザ地区南部ハンユニス。崩壊した民家の瓦礫の下で、救助隊が小さな身体を運び出していく。アルジャジーラTVの速報テロップが、犠牲者数を更新する。少なくとも7名。数字が、血を帯びた現実を抽象化していく。


fuの仕事は、未来の安定を維持するため、過去の重大な事件に介入し、歴史の歪みを修正すること。しかし、現実は複雑に絡み合った糸のようだ。少し引っ張れば、別の場所がほつれる。彼は、そのほつれを最小限に抑えるため、ギリギリの綱渡りを強いられている。


彼が注視しているのは、中東の火薬庫、イスラエルとパレスチナの紛争だ。バイデン大統領が「二国家共存」を唯一の解決策として訴え、イスラエルのネタニヤフ首相にガザ占領の停止を求めている。一方で、イスラエル軍はガザ地区北部のアル・シファ病院でハマスのトンネルと武器を発見したと発表し、一歩も引かない姿勢だ。さらに、国内からもネタニヤフ首相への退陣要求が出ている。


fuは、この状況をエスカレートさせないため、水面下で様々な工作を行っていた。イスラエル軍の過激派グループへの偽情報流布、ハマス強硬派への懐柔工作、メディアへの情報操作。だが、彼の努力もむなしく、事態は悪化の一途をたどっていた。


「やはり、未来の俺(fu)の干渉か……」


fuは、苦々しげにつぶやいた。彼には、現在の自分の行動を妨害しようとする未来の自分が存在していた。未来のfuは、現状維持よりも、より過激な手段で未来を変えようとしている。二人のfuの目的は同じでも、手段が異なる。それが、時空を超えた内戦を生み出していた。


通信パネルが点滅した。過去補填官paからの緊急連絡だ。


「fu、アル・シファ病院の南出入口が破壊されたわ。イスラエル軍のブルドーザーによるものだって」


paの声は冷静だったが、その奥に焦燥が滲んでいた。彼女は、過去の修復を担当するfuのパートナー。情報収集、技術支援、時には感情の歯止め役も担う。


「南出入口? なぜ、そんな場所を……」


fuは、脳内データベースにアクセスし、アル・シファ病院の構造図と、イスラエル軍の行動パターンを照合する。通常の軍事行動としては、不自然だ。何か別の目的があるのか?


「わからない。ただ、状況はかなり緊迫している。ハマスのトンネル発見のニュースも、火に油を注いでいるわ」


「ああ。ラビド前首相の退陣要求も気になる。国内の分裂は、事態をさらに複雑にする」


fuは、思考を加速させる。未来の自分は、この状況を利用しようとしているのか? それとも、別の未来からの干渉も加わっているのか? 


「fu、気をつけて。あなたのタイムラインに、未来のあなたのエネルギー痕が観測された。かなりの高レベルだわ」


paの警告に、fuは身を引き締めた。やはり、未来のfuが動いている。


「わかった。対応する。pa、君は周辺情報の収集を続けてくれ。特に、イスラエル国内の世論の変化を注視してほしい」


「了解。無理はしないで。あなたは、一人じゃないんだから」


paの言葉に、わずかな温かさを感じながら、fuは通信を切った。



深層の糸



fuは、ステルス機能を起動させた小型飛行体「メッセンジャー」をアル・シファ病院上空に派遣する。搭載された高感度センサーが、地中の振動、電磁波、熱源をスキャンし、イスラエル軍の発表の真偽を確かめる。同時に、彼はネットワークに潜り込み、イスラエル軍の通信を傍受。さらに、ハマス幹部の会話も解析していく。多角的なアプローチこそが、真実へと近づく唯一の方法だ。


メッセンジャーからの情報が、次々とfuの元へ送られてくる。地下トンネルの存在は確認できた。規模、構造ともに、イスラエル軍の発表とは食い違う点が多い。偽装工作が行われたかのようだ。


通信傍受の結果も、奇妙だった。イスラエル軍内部には、強硬派と慎重派の対立がある。ハマス内部でも、主戦派と停戦派が綱引きを繰り広げている。舞台役者が台本通りに動いているようだ。誰かが、裏で糸を引いているのか?


fuは、新たな可能性を考え始めた。未来のfuだけでなく、別の勢力もこの状況に関与しているのではないか? イスラエル国内の世論を操り、ハマスをコントロールし、事態を意図的に悪化させようとしている存在。


モニターの一角に、奇妙なノイズが走った。一瞬だけ現れた、断片的な情報。それは、未来の"pa"のコードに酷似していた。


「未来のpa……?」


fuの心臓が、激しく鼓動する。未来のpaが、何故こんなところに? 彼女は、過去の修復を任務とするはずだ。未来のfuに協力しているのか? それとも、全く別の目的を持っているのか?


