クレノは一睡もできないまま夜明けを迎えた。
生前一番好きな言葉は『明日は明日の風が吹く』だったクレノだが、人生一周目を終え、二周目にして思い返してみると明日に明日の風が吹いたことはなかった。
断言してもいい。そんな風は吹かない。
むしろ『明日はもっと悪くなる』といったことのほうが、実際の人生には
なぜそのことを忘れていたかというと、やはり前世の記憶の存在させたまま、新しい人生がスタートしたせいだろう。
一度目の人生ではこれから何が起きるのかわからず、見通しがないまま手探り状態で生きていかなければいけなかったが二度目は違う。前世ではあれだけ悩まされた人間関係も、赤点まみれだった学校の成績も、どこか
でもそれも、けっきょくは勘違いだった。
とくに人間関係においては自分では関与できない『他者』という存在が介入してくるわけで、それは本来的にコントロール不可能な出来事なのだ。
「おはようございます……フィオナ姫様……。はあ…………」
この日、魔法兵器開発室に現れたクレノ顧問は気力ゼロ、やる気ゼロ、顔色は悪く肌はカサカサになり、髪の毛は灰色がかってみえた。
「なさけないぞクレノ顧問!」
フィオナ姫は、いまにも消え入りそうなクレノ顧問に
「地方軍を壊滅スレスレまで追いこみ後輩が自分を好いていると勘違いしていた上、命を救ってくれた恩人が同僚であることもすっかり忘れ、しかもその恩人が婚約者と別れる原因となったからといってそのように落ちこむとは!」
「いやそれもう十分な理由だと思いますけど……。逆にそれで落ちこまなかったら何で落ちこんだらいいんですか?」
「わらわを見よ! 開発した
「知ってますよ。始末書だってけっきょく俺に代筆させたじゃありませんか」
「もちろん、わらわも自分のしでかした不手際に落ちこんではおる。しかし、わらわはわらわの仕事で! 迷惑をかけた人たちにつぐないをしようと思っておるのじゃ!」
「姫様の…………仕事…………?」
「なんじゃ。なんでそこが疑問なんじゃ。魔法兵器開発に決まっておるであろう」
「だって姫様の開発する魔法兵器は全部
「そんなはっきりと言うでない。……まあ」
自信満々であったフィオナ姫の表情に、不安のかげがよぎった。
「わらわが開発した魔法兵器は二連続でいろんな人に迷惑をかけてしまったからのう……」
「姫様。いろんな人に迷惑をかけたのはお菓子の家と壊してはいけない
クレノの指摘をフィオナ姫は完全に無視し、窓辺にそっとよりそい「ふう」と悩ましげなため息を吐いている。
クレノはその物憂げなまなざしの先に光るベルトや魔人のランプを突きつけてやりたい気持ちになったが、相手は王族だと思うことでぐっとこらえた。
「実はのう、また新作の魔法兵器が出来あがったのじゃが、そう言われてみるとこれも珍兵器かもしれぬ。あらためて考えてみると、なにやら発想も貧弱でオリジナリティに欠けるような気もする。どうせ今度も不採用じゃろう」
フィオナ姫は悲しげだ。
眉毛は隠しておいたオヤツの場所がわからなくなった柴犬みたいな「ハ」の字の形で、いつもキラキラと輝いている青い瞳にはまるで生気がない。
「姫様……」
クレノ顧問は「さすがに厳しいことを言い過ぎたかな」と自分の言動を反省した。
姫様のいいところは元気さだけだ。
元気でなくなったらただのトラブル発生機になってしまう。
「おぬしも興味なかろう……運搬がたやすく、確実な致死性をもちながら、
姫様のぼやきを聞き、クレノは思わず大きな声をあげた。
「えっ!」
「え?」
ふたりは顔を見合わせる。
ワンテンポ遅れて、クレノは言った。
「姫様、それ採用です」
「えーっ!!」
はじめての採用であった。
しかもほかに類をみない高速採用だった。
*
姫様はハンドルがついた金属製の筒と、紫色に染まった気味の悪いリンゴのふたつを取り出してみせた。
