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第30話 木馬軍馬④


 フィオナ姫が用意した箱から現れたのは、実物大の美しい木馬であった。


 嫌な予感は大的中した。

 フィオナ姫が黙って持ってきたのは魔法兵器開発局が開発中の魔法兵器だった。

 それもクレノも知らないような新作だ。


「ひ、姫様。なんですか、あれは。評価試験はしているんですよね……!?」

「木馬軍馬は今朝方完成したばかりじゃ。試験はしておらぬが、単純なものじゃ。大丈夫であろう」

「俺が全身の骨を折って死にかけたのを見てましたよね!?」

「大丈夫大丈夫! さあ行くぞ!」


 フィオナ姫に首根っこを掴まれ、クレノは再び、衆目の前に引きずりだされることになった。

 ルイス王子は精巧な馬をしげしげと見つめている。


「ルイスお兄様!」


 フィオナ姫が呼びかけるとルイス王子は振り返ってにっこりと微笑んだ。


「これはフィオナが作ったのかい?」

「はい、ルイスお兄様! といっても木馬本体を作り上げたのは町工場の者であって、わらわはアイデアを出しただけです。技術的なことは、ここにいるクレノ顧問が手伝ってくださいます!」


 フィオナ姫が自然な流れでクレノを紹介すると、ルイス王子はクレノに目を向けた。薄紫色の瞳はフィオナ姫に向けるものと違ってどこか冷たさがある。


「ルイスお兄様。クレノ顧問が木馬軍馬のすばらしさをお目にかけます!」


 クレノは一瞬で青ざめた。

 てっきり、木馬を見せるだけだと思っていた。

 まさか出来上がったばかりの魔法兵器を動かしてみせるつもりだとは思わなかった。


 クレノは声をひそめる。


「姫様、これマッハで飛んだりしませんよね」

「安心せい、これは生きている馬のように動くだけの木馬じゃ。ほれ、軍馬というのは、生産や調教に果てしなく時間がかかるじゃろう? それを木馬に置き換えてみたのじゃ」

「あ……なるほど。それは考えましたね」


 シンプルな発想ながら使い勝手はよさそうだ。

 フィオナ姫が言う通り軍馬を育てるのは手間がかかる。

 馬は車とは違う。生きものだ。毎日の世話がいるし人を乗せられるように調教しなければいけない。

 戦場で用いる軍馬はなかでも特別だ。火や騒音を怖がらない適性をもつ馬でなければ戦場を駆けることはできない。


「じゃろう? しかも、木馬であれば見た目も自由自在。だれもが伝説の駿馬にまたがれるのじゃぞ!」


 またがるだけではない。

 もしもこれが馬と同じくらいの性能を発揮するなら、様々な使い道がある。


「うーん、人を乗せるだけでなく荷運びをさせてもよさそうですね。もしくは攻撃に振り切って、大砲を乗せるとか?」

「さすがクレノ顧問! 名案じゃ!」

「馬の体の片側だけに乗せるとバランスが悪いですね。すると両側に二門とりつけて……いや、それだと細い脚に負担がかかりすぎるから……胴体に組みこんで……」


 木馬軍馬のというあまりにも冒涜ぼうとく的な姿が脳内に完成する。


「あっ……バズーカ・ベスパだこれ……」


 クレノの脳内では木馬軍馬砲の想像図がベスパ150TAPと重なっていた。

 これは1950年代、フランスで開発された珍兵器である。スクーターに無反動砲をねじこんだものだ。

 気になる人は調べてほしい。


「で、これは、誰が乗るんですか」

「そなたが乗るのじゃ」

「なんですって」

「乗れんのか?」

「乗れますけど……」


 かっこつけているわけではない。

 もちろんクレノも馬には乗れる。

 車もないヨルアサ王国での主な交通手段は、馬だ。

 日本では誰もが自転車に乗るように、クレノも馬に乗る練習をそれなりにして、それなりには乗れるのだ。

 乗れるけど、ついこの間マッハじゅうたんで死にかけたばかりだから乗りたくないだけだ。

 だからといって、試験もしていない魔法兵器にフィオナ姫を乗せるわけにはいかない。


「……わかりました。俺が乗ってみます」


 クレノは不安な気持ちのまま木馬にまたがった。


「乗り心地はどうじゃ、クレノ顧問」

「あぶないので下がっていてくださいよ」


 まだあぶみに足を置き、くらに腰かけただけだが、妙な感覚だ。


 普通の馬とはやはり違う。

 生物と違って木馬は身じろぎひとつしない。


 安定感があるとも言えるが、馬に乗り慣れていると不気味な感じだ。エンジンのかかっていない車の座席でじっとしているような居心地悪さがある。


 クレノは馬の手綱を操り木馬を歩かせることにした。

 木馬は軋む音を立てながら一歩を踏み出す。

 まずは常足なみあし


(うっ!)


 その瞬間に、この木馬軍馬の欠点がわかった。


 


