目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第55話 毒リンゴガス②


 ガスマスクをしたクレノと姫様はふたりして毒リンゴを運んでいた。

 姫様は一箱だけ。大半の箱はクレノが持っている。

 毒リンゴの数はなんと60個もあった。


「姫様、なんでこんなに大量注文したんですか? どう考えても食べきれないでしょう。田舎の実家からの仕送りみたいになってますよ」

「じゃって、ダースでしか注文できぬと言われたんじゃもん!」

「じゃあとりあえず1ダースでいいでしょうよ」

「大は小をかねるというじゃろ。余った分はおすそわけでもすればよかろう」

「毒リンゴを?」


 ふたりしてくだらないことをしゃべりながらも、足運びは慎重だ。

 何しろ、箱いっぱいに詰まっているのはリンゴの形をしているだけで、れっきとした毒物なのだ。

 建物から出て運動場を通りがかったとき、進行方向から怒鳴り声が聞こえてきた。


「てめえ! ぶっ殺してやる!」

「うるせえ、てめえが先に死ね!」


 まるで脊髄せきずいが直接話しているかのような、単純明快でレベルの低い罵倒の言葉だった。だが、シンプルなだけに激しい怒りとすごみが感じられる。

 みると、実験部隊の兵士たちが何をするでもなくたむろしている。

 怒鳴り声はそのむこうから聞こえてくるようだ。


「なんじゃなんじゃ、ケンカか? 見に行こう、クレノ!」

「だめですよ。姫様。あぶないです」


 走り出そうとした姫様の前に出て牽制けんせいすると、フィオナ姫は不満げに頬をふくらます。まるで正月のモチみたいなほっぺただ。


「そんな顔したってダメですったら。俺たちはいま、毒ガス兵器を運搬中なんですからね」


 魔法兵器開発局には女性隊員もいるにはいるが、基本的には男所帯だ。

 揉め事はかなり荒っぽい。

 危険には近づかないに越したことはないだろう。


「ほうっておいてもハルト隊長がなんとかしてくれますよ」

「ええ~! 見たいのに~!」

「ケンカなんか見てどうするんですか」

「ケンカと花火はヨルアサの華とか言うじゃろう」

「言いませんよ」

「どうしても、だめ? だめか?」


 フィオナ姫がどうしてもとねだるので、クレノは仕方なく折衷案をだした。


「……わかりました。じゃあ、俺が行って事情をきいてきます。今回はそれでよしとしてください」

「やったあ!」


 妥協したのは、おねだり顔がかわいかったからではない。

 このまま放っておいて、フィオナ姫が勝手に走り出しでもしたら大惨事になる未来が目に見えているからだ。

 クレノは少し離れたところにリンゴの箱を置き、フィオナ姫を見張りに立たせ、揉め事の渦中に近づいていく。


「なにごとか! 毒リンゴ……じゃない。フィオナ姫の御前であるぞ!」


 クレノが声をかけると、兵士たちが振り返って気まずそうな表情を浮かべる。

 人垣の中心では二人の兵士が仲間たちから羽交い絞めにされていた。

 みるとハルト隊長も羽交い絞め要員として頑張っている。

 都合六人くらいに押さえこまれながらも、二頭の若い闘牛のような男たちはまったく闘争心を失っていない様子だ。


「ハルト隊長!」


 いつものように呼ぶと、ハルト隊長が集団から抜け出して、困り顔でやってくる。


「クレノ顧問、お騒がせしてしまってすみません」

「お騒がせレベルでいくと姫様のほうが圧倒的にお騒がせだから大丈夫だ。……が、フィオナ姫が興味をもってて困る。しかもいま、魔法兵器を倉庫まで運んでる最中なんだ。なんでこんなことになってるのか、事情を説明してくれないか」

「といっても、とくに聞いておもしろいような事情はないんですけどね。あの二人はここに来たときから、とにかく気があわないというか。いわゆる犬猿の仲というやつでして……」

「あ~……。ハルト隊長の命令もきかないのか?」

「これまでは私がやめろと言えば一応のところは指示に従ってくれていたのですが。今回は頭に血がのぼっていて話になりません」


 ハルト隊長は苦い顔つきだ。

 ケンカになっているのは若い隊員たちだった。年頃も同じで部屋も同室なのに、何かというと争いが絶えないらしい。

 何度か話しあいの場をもったのだが、関係はよくならず、今日の日を迎えたというわけだ。訓練中にささいなことで言い争いになり、それがあっというまに殴りあいまで発展したらしい。