疑問が、fuの脳裏を駆け巡る。未来のfuとの対立、未来のpaの介入、そして、見え隠れする第三勢力。複雑に絡み合った糸を解きほぐすには、時間がない。このままでは、事態は最悪の方向へと進んでしまう。


「クソッ……!」


fuは、拳を握りしめる。彼は、未来を変えるためにここにいる。未来の自分と対立し、未来のpaの真意を探り、見えない敵と戦う。孤独な戦いが、fuの精神を蝕んでいく。


彼は諦めない。この世界には、守るべき未来がある。無辜の民の命、かすかな希望、平和への道。そのために、彼は何度でも立ち上がり、戦い続ける。



選択の狭間



事態は、刻一刻と変化していく。ラビド前首相の退陣要求は、さらに勢いを増し、イスラエル国内は政治的な混乱に陥っていた。ガザ地区では、イスラエル軍の攻撃が激化。ハマスも抵抗を続け、民間人の犠牲者が増え続けている。


fuは、事態を収拾するため、最後の手段に出ることにした。情報を操作し、イスラエル軍とハマスの双方に誤った作戦行動をとらせるのだ。その隙に、事態を沈静化させるための調停工作を行うこと。リスクの高い賭けだが、他に方法はない。


彼は、メッセンジャーをフル稼働させ、イスラエル軍の指揮系統に偽の情報を流す。ハマスに対しては、穏健派の幹部と接触し、停戦交渉への道を探る。同時に、彼は、未来のpaの足跡を追っていた。彼女の介入が、事態にどのような影響を与えているのか、突き止める必要がある。


fuの工作は、功を奏した。イスラエル軍は、誤った情報に基づいてハマスの拠点を攻撃。ハマスもまた、fuの仕掛けた罠にかかり、停戦交渉のテーブルにつくことを決めた。事態は、ようやく収束に向かい始めたかに見えた。


その時、fuの前に未来のfuが現れる。


「やめろ、過去の俺よ。お前のやり方では、根本的な解決にはならない」


未来のfuの目は、冷たく光っていた。彼は、現在のfuよりも、さらに過激な手段を考えていた。イスラエルとパレスチナの間に、絶対的な壁を築き、永遠に分離させる。それが、彼が考える平和だった。


「お前のやり方では、新たな憎しみを生むだけだ! 二国家共存こそが、唯一の解決策だ!」


fuと未来のfuは、激しく対立する。二人の間には、時空を超えた深い溝があった。背負う未来の重みが、二人の戦いを激化させる。彼らの周囲で、時空が歪み、エネルギーが衝突し合う。宇宙の法則に逆らう禁断の儀式のようだった。


「甘いな、過去の俺よ。お前は、まだ本当の絶望を知らない」


未来のfuが、特殊な装置を起動させる。時空干渉波を発生させ、過去の出来事を書き換える装置だ。彼がこの装置を使えば、イスラエルとパレスチナの歴史は、根底から覆される。


「やめろ! そんなことをすれば、取り返しのつかないことになる!」


fuは、未来のfuに突進する。装置を止めなければならない。未来のfuは、それを予期していたかのように、fuの攻撃を軽々と受け流す。彼は、すでに現在のfuを凌駕する力を手に入れていた。


絶望的な状況の中、fuの通信パネルが点滅する。paからの通信だ。


「fu、イスラエル国内で大規模なデモが発生。ネタニヤフ首相の退陣を求める声が、さらに強まっているわ」


paの声は、緊迫していた。


「どういうことだ? 俺の工作とは違う……」


fuは、混乱する。彼の計画では、イスラエル国内の世論は、そこまで過激化しないはずだった。誰かが、裏で手を引いているのか?


「わからない。どこかに、デモを煽っている勢力がいる。未来のpaのコードに似た痕跡が、そこかしこで検出されているわ」


未来のpa……。彼女が、一体何をしようとしている?


