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第38話 壊してはいけない祠②


「もちろん、キミが望むものはなんだってあげるつもりだよ」


 ルイス王子はほとんどクレノに体重をあずけるような近距離にまで迫っていた。

 王子の右手の人差し指がクレノの腕を優しくなでてくる。

 見上げてくる紫色のまなざしは、アメジストのようにあやしくきらめいている。


「地位も、お金も、なんでもね。軍での出世が望みかな? それなら好きな階級を言ったらいいよ。ついでに、キミに爵位を与えて所領をもたせてあげてもいいよ。子爵……ん~伯爵、いや侯爵位くらいはほしいよね。なにしろ、この第二王子の腹心の部下になるんだから……ね?」

「殿下、お、おたわむれを……」

「ボクは遊びだって本気さ。だけどこの先、来たるべきときが来たら、そのときはキミもボクの隣でヨルアサ王国のために働いてくれるよね……? つまり、玉座の隣で」


 そう耳元でささやかれる。

 たった一瞬でクレノの喉がヒリつき、口の中が乾ききった。


 出世だ。しかもルイス王子が提示したのは、普通だったら望むべくもないような破格の大出世である。

 この先、軍の中でセコセコ出世レースを争ったところで、なれるのはせいぜいド田舎のお山の大将だ。しかし、ここでひとこと「はい」と言えば。そしてもしも番狂わせが起き、ルイス王子のもとに玉座がすべりこんだら。

 クレノは何もかもを手に入れることができる。

 パンジャンドラムのツケを支払ってあまりある、この世の栄光すべてをその両手でつかめるのだ。


 かつて地方軍を敗北に追いこみ、身を滅ぼしたしょうもない出世欲が、再びクレノの目の前に現れた。そして再びその全身を焼こうとしていた。


 ——だが、そのときだった。

 クレノはただならない視線を感じ、背後を振り返った。

 視線の発生源は実験部隊の天幕の近くにあった。

 両手に枝を二振り持ったフィオナ姫がいた。

 そのうしろでカレンが、こちらを睨みつけている。

 カレンは修羅を通りこして夜叉みたいな目つきをしている。

 襲ってこないのは、フィオナ姫の両目をふさいでいるからだ。

 ルイス王子とのやり取りの何かしらが、姫様の教育によろしくないと判定されたに違いあるまい。


「で」とクレノは言った。


 唇を噛みしめ、続きを言わないようにがんばったが、だが、無理だった。


「で?」


 ルイス王子は小鳥のようにかわいらしく首をかしげている。


「できません……」


 クレノの唇から漏れ出たのは、しかし、断りの言葉であった。


「殿下はどうやら、俺をお試しになっておられるようですね……」

「そういうわけではないけれど……どうしてそう思うの?」

「忠臣は二君につかえずと申します。フィオナ姫に大恩を受けた身でありながら、それをお返ししないままにルイス殿下に、ということはできません。殿下におかれましても、そのような尻軽をおそばに置かれても身中に虫を飼われるようなものでしょう」

「ご大層なことを言っているわりに、二心ふたごころありって感じだね~」


 クレノは号泣しながらルイス王子の袖を引いていた。

 本当はだれよりも出世したいのだ。

 パンジャンドラムのときから、クレノの願いは変わっていない。


 何者かになりたい。


 出世の目があるなら、何にでもすがりたいというのが本音である。

 パンジャンドラムの失敗を払拭できるチャンスなんぞ、そうそうどこにでも転がっているはずもない。


 まさに千載一遇のチャンスなのだ!


 だが、ここで断らなければカレンの金棒で撲殺ぼくさつされるだろう。

 死ねば出世もクソもないのである。


「まあ、心変わりがあるなら、いつでも歓迎するよ。優秀な魔法使いはいくらいてもいいからね」

「失礼いたしまあすっ!!」


 クレノは未練を断ち切るように、泣きながら天幕に戻っていく。

 草原にひとりきりとなったルイス王子にひっそりと声をかける者がいた。


「ルイス王子、魔法兵器の解析が完了いたしました」


 それは少女の声だったが、姿はない。

 何もない透明な空間から声だけが聞こえてくる。


「うん、任務達成だね。ありがとう」


 ルイス王子はまったく表情を変えることなく返事をした。

 声をひそめ、振り返らず、誰にも聞こえないように。


「殿下がクレノ・ユースタスを引きつけておいてくれたおかげです。……でも、ウソとはいえ、あんなことをおっしゃってよかったのですか?」

「ウソじゃないさ。クレノ君があそこでひとつうなずいてくれていれば、模擬試合の勝利と引き換えにボクは彼を魔法開発局に引き入れたし、爵位だってあげたよ。なにしろボクにとってはいいことずくめ、損のない取引だからね」

