意識消失から数十秒後、クレノ顧問は倉庫で評価試験の準備を見守っているフィオナ姫の元に駆けこんでいた。
「え? ハルト隊長? ——そうじゃよ。おぬしと同じく北部地方軍からの転属じゃぞ」
「そういう大事なことは最初に言っといてくださいよ!」
「なんじゃ、知らんかったのか?」
フィオナ姫が言うとおり、ハルト隊長が地方軍にいたことをクレノは全く知らなかった。
「いやだって普通にイケメンですし、頭もいいしちゃんと礼節をわきまえてるし……地方軍なんてバカとゴリラとバカゴリラしかいないんですよ。てっきり顔枠採用で有名な近衛騎士団とかそっち関係の人かと思ってましたよ……!」
「おぬし失礼なやつじゃの~~~~。まあ面接のときわらわも『わらわの
よく考えてみるとパンジャンドラムの一件から、魔法珍兵器開発室に異動になるまで、クレノには無人島にいた期間がある。だから、その期間中に先にハルトが来ていてもおかしくはない。
「安心せい。ハルト隊長は地方軍生え抜きの、礼節をわきまえたイケメンじゃ!」
「奇跡か~~~~…………」
クレノはそのまま床にくずれ落ちて放心したように「殺してください」と言った。
「俺は……そんなこととはつゆ知らず……。ハルト隊長のことめっちゃいい奴じゃん、とか思っててですね……。休みの日とかも遊びに誘って、のんきに観劇とか……王都で評判のパン屋めぐりに行ったりだとか……」
「おぬしら仲がいいのう」
「ほんとうは、俺は土下座してまずワーウルフ討伐作戦のことを謝罪しなくちゃいけないのに……ハッ!? そもそもハルト隊長が地方軍から魔法
「本人に直接、聞いてみればよいではないか」
「聞けるわけないじゃないですか~……もしも、俺のせいだったとしたら……」
クレノは床に転がったままぞっとした。
脳みその奥のほうにある闇のなかからゲスタフがあらわれ「無能」と言ったような気がしたからだ。
「うっ……生きていけない!」
「あいかわらず繊細なやつじゃのう。ほれ、それよりもお菓子の家ホイホイ二号の評価試験をはじめるぞ!」
床の上でのたうち回っていたクレノは倉庫の真ん中に、白い布をかけられた巨大なものが——おそらく家が——あることに気がついた。
前回もデカかったが、二号はさらに威圧感がある。
「んん…………? なんか、前より全体的にデカくなってる気がするんですが」
「そうじゃな。高さが1メートルほど高くなっておるぞ」
「げっ。むだに大きくしないでくださいよ」
「むだではない。ちゃんと考えがあってのことじゃ」
「横幅もありますよね」
「うむ。左右一メートルずつ伸びておるはずじゃ」
「なんでそんなにデカくしたんですか?」
「フフフ。前回クレノ顧問に指摘された欠点をおぎなうべく、工夫をしたのじゃ。たしかに前線におる兵士たちはいつもより警戒心が高まっておる。お菓子の家が現れたとて、中に入って食べようとは思わぬはずじゃ」
「戦闘時だけではないですよ。普通はね、お菓子の家が突然現れたら、警戒して食べないものなんです」
「さすがクレノ顧問。そなたは我が魔法兵器開発局きっての天才じゃな!」
「俺を上げてご自分のダメさを隠そうとするのはやめていただけませんか」
「というワケでばばーん! これが、お菓子の家ホイホイ改良型二号機じゃー!」
合図にあわせ、目隠し用の布を取りはらう。
現れた二号機を前にして、クレノは絶句した。
「なっ…………なんだ……と…………!?」
そこに現れた魔法珍兵器は有給一日分の罪の姿をしていた。
クレノが現実から逃げ、仕事を放りだし、みずからの罪に向きあわなかった結果が、はっきりとした形で目の前に現れていた。
一昨日、この倉庫に納められていたお菓子の家ホイホイは、ただのどデカいお菓子の家だった。
しかし今は違う。
お菓子の家に
どうやら一日目を離した隙に仕事が怪物に化けたようだ。
「…………は?」
「驚いたか、クレノ顧問。お菓子の家がただ置いてあっても、誘いこまれるバカはいない。——では! お菓子の家がみずから敵を捕まえに行けばよい!!」
よくない。
「何を食べて育ったらこんなもの作ろうと思えるんですか?」
チャールズ・ジンマーマンは空を飛ぶ凧を見てフライングパンケーキ——アメリカ製の、空飛ぶ円盤みたいな奇怪な飛行機——を設計したらしいが、姫様にはいったいなにが見えているのだろう。もう何も見ないでほしい、とクレノは真剣に思った。
そんなクレノが見つめている前で、お菓子の家は動きはじめた。
本体であるお菓子の家を支えるために、家から生えた手足はムキムキだ。
その剛健さはムキムキ魔人を
「に…………」