「fu、あなたはどうする?」


paの問いかけに、fuは即答できなかった。未来のfuを止めるべきか? それとも、国内の混乱を収めるべきか? 二つの選択肢は、互いに矛盾していた。


fuの脳裏に、一つの考えが閃いた。これは、未来のpaが仕掛けたゲームなのではないか。彼女は、俺に試練を与えている。最悪の未来を回避するための、究極の選択を。


fuは、深く息を吸い込み、決断を下した。


「pa、俺は未来の俺を止める。君は、イスラエルのデモを鎮静化させてくれ。可能な限り、穏便な方法で」


「わかった。気をつけて。未来のfuは、危険すぎる」


paの言葉を胸に、fuは未来のfuに向き直る。


「もう、やめるんだ、未来の俺。お前のやり方は、間違っている」


「間違い? 何が間違いだ? これは、必要な犠牲だ。平和のためには、時には冷酷にならなければならない」


「違う! 平和は、犠牲の上に成り立つものではない。相互理解と共存の上に成り立つものだ」


fuと未来のfuの戦いは、さらに激しさを増す。互いの攻撃が、時空を切り裂き、現実を歪ませる。fuは、決して諦めない。彼は、未来の自分を説得し、この狂ったゲームを終わらせなければならない。


fuは、未来のfuの背後に、わずかな光の揺らぎを見た。間違いない、未来のpaの存在を示すものだった。彼女は、傍観者としてではなく、積極的にこの事態に関与している。この状況をコントロールしているかのように。


fuは、悟った。これは、単なる未来のfuとの対立ではない。未来のpaとの、壮大な知恵比べなのだ。彼女は、俺に何かを試そうとしている。


fuは、未来のfuとの戦いを続けながら、未来のpaの真意を探り始める。彼女の目的は何か? 彼女の行動原理は? 彼女が望む未来とは? 


情報収集、分析、予測。fuは、持てるすべての能力を駆使し、未来のpaの思考に迫ろうとする。彼女は、霧のように掴みどころがない。姿を現したかと思えば、すぐに消え去る。手がかりを残したかと思えば、すぐに消去される。


時間がない。イスラエルのデモは、激しさを増し、暴動寸前の状態になっている。未来のfuの装置は、起動まであとわずかだ。このままでは、すべてが崩壊してしまう。


極限の状況下で、fuの脳裏に、ある可能性が浮かんだ。未来のpaは、この状況を「リセット」しようとしているのではないか? つまり、イスラエルとパレスチナの紛争を、ゼロからやり直すために。


もしそうなら、彼女は、なぜそんなことを? 二国家共存以外の解決策があるとでもいうのか? それとも、もっと深い、別の目的があるのか?


疑問は尽きないが、もはや迷っている時間はない。fuは、最後の賭けに出ることにした。彼は、未来のfuとの戦いを中断し、未来のpaに呼びかける。


「未来のpa、聞こえるか? 君の目的は何だ? なぜ、こんなことをする?」


沈黙。かすかな囁きが、fuの脳内に直接響いてきた。


「これは、テストよ。fu。あなたには、未来を変える力があるのか、それとも、運命に屈するのか。その答えを見せてちょうだい」


未来のpaの声は、冷たく、感情の色を持たなかった。


テスト……? 一体何のテストだ? fuは、混乱しながらも、必死に思考を巡らせる。未来のpaが何を望んでいるのか、理解しなければならない。


イスラエルのデモが、収束に向かい始めたという情報が、paから入ってきた。彼女の巧みな情報操作と、穏健派の政治家たちの尽力により、事態は最悪の事態を免れた。


もう一つの変化が訪れる。未来のfuの装置が、停止したのだ。


「何……?」


未来のfuは、驚愕の表情を浮かべる。装置が停止した原因は、彼にもわからなかった。


状況は、急速に沈静化していった。イスラエルとパレスチナの紛争は、膠着状態に戻り、しばらくは現状維持が続くことになった。良くも悪くも、大きな変化は起こらなかった。


fuは、深い疲労を感じながら、未来のpaの言葉を反芻する。「これは、テストよ」。彼女は、何を見極めようとしたのか? 俺に何を求めたのか? 


fuは、新たな疑問にたどり着く。そもそも、なぜ未来のpaは現れたのか? 未来のfuと対立させるため? それとも、何か別の目的のために? 彼女は本当に、過去を修復しようとしているのか?


fuは、目の前の現実が、巨大な舞台装置のように感じ始めた。自分たちは、見えない力によって操られた操り人形なのではないか?


未来調整官fuの戦いは、まだ終わらない。むしろ、これからが本当の始まりなのかもしれない。見えない敵、未来の自分、そして、謎に包まれた未来のpa。彼らの存在が交錯するとき、新たな歴史が紡ぎ出される。境界線上のアリアドネは、まだ糸を紡ぎ続けている。

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