「性格があわないやつっているからな~……。集団生活をしている以上、どこかで折り合いはつけてもらいたいけど」

「ふたりとも若い隊員ですので大目にみていただきたいところです」

「そのへんの裁量はいつもどおり任せるよ。姫様には適当に言っておくから」


 クレノはその場を離れ、フィオナ姫のところに戻った。

 フィオナ姫はガスマスク越しでもわかるほどワクワクしながら待っている。


「……ということらしいです」

「なんじゃその気の抜けた報告は! ディテールがほとんどないではないか!」

「ディテール? ケンカの詳しい理由とかですか? 大した理由はないと思いますよ。喋り方が気に食わないとか存在自体がわずらわしいとかですよ、きっと」

「それはそうじゃが。もっと、こう、ケンカしておるふたりの容姿とか、年齢差だとか、性格の違いだとか、あるいは出身だとかそういうのじゃ」

「プロフィールってことですか?」

「うむ。そういう細部に神が宿ると侍女たちが申しておったぞ」

「神? なんの神です? ケンカの神とか?」

「わからん」

「なんで姫様がわからないんですか……」


 クレノはぶつくさ言いながらまたケンカの現場に戻っていく。

 ハルト隊長は再び羽交い絞め担当に戻っていた。

 魔法兵器開発局の実験部隊は寄せ集め部隊で、年かさの隊員が多いため、力の強い若者を押さえておくのは大変な仕事だ。


「ハルト隊長、そのままでいいから追加の質問に答えてくれ」


 クレノは言われた通りのことを聞き、姫様の元にもどった。


「ケンカをしているのはケイジ隊員とユーリ隊員。性格はケイジ隊員が気が強く、ユーリ隊員は知的で落ち着いたタイプだそうです」

「ほう、顔立ちはどんな感じじゃ」


 フィオナ姫はなぜかメモを取りながら聞いていた。


「えー……ケイジ隊員は運動部にいそうな暑苦しい感じですね。ユーリ隊員は爽やかな風貌で、女性に好感をもたれやすいタイプだったと思います」

「ふむふむ」

「出身地はバラバラで共通点はこれといってないそうです。ケイジ隊員はどちらかというと実技が得意ですが、座学や資格試験の結果でユーリ隊員に先を越されているのでコンプレックスがあるみたいですね」

「ふむふむ。なるほど……。ユーリ隊員にコンプレックスをぶつけるケイジ隊員であるが、ユーリ隊員は隊員でまわりとなじみにくい堅い性格を気にしており、ふたりはケンカの末におたがいを理解しあい、距離を縮め、唯一無二の相棒となっていく……そういうことじゃな?」

「え? そうなんですか? なんで未来のことまでわかるんです?」

「わからぬ。わからんが、侍女たちに言わせるとそういうことらしいぞ。こういう話をしてやると侍女たちは妙によろこんで、夜中におやつを食べていても見逃してくれるのじゃ」

「ええ? それ、スパイじゃないんですよね」

「クレノ顧問は疑い深すぎじゃ~」


 ふたりは木箱を抱え、ふたたび倉庫を目指して歩きはじめた。


「フェミニのことも疑っておったではないか。好意を勘違いしたあげくスパイの疑いをかけるなんて最低じゃぞ、クレノ顧問」

「なっ……! ち、ちがいますよ。それとこれとは関係ないじゃないですか。だいたいですね、フェミニだって当時はだいぶ思わせぶりなことを言ったりやったりしていたんですよ」

「あっ、その言いわけはよくないやつだぞ!」


 フェミニの話題で気がそれたからだろう。

 クレノ顧問は背後で騒ぎが大きくなっていることにまったく気がつかなかった。

 先に気がついたのはフィオナ姫だった。


「く……クレノ顧問、うしろうしろ!」


 振り返ると、突き飛ばされた隊員が、こちらに向かって倒れてくるところだった。


 すべてがスローモーションに見えた。


 倒れてきたのはさきほどケンカをしていたケイジ隊員だ。

 いきなりのことにフィオナ姫をかばうのが精いっぱいだ。


 クレノとフィオナ姫が取り落とした木箱から、毒リンゴが転がり出す。

 駆け寄った実験部隊の兵士の足が転がるリンゴを踏みつけ、果汁が吹き出すのが、はっきりと見える。

 果汁は噴出したあと、さらに細かい粒子になり空気中に飛散していく。

 瞬間、クレノは叫んだ。


「状況、ガス! これは毒ガスを発生させる魔法兵器だ!」


 そう言われても近くに人数分のガスマスクがあるでなし、離れるほか対策の取りようがない。

 リンゴの近くにいたケイジ隊員、ユーリ隊員、それからふたりを止めようとしていたハルトたちは絶望的だ。

 リンゴガスは、ほのかに酸味のあるリンゴの香りが広がるだけで刺激臭や味はしない。だが、ひと息吸いこむだけで永遠の眠りが約束される強力な毒だ。

 すぐに解毒しなければ大変なことになる。


「たいへんだ。姫様、解毒の方法を教えてください」

「うむ。解毒の方法は……キスじゃ!」

「キス…………キス?」


 姫様が堂々と言い放った衝撃の解毒方法に、クレノは二度いた。

 姫様は深くうなずき「キスじゃ」ともう一度言った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?