逃げたクレノはフィオナ姫とともに薔薇のしげみに隠れていた。
人々の視線から逃れて土や植物の香りに囲まれていると、ようやく冷静さが戻ってくる。
「うっうっうっ。ひどい目にあいました。俺はもう二度と王宮なんか来ませんからね……!」
「びっくりしたじゃろう、クレノよ。王族とはいえ、これだけきょうだいが多いと下町の大家族みたいなもんじゃからのう」
「ほんとですよ。敵の捕虜になって尋問を受ける訓練もしたことがありますが、それよりずいぶんつらかったです」
「そんなにか……?」
せっかくのお茶会であるのに、しげみの裏でひそひそ話をするフィオナ姫とクレノのふたりは、かなり怪しい。
しかし幸いなことにまだ誰にも見つかっていなかった。
お茶会の招待客はみんな新しく会場に現れたふたりの王子たちに夢中だ。
第二王子は第一王子と連れ立ってやって来た。
ヨルアサ王国の第一王子、カイル王子は現在軍属なので軍服姿だ。
鮮やかなオレンジ色に近い赤毛は最初に出会ったフィオナ姫の妹によく似ている。たぶん母親が同じなのだろう。
軍服の胸元には種々様々な勲章が
もちろんクレノなど足下にも及ばないような階級だ。
その隣にそっと連れ添っているのが、ルイス・リンデン・ヨルアサ——。
クレノたちが模擬試合で戦う予定の第二王子である。
カイル殿下が日に焼けた肌の快男子であるのに対して、ルイス王子はミルクティ色の髪に薄紫色の瞳、抜けるように白い肌……と、どこか線が細く女性のようなたたずまいだ。噂にきいているとおりの美青年である。
ふたりの王子たちのところには、彼らと親交を深めたい連中がずらりと列をなしていた。
まるで人気アイドルの握手会みたいだ。
無理もない。順番通りであれば、次のヨルアサ王はカイルかルイスのどちらかである。お近づきになりたい者はいくらでもいるのだろう。
——いや、
よく見ると、カイル王子の列に並ぶのはほぼ女子、ルイス王子の列に並ぶのはちょっと鼻息が荒い感じの気持ち悪い男がメインだった。
「なんか、男女比率が狂ってますね?」
クレノの指摘にフィオナ姫が重々しくうなずく。
「うむ。ルイスお兄さまはな……あのとおりの見た目じゃ。昔から変態ホイホイキャッチャーとして知られておる。女性ファンもおるのじゃが、変態が気持ち悪すぎて近寄れぬ!」
「あの列に並んだやつは財産を没収したうえで処刑したらどうですか? 少なくとも俺の心は痛まないです」
「過激なジョークとしてきいておこう。ちなみにお兄さまたちと最初と最後にあいさつすることを鍵あけ、鍵しめと言うぞ!」
「は、はあ……」
「あまりにも長々と張りついておる客はじいやが剥がすのじゃ!」
「じいやが
異世界翻訳のせいで貴族の社交場が本格的なアイドルの現場みたいになっている。
フィオナ姫がやけにワクワクした顔つきで、クレノに訊ねる。
「どうじゃ。そなた、ルイスお兄様には勝てそうか?」
「見ただけじゃわかりませんよ、そんなの」
「えーっ? じゃあ何のために来たのじゃ」
「姫様がむりやり連れてきたんでしょう。だいたい、魔法使いの強い弱いって、そんなに単純なものではありませんし……」
「そうなのか?」
「姫様でもわかるくらい簡単にいうと、魔法使いの強さは持ってる魔法の強さ、そして魔法をストックできる数で決まります。魔法の強さは祈りの強さ。どれくらい神に奉仕しているか——つまり、祈りにかけている時間の長さのことです」
クレノは毎朝毎夕、そしてヒマな時間があれば常に神に祈っている。
祈りの時間が長ければ長いほど与えられる魔法も強くなるからだ。
「それじゃ、生まれたときからずーっと祈っておれば、すんごい魔法が使えるということか?」
「理論的にはそのとおりですが、発動の際には精神力を削られますから、あまり強い魔法を出すと廃人になってしまいかねません」
「こわっ!」
「そしてストックできる数は、ひとりの魔法使いにつき平均で四つか五つほどです」
「えーっと、魔法は一度使うとまた祈り直しなんじゃったな」
「はい、その通りです。あと……四つか五つというのは才能の世界の話なので、個人差があります。しいていえば、この数が強さかもしれません。たくさんストックできれば、いろいろな魔法が使えますからね」