 ケツが。そう、尻が痛いのである。

 木馬は精巧に馬の形と動きを模しているが、いかんせん木材がベースである。

 馬ほどなめらかに歩くでもなく、素材的にも衝撃を吸収する余地がない。

 少し歩かせただけで予感がした。


 このままだとクレノ・ユースタスの尻は真っ二つに割れるだろう。


 もともと割れているが、割れてしまうに違いない。

 脳内イメージは聖書の出エジプト記だ。

 しいたげられる人々のために海を割ったというモーセのくだりである。


「どうしたのじゃ?」

「い、いえ、なんでも……」


 フィオナ姫は心配顔であるが、さすがのクレノも招待客の前で「ケツが痛いです」と言えるわけがない。

 どんな羞恥プレイだ。


 クレノは「もうどうにでもなれ」と木馬をゆっくり歩かせた。


「う!」


 案の定、木馬がかっぽかっぽと歩く度、尻にダイレクトアタックがかまされる。

 クレノは耐えた。

 必死に平静を保ち、両太ももに力をこめて、なるべく揺れていないふうを装う。

 なんとかお茶会会場を一回りしたクレノを、フィオナ姫は笑顔で手をふり出迎えてくれた。

 並みいる招待客たちも動く木馬を興味深そうに見つめている。

 反応も上々だ。

 車のないヨルアサ王国では、木馬軍馬は画期的な発明品に思えたのだろう。


「ご苦労じゃったなクレノ顧問。お願いがあるのじゃが……」


 なんとか尻を守れて安堵あんどしているクレノに、フィオナ姫はとんでもないことを言い出した。


「次は軽く駆け足をしてみせてくれ!」

「軽く……駆け足を!? あっ、危ないと思いますよ!?」

「そうかのう? では、招待客に危険がないように庭を大きくぐるりと回ってくれ」


 そう言ってルイス王子たちのところに戻っていく。

 出迎えてくれたときは天使だと思ったのに、とんだ悪魔だった。

 ルイス王子はというと、紅茶のカップを傾けながらほがらかに微笑んでいる。何を考えているかは不明。


「くそっ、距離が伸びた……!」


 クレノは再びあぶみに足をかけ、速足を披露する。


 速足は乗り手と馬が息をあわせ、二拍子で歩く歩法である。


 騎手が馬にまたがりながら立ったり座ったりする、あの、いかにも乗馬っぽい乗り方だ。

 立ってる時間は尻を守れるので負担は少ないかと思いきや、馬の上下運動は常足より激しい。尻が痛い、痛くない、痛い、痛くないのリズムが延々続く。

 きりのいいところでテンポを上げると、今度は三拍子で痛みが襲ってきた。

 ゲーミング目くらましバリアのことを思い出して感情という感情を心から締め出してはいるが、尻の痛みは正直だ。


 モーセは今まさにエジプトを出ようとしている。

 そろそろむこう岸にたどり着こうとしている頃あいだ。


「クレノ顧問、ご苦労じゃったな」


 にこにこ笑顔で出迎えたフィオナ姫に、クレノは声をひそめて話しかけた。

 もう限界だった。


「フィオナ姫。あのう、内密のご相談が……」

「なんじゃなんじゃ」


 クレノは恐れ多くもヨルアサ王国のプリンセスの耳元で声をひそめ「ケツが痛いです」とささやいた。


「お……おお? け、ケツが……?」

「はい。尻が、とてつもなく痛いんです。この木馬に乗ると」

「どれくらいの痛みなのじゃ? ガマンできぬほどか?」

「割れそうです。いや、すでに割れているかもしれない」

「なんと……クレノ顧問の尻が、二つに!?」

「落ちついてください。もともと二つです」

「二つの尻が……二つに!? しかし、じつはもう弟妹たちに約束してしまってなあ……」


 フィオナ姫が振り返ると、そこには先ほどクレノを囲んでいじめていた第四王女と第五王子がいた。

 オレンジ頭とミルクティ頭のコンビである。


「ねえねえ、お姉さま! お馬さんの最高速度がみたいの!!」

「壊れるまで走らせてみて!」


 馬が走るところが見たいというよりは、木馬軍馬の耐久破壊試験が見たいというような口ぶりである。

 子どもとは思えないような悪辣あくらつさだ。


「頼む、クレノ顧問。走ってくれ。そのかわり、そなたの臀部ケツのために有給休暇をだす。二日でどうじゃ。たっぷり休んで割れた尻をひとつに戻すがよい」

「ひとつになったら困りますよ。それに、ろくに試走もしていないのに最高速度を出すのは、やはり危険です」


 渋い表情を作るクレノ顧問の袖を、弟王子と妹王女が引っ張った。


「お馬さん走れるところならあるよ」


 そのまま連れて行かれたクレノ顧問が目にしたのは、王宮の敷地内にある広大な馬場であった。

 それもゆうに2000メートルはありそうな、みごとな芝コースである。

 しかもただの平坦なコースではない。

 スタート直後から高低差1メートル以上の下り坂になり、ゴール手前では急な登坂になっている。

 ゴール手前の高低差は2メートル近くあるかもしれない。


「な、なんだこれは……!」

「父王様の趣味なのじゃ。毎年秋になると、国中の騎手を集めて馬術競技をお楽しみになられる! ここを全速力で走ってくれい!」


 天皇賞かよ。

 というツッコミをクレノは生唾とともに飲みくだした。


 こんなコースを木馬軍馬で走ったら尻は死んでしまう!


 もはや四つに割れるとか、六つに割れるとかいう次元ではない。

 拷問だ。

 一縷いちるののぞみをかけてフィオナ姫に目をやると、姫様は目じりに涙をためてクレノを見あげていた。


「やってくれるな……! クレノ顧問!」

「いやです……」

「かような命令しかだせぬわらわを許してくれ!」

「いやです~~!!」

「なら軍規違反で死ぬか?」

「いやだ~~~~~~っ!!!!」


 クレノは木馬とともに問答無用でスタート地点まで送られた。

 フィオナ姫は、死が待ち受けている過酷な戦いに恋人を送りだす悲運の姫君みたいな表情をしている。

 くやしいが、クレノにできることは何もない。

 地獄に向かって木馬軍馬で駆け抜けるのみだ。


 この窮地ピンチから尻を守りきり生きて帰るには策というものが必要だ。


 焦るクレノの視線が、馬のあぶみに吸いつく。


 その瞬間、雷に打たれたようにそのアイデアが降ってきた。


 ——あれだ。

 尻を守るためには、をやるしかない!

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