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第31話 木馬軍馬⑤


 お茶会参加者はスタンド席に移動し、出走の時を今か今かと待ち構えている。

 司会と解説を担当するのは木馬軍馬を運んできたじいやとフィオナ姫だ。


「さあ、場所は王宮競馬場。みなさまの夢を乗せた木馬軍馬がゲートに入りました。乗りこなしますは地方軍からやってきたニューエイジでございます! 人によって生み出された木馬はどこまでいけるのか? 人が! そして馬が! 共につむいだ夢のかなたまで走り抜けられるのか~っ? ついに出走です!」

「魔法兵器開発室の底力をみせるのじゃ、クレノ顧問!」


 どこかから連れてこられたラッパ手が高らかなファンファーレをかなで、ゲートが開いた。

 から飛び出してきた騎手と木馬の姿を見た観客席はどよめいた。

 クレノはあぶみの位置を限界まで上げていた。そして出走後まもなく、尻を高く上げた状態でコース上に踊りだしたのだ。


 本格的なジョッキースタイルである。


 この時代のヨルアサ王国に、ジョッキースタイルでの乗馬は存在しない。

 戦場で弓兵が立ったまま騎乗することはあるが、それは弓を上手く使うための騎乗であり、馬を最大速度で走らせるためのものではないのだ。


 しかし、どう考えても着席したままでの2000メートルなんて不可能だと判断したクレノが編み出したのがこの戦法だった。


 尻は限界だ。ほんとにもうこれしかない。

 人馬一体となり、木馬は出力をマックスまで上げていく。

 木でできたひづめが地面を蹴り、芝を踏み抜いて蹴り飛ばしていく。


 その全身がきしみ、うなり、魔法仕掛けの木馬がずきゅんどきゅん走りまくる!


 頭の中のモーセも民を率い猛烈に走っている。

 木馬軍馬は第二コーナー、第三コーナーを軽快に抜けて急こう配を駆けあがり、最後の直線300メートルに突入した。

 約束の地が見えてきた。

 勝利の女神が両腕を広げてクレノを迎え入れようとしている。


「うおおおおおーーーーーーーーっ! いけえーーーーーーーーーーっ!!」


 300——200——100——。

 クレノ顧問と木馬軍馬は喝采かっさいという幻聴を全身にあびながら、ゴールを切った。


 もちろん尻は無事である!

 クレノの知恵と奮闘により、尻は救われたのだ!!


「クレノ顧問、ようやってくれたのう!!」


 フィオナ姫が観客席から走りだしてコースに下りてくる。

 クレノは馬上から観客に拳を突き上げてみせ、姫様のねぎらいを受けるために芝に降り立った。


「やりました、姫様……! 俺の尻もぶじです」

「そうかそうか。で、次なのじゃが」

「…………次?」

「そうじゃ。次は障害レースじゃ!」


 クレノは脱兎のごとく逃げ出そうとしたが、数メートルも走らずにじいやたちに捕まった。


「離せっ、離せーーーーっ!」


 きびきび働く王宮の使用人たちによって瞬く間に、馬場に柵やらなにやらが整備されていく。

 まるで自分の処刑場が整えられていくがごとくの光景に、クレノは震えあがった。

 そんなクレノに、フィオナ姫は優しく語りかける。


「よくがんばってくれたなクレノ顧問。このがんばりに免じて、ルイスお兄様は模擬戦では魔法兵器を使わないと約束してくれたのじゃぞ」

「なんですって。俺が木馬に乗ってるあいだにそんな交渉をなさっておられたのですか?」

「うむ。しかもじゃ。もしも障害物レースを走りぬくことができれば、お兄様は試合中に使用する魔法についても便宜べんぎをはかるとおっしゃっておられる……」


 クレノが観客席を見あげると、来賓席が見えた。

 ルイス王子は紅茶のカップを傾けながら優雅に観戦している。

 そのまなざしはやはり、どこか冷たい。

 これは勘だが、ルイス王子はクレノの尻の状態に気がついているのではないかという予感があった。


「……姫様、姫様はルイス王子とは仲がおよろしいのですか?」

「うむ。ルイスお兄様は、わらわもふくめて妹姫たち全員を大層かわいがってくれておるぞ。いつぞやなぞは目に入れても痛くないとおっしゃっておられた」

「もしかして……俺……姫様についた悪い虫だと思われてませんか……?」


 絶望的な予測を立てたまま、再びクレノはスタート地点に連行されていく。



 *



 馬場からは、木馬軍馬で障害物を飛び越える度にクレノ・ユースタスの悲鳴が響いた。


「ケツが割れる!!」


 もはや体面も何もない叫びを聞きながら、来賓席では、噂のルイス王子が必死に笑いをこらえていた。


「ふふふふふ、がんばりますね。あのクレノって名前の技術中尉」


「性格悪いぞ、ルイス」と、隣のカイル王子が静かにたしなめる。


「いやあ、だって、妹がはじめて連れてきた男ですから。どんな人物か試すのは兄のつとめってものでしょう?」

「どんな男を連れてこようがフィオナの判断なんだぞ。俺たちが口をだすべきじゃない」

「そんなこと言って、いずれはヨルアサ王家の一員になるかもしれないんですよ。そのときになってヘンな男だったって気がついても遅いわけですから」

「とかなんとか言って、そうなる未来があるなんて思ってもないのだろう、ルイス」


 カイル王子は馬場のようすをうかがい、眉をひそめた。

 そこでは、木馬軍馬に騎乗したクレノが何度もあられもない悲鳴を上げている。


「……ああ、あれは痛そうだ。かわいそうに。尻を上げたままじゃ着地が危ないから、どうしても、な……。木馬軍馬は普通に乗るよりも、別のことに役立てたほうがよさそうだな」

「というと? 荷運びか何かですか、カイルお兄さま」

「俺は軍隊で走りまわるほうが得意なバカだからよくわからないが。あれは要するに魔法の力を木馬を前進させる力に変換する装置なのではないか?」


 ルイス王子はそれを聞いてかすかに目を細め、パチンと指を鳴らしてみせた。


「お兄様、そのアイデア——ボクのでいただいてもよろしいですか?」

「魔法兵器開発はフィオナがはじめてやる気をみせた取り組みだ。あまりいじめないでやれよ」

「はい、もちろんです。かわいい妹ですからね。そのあたりはうまくやりますよ」


 そのような密談がなされていたそのとき――。


 クレノは水を流した溝を飛び越えながら泣いていた。


 約束の地は蜃気楼しんきろうのように遠のいていく。

 元の世界の逸話でも、モーセは目的地にたどりつく前に死んだという話である。


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