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第41話_深淵の歯車

硝煙の残響



「くそっ、またか!」


未来調整官fuは、まばゆい光と轟音に満ちたモニターから目をそらし、忌々しげに呟いた。イスラエル軍によるガザ地区への空爆、ジャバリヤ難民キャンプの惨状、そして、アル・シファ病院地下でのハマス拠点発見。モニターに映し出される一つ一つの情報が、事態の深刻さを雄弁に物語っていた。


「負の連鎖を断ち切れ」。それがfuに与えられた至上命令だ。未来の安定を脅かす可能性のある事象を事前に検知し、技術的介入、情報操作、時には直接的な「調整」によって、最悪のシナリオを回避する。孤独な任務。


「アル・シファ病院の地下トンネル……予想以上の規模だ。情報操作だけでは済まない」


fuは、ホログラムキーボードを高速で叩きながら、イスラエル軍の通信網に侵入した。AIによる自然言語解析を駆使し、軍上層部の会話から攻撃計画の詳細、今後の作戦目標、更には政治的な意図までを探り出す。


一方、過去補填官paは、ヨルダンにいた。アブドゥラ国王とフォンデアライエン委員長の会談を傍受し、ヨルダンの立場、EUの思惑、そして背後に潜む各国の利害関係を分析していた。


「バイデンの発言は表向きのもの。ヨルダンは建前上パレスチナ側に立つが、本音では事態の沈静化を望んでいる。EUは人道支援をアピールしつつ、中東における影響力を拡大したい…」


paは、淡々と情報を整理しながら、fuに報告を送った。二人は、それぞれの持ち場で情報収集と分析を行い、連携して事態の収束を図る。それが彼らに課せられた任務だ。


だが、今回は一筋縄ではいかない。フーシ派による貨物船拿捕という新たな火種が、事態をさらに複雑にしていた。


「紅海でのプレゼンスを高めたいのか、それともイスラエルへの牽制か…いずれにしても、このままでは世界経済に影響が出る」


fuは、貨物船拿捕事件の裏にいる勢力を特定するため、SNS、ダークウェブ、あらゆる情報源を洗い出す。すると、イランの関与を示すいくつかの痕跡が見つかった。


「イラン…代理勢力を通じた間接的な攻撃。目的は?」


fuの思考は、さらに深く掘り下げていく。イランの経済状況や国内の政治情勢、過去の行動パターンなど。全ての要素を総合的に分析した結果、一つの仮説に辿り着いた。


「核合意の再交渉が目的か。ガザの混乱に乗じて圧力をかけ、国際社会を交渉のテーブルにつかせようとしている」


fuの推測が正しければ、事態はさらにエスカレートする可能性がある。イランが本格的に介入すれば、中東全体を巻き込む戦争に発展しかねない。


その夜、fuは悪夢にうなされた。無数のモニター、爆音、血、絶望の叫び…自分が調整に失敗した未来の残骸が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。


目が覚めると、全身が汗でびっしょりだった。時計は午前3時を指している。疲労と焦燥感が、fuの心を蝕む。


「なぜだ…なぜ、こんなにも困難な調整ばかりが続く? 誰かが意図的に混乱を招いているかのようだ」


fuの脳裏に、ある疑念が浮かび上がった。未来の調整官や過去補填官の活動が、意図せず負の影響を生み出し、それが時を超えて積み重なり、現在の事態を引き起こしているのではないか。つまり、未来の自分が、今の自分の首を絞めているのではないか、と。



深淵の淵で



「アル・シファ病院への攻撃は、ハマスの反撃を誘発し、さらなる犠牲者を生む。阻止しなければ」


fuは、イスラエル軍の通信システムに再び侵入を試みる。今回は、より深く、作戦実行部隊のネットワークに直接アクセスし、攻撃命令を遅延させる。同時に、ハマス幹部の通信を傍受し、彼らの動きを監視した。


「ハマスは病院を盾にしている。イスラエル軍の攻撃は正当防衛だという主張も理解できる。とはいえ、民間人の犠牲は看過できない」


複雑な感情がfuの胸をよぎる。中立であるべき未来調整官の立場。だが、感情を完全に押し殺すことはできない。人道的な観点、倫理的な問題、様々な要素がfuの判断に影響を与える。


一方、paは紅海での事態収拾に奔走していた。日本郵船の貨物船拿捕は、日本政府だけでなく、国際社会全体への挑戦だ。


「フーシ派はイランの支援を受けている。イランとの直接交渉が必要だが、今は時期が悪い。まずは、外交ルートを通じて圧力をかけ、交渉の余地を探るしかない」


paは、各国の情報機関と連携し、フーシ派の内部情報を収集する。彼らの要求、組織構成、イランとの関係など、全てを把握した上で、最善の解決策を探し出す。


fuとpa、二人は別々の場所で、それぞれの任務を遂行しながら、互いに情報を共有し、協力し合う。時間はない。事態は刻一刻と変化し、状況は悪化の一途をたどっている。


「…間に合わないか!」


fuは、イスラエル軍の攻撃開始時刻が迫っていることを知った。通信システムへの介入だけでは、攻撃を完全に阻止することはできない。


fuは、最後の手段に打って出ることを決意した。


超小型ドローンをアル・シファ病院周辺に侵入させ、ジャミングによってイスラエル軍のレーダーシステムを一時的に麻痺させる。その隙に、ハマス幹部に偽の情報を流し、病院からの撤退を促す。


「危険すぎる…バレたら、終わりだ」


fuの手は震えていた。他に選択肢はない。覚悟を決めて実行に移した。



未来の代償



作戦は成功した。イスラエル軍の攻撃は遅延され、ハマスは病院から撤退した。民間人の犠牲を最小限に抑えることに成功した。


紅海での貨物船拿捕事件も、外交ルートを通じて解決の糸口が見えてきた。イランは、国際社会からの圧力を受け、フーシ派に圧力をかけ始めた。


「何とか、最悪の事態は回避できた…だが」


fuの表情は晴れない。終わりの見えない調整任務。常に最前線で危険に晒され、孤独な戦いを強いられる。しかも、今回は自身の存在を危険に晒す禁じ手まで使った。


「今回の件で、未来調整委員会にマークされたかもしれない。これ以上、無茶はできない」


fuは、今回の調整任務を振り返りながら、改めてあの疑念を抱く。未来の調整官や過去補填官による過去に対する調整と補填が、複雑に絡み合い、意図しない結果をもたらしているのではないか。


「これは未来からの警告なのかもしれない。このまま調整を続けることが、本当に未来のためになるのか…」


fuは、自分の存在意義そのものに疑問を抱き始めていた。その疑念は、未来の過去補填官paへの不信感へと繋がっていく。paもまた、未来の意図に気づいているのではないか。いや、彼女自身がその意図の一部なのではないか。


その夜、fuは未来調整委員会に極秘回線を繋ぎ、ある要求をした。


「過去の調整記録、特にpaの関与した全ての記録へのアクセス権を要求する。これは、未来の安定のために必要な措置だ」


fuの目は、暗闇の中で、静かに燃えていた。それは、未来への希望なのか、それとも新たな混乱の始まりなのか。答えはまだ、闇の中にある。

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