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第47話 お菓子の家ホイホイ②


 読者諸氏のあいだに、まだ社会に出てはおらず、いそがしい両親をただ眺めるばかりという方がいたら——あなたはふと疑問に思ったことはないだろうか。


 なぜ忙しくて有能な社会人にかぎって、休暇を取りたがらないのだろうか?


 いやだいやだと言いながら、わざわざ土曜や日曜に出勤するのはなぜ?


 多忙を極めれば多忙を極めるほど、むしろ休暇を嫌っている素振りさえあるのはどうしてなのか——? と。


 休暇を取得するのは労働者の権利である。法律で認められているし、雇用者にとっても、労働者に適切な休みを与えることは義務である。

 でもなぜか、社会人は時折、休みを嫌がるような行動および発言をみせる。


 その理由のひとつの側面について話そう。


 それは、仕事というものはつねに瞬きもせずそばにいてにらみつけていなければ、異常な進化を遂げる可能性があるからだ。

 少し目を離したすきに、魔法のポケットに入れたビスケットのごとくふたつに分裂しているかもしれない。ふたつみっつではすまない可能性もある。あるいは巨大にふくらんで、出勤したらデスクが潰れてになっていた、ということもありうるだろう。ときにはコウモリの羽を生やして飛んで行ってしまうこともあるし、数十本の手足を生やして逃げ去ってしまうこともある。

 ぜんぶ本当のことだ。

 も忘れてはいけない。よけいな人物がよけいな手を加えたがために、それまで順調だった仕事が心停止状態でころがっている、ということも多々ある。

 たった一日の休みが、仕事というものを怪物の姿に変えてしまうのである。


 であるからして、クレノ・ユースタスも有給を一日しかとらず、休みあけには恐怖に引きつった顔で出勤してきた。


 待ち構えていたフィオナ姫は右の口角を上げて「ニッ」と笑うと「待っておったぞ、クレノよ!」と言った。


「そなたが休んでおった間に、完成させたぞ! ——お菓子の家ホイホイを!!」

「た……たった一日で休み中に起きてほしくなかったことランキングナンバーワンが起きている!」


 クレノはそのまま気絶できたらいいな、と思ったが、気を取り直してしっかりと現実をにらみつけた。

 気絶をして意識を失っているあいだに、今度はどんな目にあわされるのかわからないと思ったからである。


「それから、魔法開発局から使いの者が来ておる」

「えっ。第二王子殿下の……ですか」

「ほかに何があるというのじゃ。で、先にどっち行く? 二号に会いに行くか? 使いの者と面会するか?」

「二号には会いませんよ。しかも会うってなんなんですか、家でしょ」

「ではまず魔法開発局の話を聞いてから、午後は評価試験じゃの~」


 フィオナ姫はわざと聞かなかったふりをしているようだ。


 応接室に入ると、楽なほうを選んだはずなのに選択を間違えたことを悟った。

 そしてマカロンを目撃した姫様のように飛び上がり、扉の枠に思いっきり頭を打ちつけた。しかし、その痛みも気にならないほどの衝撃だった。


「ふぇっ…………ふぇふぇふぇ、フェミニ…………さん? なんでここに!?」


 目の前の光景が信じられず、声が何度も裏返ってしまった。

 来客用の豪華なソファに魅力的な腰を下ろしているのは、模擬試合の後にクレノのことを「嫌い」と切って捨てた張本人——フェミニであった。

 フェミニはフィオナ姫に対して礼を尽くしたあいさつをすると、返す刀でクレノをにらみつけた。


「おひさしぶりです、クレノ先輩。わたしは……金輪際未来永劫こんりんざいみらいえいごう二度とセンパイに会うつもりはありませんでしたけど……けど……! 殿下の命令で仕方がなく、です……!」