「名づけて毒リンゴガスじゃ!」
念のためにガスマスクを装着し、
この新しい発明をクレノ顧問もガスマスクごしに拍手で迎える。
「先ほどの話どおりのスペックなら、これはかなり期待が持てる魔法兵器ですよ。姫様」
「ほんとか!?」
「話しどおりなら、ですけどね。どんな兵器なのか詳しく説明してください」
「うむ。これはな、我が国に伝わる昔話を参考に開発した魔法兵器なのじゃ。そなたも一度くらいは聞いたことがあるであろう。白雪姫と……700人の小人という名作童話を!」
「…………うーん、はい。まあ、知ってるっちゃ知ってます」
ヨルアサ王国にも、こどものための物語がいくつかある。しかし異世界翻訳のこともあってか、クレノが生前親しんだ昔話とはかなり形がちがっていた。
雪のように白い肌の白雪姫や悪い魔女、小人の登場という要素はおなじでも、見ての通り小人の数がやけに多い。
内容もかなり前世と違っている。700人の小人たちはみんな武勇にすぐれた勇者たちという設定になっており、ストーリーラインも悪しき魔女に支配された王国を白雪姫が取り戻す戦記物になっている。
「なぜそんな煮え切らぬ返事なのじゃ」
「いやほらまあその、そういうお話って地方によっては筋が変わったりするじゃないですか」
「おお、確かにそうじゃな。お母さまが生まれた地方では『白雪姫と狩人と占い師と霊媒師と狼』という話が伝わっておるそうじゃ」
クレノはそのバージョンを知らなかったが「人狼みたいだな」と思った。
ヨルアサ王国のお話はやたらと登場人物が多すぎるのが特徴だと言えそうだ。
「いずれにしても話の終盤で、白雪姫が魔女の毒リンゴを食べてしまう流れはいっしょじゃ。この魔法兵器はその話に登場する毒リンゴをもとに開発した。この毒リンゴを金属製のすりつぶし機に入れてハンドルを回すと、毒リンゴが毒ガスとなって噴出するという仕組みじゃ」
「なるほど、リンゴをすりつぶしてジュースにするみたいなもんですね」
「うむ。毒リンゴに使われておる毒は、これは毒というより伝統的な魔法による呪いに近いものじゃ。果汁を摂取することで呪いが伝染するぞ。呪いじゃから土地や空気の汚染といった心配もいらぬ!」
金属製の筒は水筒くらいの大きさだ。
持ち運びやすく、仕組が明らかで誰にでも扱いやすく、しかも丈夫そうだ。
「評価試験がしにくいことだけが問題ですね。動物を使った試験にも限度があるしなあ……、人体実験はなるべくやりたくないですしね。確実な解毒方法があるということなら志願者も集まるとは思いますが」
一応、解毒方法はあるということになっているが、しかしその解毒方法が『確実かどうか』は実験してみなくてはわからないのである。
「あ、そうだ、姫様。死刑囚を使えないかどうか、お父上に聞いてみてくださいよ」
クレノがなにげなく
するとフィオナ姫はツインテールを飛び上がらせたびっくり顔でクレノをまじまじと見つめ返してきた。
「……なんですか? 俺、またなんかやっちゃいましたか?」
「おまえなあ、死刑囚とはいえ人間なのじゃぞ。本人の意志を無視してなんでもかんでもやってもいいというわけではないわ!」
「え~……。どうせ死ぬのに……?」
「こわっ! おぬし、ときどき怖いこと言うよな!」
技術レベルは1700年代後半~1800年代なのに、ヨルアサ王国の人々は倫理レベルだけがやたら高い。むしろ倫理観に関していえば、現代日本のほうがずいぶん後退しているフシがある。クレノとしてはやりにくいが、まあ、いい国だと言えないこともないだろう。
「とりあえず、試験のめどが立つまでは保管しておきましょう」
毒リンゴたちはカギがかかって頑丈なレンガ造りの倉庫にしまうことになった。敷地の端だから、万が一、毒が漏れてもめったなことにはならないはずだ。
ただ、魔法兵器を管理する部署には文句を言われそうだ。