お菓子の家は屈強な両脚に力をこめ、丸太のような両腕を地面につけた。
世界陸上みたいなクラウチングスタートだ。
「逃げろおおおおおおおおっ!」
クレノは絶叫を上げて走りだす。
フィオナ姫がスカートをたくしあげて並走する。
お菓子の家も獲物めがけてダッシュする。
クレノ顧問とフィオナ姫は並んだまま、自己ベスト記録をぬりかえる速さで倉庫から走り出た。
その後ろから、倉庫の壁を突き破って家に両手と足がついたものが飛び出してくる。
「どうじゃっ! これなら戦場で使えそうか!?」
「これ捕まったらどうなっちゃうんですかっ!?」
「お菓子の家に入れられる!」
「入れられたらどうなるんですかっ!?」
振り返ると、少し前かがみのフォームになったことでお菓子の家のドアが開き、その隠された内装が明らかになっていた。
家の中もマシュマロやプレッツェルでかわいらしく飾りつけられているが、童話よろしく鉄の檻がチラ見えしており、奥にごうごうと音を立てて炎を燃やす
「……死ぬ?」
と、フィオナ姫がつぶやいた。
確信があったわけではないだろう。それはただただ背後に迫る狂気的な情景から導き出された純粋無垢な答えであり——ふたりを震え上がらせるのには十分だった。
「姫様!! 次から手足の生えたやつは禁止です!!!!」
「生きておればいくらでも叱るがよいっ!! 魔法でなんとかせんか!!」
「ストックは模擬試合で全部使っちまいましたよ!」
あるにはあるが、試合からわずかな期間しかないため、今のクレノが使える魔法はどれも貧弱だ。
しかも敵をその両脚で追いかけ、両手で捕獲するべく生み出されたお菓子の家は、めちゃくちゃ足が速かった。
ムキムキ魔人がかわいく思えるほどの速度だ。
デカさは正義なのだ。
「追いつかれるーーーーーーーーーー!!!!」
死を覚悟したクレノとフィオナ姫だが、その時はいつまでもやってこない。
目をつぶり頭をおおったフィオナ姫と、とっさに姫をかばうクレノの真横を、お菓子の家が猛スピードで駆け抜けていく。
「なんだと……!?」
お菓子の家が向かっているのは運動場だった。
進行方向には昼休憩を終えてまた訓練に戻る実験部隊の姿が見えた。
もちろん、その中にはハルト隊長の姿もある。
お菓子の家の姿を見て驚いている。驚くしかないだろう。
危険が迫っているとわかっているかどうかもあやしい。
「ハルト隊長っ! 逃げろ!!」
クレノは大声で怒鳴りながら、再び走りだす。
走るのは兵士の仕事だとか、よく言ったものだ。
「大地の法、
補充したての魔法を爆走するお菓子の家の進行方向に打つ。
だが、やはり祈りの期間が足りず、少しだけ地面が隆起したのみだ。
お菓子の家は軽々と傾斜を越えて爆走し続ける。
同じ理由で火の法も風の法もろくに役に立たない。
お菓子の家が運動場に突入する直前、クレノは新作の魔法を撃った。
「破魔の法——
杖の先から伸びた白銀の鎖が家と左足の接合部に絡みついた。
破魔の法は魔法を妨害する魔法、魔法無効化の魔法だ。
これも試合の後に祈り始めたもので、威力がない。
だがお菓子の家だってクレノが休んでいた間に即席の手足がつけられた突貫工事の魔法兵器だ。
「なんとかなれーーーーーーっ!」
お菓子の足は鎖に引かれてようやく突進をやめた。
しかし、魔法の力というより筋力で、ジリジリとクレノ顧問を引きずっている。
「状況ーーーーーーっ!」
だれかが叫んでいる。
お菓子の家の両脚のあいだから、少し遠くにいるハルト隊長の困惑した顔つきが見えた。
「クレノ顧問!」
「俺はいいから、はやく逃げろ!!」
破魔の法はガラスが割れるかのようにもろく崩れ去った。
お菓子の家は動きを止め、ゆっくりと振り返る。
まるで獲物を変えたような動きで、クレノに向きあった。
「————来るなら来いっ!」
クレノは逃げずに杖をむける。
さいわい守護の法がひとつだけ残っている。
それも祈りの期間が短く、無駄だろうが――。
まぶたの裏にワーウルフ討伐作戦の光景が過ぎる。
作戦失敗し、壊走する地方軍がどうなったのか、クレノは知らない。
でも、あのときの失敗があるからこそ……フィオナ姫と、そして、ハルトたちが無事ならそれでいいと思えた。
すべてをなぎ倒す重戦車のように、お菓子の家が押し寄せてくる。
轢かれる直前、クレノは地面に叩きつけられた。
「ぎゃん!!」
情けない悲鳴を上げるクレノを地面に押さえつけ、かばったのはハルト隊長だった。
ハルト隊長は部隊のみんなを逃がした後、自分は逃げずに横手からすべりこむと、クレノをかばってくれたのだ。
お菓子の家はそんな二人の頭上を飛び越し、そして猛然と爆走し、どこかに行ってしまった。