クレノは割れた人垣の隙間からルイス王子の杖を盗み見た。ルイス王子も、クレノが持っているようなものと似たようなホルスターで腰のあたりに吊るしている。
もちろん王子のものは軍の支給品ではないからデザインは派手だ。
色は白で、チャームには宝石が複数ついている。
宝石の数が魔法の数、という線もなくもない。魔法使いが杖につける飾りには意味がある。魔法使い兵であれば所属する部隊を示す。奉仕する神やストックする魔法によって変えるのもよくあるパターンだ。
「そなたはいくつの魔法が使えるのじゃ?」
「教えてもいいですが、誰にも秘密ですよ。ストックの数が知られるのは魔法使いにとって致命傷なんです。軍属でも、正しい数を申告しない魔法使いもいるくらいですから」
「お兄様のストックの数がわかれば、有利になるかのう?」
「うーん。というか、ルイス王子は模擬戦に参加されるのですか? 指揮だけとか、観戦だけだとか、最悪忙しいから来ないとかあるんじゃないんですか?」
「わからん」
「そ、そこから……?」
なんのために来たのだ、という言葉をぐっと飲みこむ。
なにしろ姫様は、まだ十四歳だ。
軍属でもなく、魔法についても基礎的な知識しかない。
だいたい、クレノが生前十四歳だった頃などは、親が言うなりに学校に通うだけで何かをしようという発想そのものがなかった。授業はほとんど寝ていたし、一時期、通っていたスイミングスクールもだるくなってやめてしまった。
そんな生活をしていたから高校では成績ががた落ち、横田から『浅いオタク』という不名誉な称号を授かることになったわけだ。
それにくらべたら、動機が陰謀論的という欠点はあるものの魔法兵器開発局を立ち上げたフィオナ姫はえらい。ほんとうに立派だ。
「……姫様。ストック数がわかれば、とはいってもですね。魔法使いがどのような魔法を備えているかを調べるには観測用の魔法を使わないといけません。王族相手にそんな魔法を使ったら、たちまち俺はクビです」
クビはクビでも首が胴体から離れ、飛んでいくほうのクビになるかもしれない。
それくらいの大罪だった。
「では、直接話して聞き出すしかないのう!」
「でも、すごい人だかりですよ」
出世をねらう
あれをかき分けていくのは押しの弱いクレノには無理そうだ。
もちろん無理だということにして、帰って寝たいのが本音である。
「大丈夫じゃ。このために、とっておきの手土産を用意しておいた。お兄様好みのものを選んでおいたから、それをきっかけに話ができるじゃろうて」
「ああ、そういえばお菓子パーティのときに選んでましたね」
「そろそろ届くはずじゃ。ほれ、あそこじゃ」
花と紅茶の香りがただよう庭先に、男の使用人たちが数人がかりで白い箱を台車に乗せ、運んでくる。
ただし、ピンクのリボンをかけたその箱は、成人男性の背丈よりずっと大きなものだった。
「…………んん!?」
クレノは嫌な予感がした。
「姫様、あれ、中身はお菓子ですよね? どうみてもウェディングケーキ並のでかさなんですが……」
「ちがうぞ! せっかくの機会じゃからな。ありきたりなお菓子を持っていくのはやめにしたのじゃ!」
「えっ」
箱が王子ふたりのもとに到着すると、さすがに大きすぎる箱は、王子たちの注目を引き、ほかの招待客たちをも黙らせた。
初老の紳士が進み出てうやうやしくあいさつをする。
「ルイス・リンデン・ヨルアサ王子に、フィオナ姫よりお目にかけたいものがございますそうです」
「これをボクに?」
「はい。ぜひともとの
「ふうん、中身はなんだろう?」
ルイス王子はのんびりとした声音で言い不思議そうに首をかしげた。
首をかしげているのはクレノも同じだが、どちらかというとあっけに取られていると言ったほうが近い。嫌な予感はさっきより強くなっている。
「あれはな、クレノ、先ほど完成したばかりの魔法兵器——」
王子たち、王女たち、そして集まった貴族の前で、箱が開く。
箱の中に納められていたのは一頭の馬だ。
たてがみをなびかせ、すらりとした四肢をもつ美しい白馬である。
だが馬にしては静かなものである。
いななきもせず、みじろぎもしない。
瞳にも輝きはない。なぜなら、その瞳には青い塗料が塗ってあるだけだからだ。
箱から現れたのは、馬を模した精巧な木馬だった。
「——