「…………なぜ、それほどクレノ・ユースタスを評価するのか、私には理解できません」

「ふふ。もしも期待外れだったとしても、彼を欲しがっていたカイルお兄さまに熨斗のしでもつけてさしあげれば済むことさ。それでお兄さまに貸しが作れる。王族の貸しひとつはおっきいからね」

「はあ……そうですか」

「さて、次の試合は、キミにもひと働きしてもらうよ」

「はい。あのクレノ・ユースタスを打ち負かし、必ずや殿下に勝利をお捧げします」


 不本意そうだった少女の声が、闘争本能に満ちたものに変化する。


「期待しているよ」


 その返事を聞き、ルイス王子は満足そうにうなずいてみせた。



 *



 第三試合。

 泣いても笑っても、次が最後の試合だ。


 クレノたちは第二試合とまったく同じ配置についていた。

 作戦は第二試合と同じく『壊してはいけない祠』ゴリ押し作戦である。

 壊したら何が起きるかもわからないラプラスの祠を盾に旗を奪取するのだ。


 一時間という猶予ゆうよはあったにせよ、それだけの短時間では、さしものルイス王子チームでもろくな対抗策が打てるはずもない。

 何しろ、相手はすでにストックの大半を使い尽くしているのだ。


「どのようなそしりを受けたとて、勝てば官軍っ!!」


 ——とても第三王女の御旗のもとで戦っているとは思えないフレーズを合言葉に、実験部隊は台車にかける手に力をこめるのだった。

 そして、運命の時。

 天下分け目の決戦の火ぶたが切って落とされた。


「行くぞおおおおおおっ!」

「進めーーーーーーーっ!」


 試合開始の空砲が鳴らされたと同時に、実験部隊は走りだす。


「祠なんだ、こっちはさぁ!」

「壊しちゃいけないものがあるんだって、わかれよ!」


 異世界翻訳がまた妙な気をきかせたようだ。

 敵陣地に突貫する兵士たちの掛け声が何を言っているのかさっぱりわからないが慣れてくると独特の味を持つ某監督のセリフ回しみたいになっている。


「機動戦士ガ〇ダムみたいになってる!?」


 たぶんクレノがラプラスの祠とか余計なことを考えたせいだろう。

 そのとき、彼らは信じられないものを目にした。


「なんとぉおおおおーーーーっ!」


 雄たけびをあげ、ルイス王子チームも陣営から走り出てきたのだ。

 まさか、壊してはいけない祠を壊す覚悟だろうか。


 ——いや、ちがう。


 みると、ルイス王子チームも五つの台車を押していたのである。

 しかも台車の上には、フィオナ姫チームとまったく同じ五つの祠が鎮座しているではないか。


「なんだって!?」


 最後方にとどまっていたクレノは驚いて声をあげた。

 祠と祠、合計十個の祠が、戦場の真ん中で対峙していた。


「あれは……どういうことです、クレノ顧問!?」

「わ、わからない。俺にも何がなんだか……!」


 クレノは突如として現れたルイス王子チームの『祠』に自分の杖を向け、解析用の魔術を放った。


「見魔の法、魔法解放!」


 薄曇りの空に、複数のシンボルマークや記号が浮かぶ。

 それらが示すものは、ルイス王子チームが持ち出した祠が、正真正銘、クレノたちの祠と同じものだということだ。

 つまり、敵チームもまた五つの『壊してはいけない祠』を盾にして前進しているのだ。


「全く同じ魔法兵器!? まさか情報漏れか……!?」


 使用する魔法兵器の情報が漏れていて、敵チームに同じものを作られていたのではないか。

 しかし、それは考えにくい事態だった。

 ルイス王子チームは第一試合ではクレノたちの罠にはまっていた。それが油断させるための作戦だったとしても、第二試合での混乱ぶりはホンモノだった。

 ルイス王子チームが祠の情報を持っているようすは全くなかったはずだ。

 第二試合終了後に解析が完了していたにしても、この短時間で同じものを作り出すなんてできるはずがない。


「クレノ顧問、いったい、どうすればいいんですか!?」

「わからない。だが——だがっ、ここで退くワケにはいかない! 進め!」

「前進、前進せよ!!」


 クレノたちと同じ号令が、敵方にも響く。


「ちくしょうおおおおおおおっ!!」


 実験部隊とルイス王子チームは互いにあらん限りの力を振りしぼり、雄たけびをあげ、台車を押して突き進む。

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