 クレノは思わず部屋の隅に後ずさり、うずくまった。

 まさか、魔法開発局ルイス王子のところが彼女を送りこんでくるとは。

 この再会はフェミニにとっても不本意だったのだろう。その愛らしいまなざしにはどす黒いがあり、憎悪の炎が燃えさかっていた。


「わ、わかりました……お嫌なんですね……俺のことが……」

「そうです。お互い仕事と割り切ってさっさとすませましょうねえ」

「はい……」


 はい、と言うしかない。


「フェミニ主任研究員殿は今後、お兄さまの魔法開発局と我ら魔法兵器開発局のになれないかということで、わざわざ足を運んでくださったのじゃ」

「はい殿下。どうぞ、わたしのことはお気軽にフェミニとお呼びください」

「うむ。わらわのことも姫様、とかでよいぞ!」


 よいぞ、ではない。全然よくはない。

 話しだいでは、クレノはこのまま隊舎にひっこんで布団にくるまらないといけなくなるだろう。


「橋渡し役……ですか?」

「はい。ルイス王子殿下は今後、魔法兵器開発局と魔法開発局のあいだで意見交換や情報交換を積極的にすべきと考えておいでです」


 フェミニが言うと、フィオナ姫は眉間にかすかにシワをよせた。


「局の名前が似ておってややこしいのう。『フィオナのところ』と『お兄さまのところ』とか、そういう優しい言いまわしじゃだめか?」

「はい、わかりました。えっと……」


 少し考えるそぶりをしたあと、フェミニは優しく、おだやかな声でフィオナ姫に語りかけた。


「わたしは、しょうらい、魔法兵器をがんばって作っていくうえでフィオナ姫様のところとなかよしにすることが、だいじだいじ、じゃないかな? ……っておもっています。タイミングばっちりにして、そちらにはカレンちゃんや……カレンちゃんのオマケのクレノセンパイもいますから……フィオナ姫様のところと、ルイス王子様のところがおはなししたくなったら、まずわたしに連絡してくれたら、むずかしいおはなしがスムーズに進むようになるんじゃないかなって、そうおもうんです。——こんな感じでよろしいでしょうか」

「フェミニ、全部優しくしなくていいんだ」


 話のレベルを下げすぎて、幼稚園の先生みたいになっている。

 フェミニは不思議そうに首をかしげていた。

 そんなに難しいことを言っただろうか。


「とにかく、わたしがこちらに出入りして、フィオナ姫様のところの開発中の魔法兵器を見せていただけたりなんかしたら、お手伝いができることがたくさんあると思うんですよね」


 クレノはそれを聞いて眉をひそめた。


「それは、もしかしてうちの魔法兵器の開発の手伝いをフェミニ殿がしてくれるという理解でいいのじゃな」

「はい、姫様。そのとおりでございます。もちろん、わたしもルイス王子のところのお仕事があるのでいつも、というわけにはまいりませんが」

「そなたのように優秀な魔法使いがわが魔法兵器開発局に力を貸してくれるというなら心強い。なにしろ、うちには魔法使いが少ないからなあ、クレノ顧問!」

「あぁ……まあ、ええ、はい……」


 クレノは思わずあいまいな返事になってしまう。

 クレノ個人としては、フェミニが魔法開発局からの連絡員としてやって来るというのはとんでもない話だ。

 学生時代のあれこれは完全に解決したわけではないし、それを除いたとしても、フェミニの申し出には素直に首を縦に振ることができないというのが本音だった。

 フィオナ姫はクレノにニヤニヤした笑みを向けてくる。


「なんじゃ、気の抜けた返事をしおってからに。そなたたちの間にいろいろあったことは知っておるが、これはビジネスじゃぞ、ビジネスぅ! ——それで、フェミニはいつから来てくれるのじゃ?」 

「姫様の許可がいただけましたら、すぐにでも。あらかじめ、関係書類を整えてまいりました。基地に入る許可や、研究開発をお手伝いするにあたって必要になるだろう権限など、まとめております。ご了承いただければ、ここにサインをお願いいたします」


 フィオナ姫は書類を受け取り、にこにこ顔である。

 クレノは声をひそめた。


「姫様。姫様——少しいいですか」

「なんじゃ、クレノ顧問」

「いいですか、これは俺がフェミニにから言ってるんじゃないですよ!」

「ふられるもなにもはじまってすらおらんかったじゃろうが」

「まだその事実は直視できないので黙っててください。傷つけないで。そうではなく——開発中の魔法兵器を部外者にみせるなんてとんでもないですよ。ルイス王子様のところとはいえ……これは堂々と表玄関から入ってきたスパイみたいなものです」

「スパイ? まっさかあ。考えすぎじゃ、クレノ顧問。ルイスお兄さまは聡明でお優しい方なのじゃぞ。そのお兄さまがフィオナを困らせるようなことをなさるはずがなかろう。きっと純粋に親切な気持ちで、魔法兵器開発を手伝ってくださるおつもりなのじゃ」

「…………むむむ」


 姫様はすっかりルイス王子のことを信頼しきっている。

 クレノは模擬試合で会ったルイス・リンデン・ヨルアサ王子のことを思い出す。

 聡明だというのはそのとおりだろう。

 しかし、クレノに対してだけは、彼が優しかったことは一度もない。

 純粋に親切な気持ちで手伝う、とはいうがルイス王子側にクレノたちを手伝う義理は一切ないはずだ。模擬試合で友好的な関係を築けていたならともかく、壊してはいけない祠でケンカを売り、フェミニとは最悪に気まずい関係だ。

 今回のことは、何か裏がありそうな気がする。

 クレノがフェミニのようすをうかがうと、フェミニは憎悪をさらにつのらせた表情でクレノをにらんでいた。まるでホラー映画みたいだ。


 顔に「邪魔をしないでください、殺しますよセンパイ」と書いてある。


 おそらく、これはルイス王子が仕掛けてきただ。

 フェミニ相手では強く出れまいとルイス王子は読んでいるにちがいない。

 ここで相手が仕掛けてきたことを無条件で受け入れるわけにはいかない。


 ——仕方がない。


 どんな手を使っても、時間をかせぐほかない。

 クレノも伊達だてに地方軍で上司をおどらせていたわけではないのだ。



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