「夢?」
「そうじゃ。わらわにも、夢があるのじゃ。まずはこの魔法兵器開発を成功させ、シンダーナ神聖帝国をぎゃふんと言わせたい。そして、ヨルアサ王国の民を守りたい!」
「ですから、それは姫様じゃなくても——」
「いや、わらわがせねばならぬのじゃ。だって、わらわはいつかヨルアサ王国の国王になるのだから!」
「国王?」
クレノははっと息を詰める。
フィオナ姫の表情はいつも通り
「うむ。わらわはヨルアサ王国初の女王になりたいのじゃ!」
——女王。
その言葉が、クレノの胸の、ありえない場所にすとんと落ちる。
それから、全身から汗が吹き出す感覚がした。
冷や汗なのかなんなのかは、自分でもわからない。
混乱していることだけは確かだ。
「いや——いやいや! 何を言ってらっしゃるんですか。次の王様は、どう考えてもカイル王子でしょう!?」
クレノはつい大きな声をだしてしまう。
そして、あわてて口を両手で押さえた。
こんな話、だれかに聞こえでもしたらとんでもないことになる。
それをわかっているのかどうか、フィオナ姫は自信満々、大真面目に話し続ける。
「うむ。であるからして、カイルお兄さまには、いずれかの段階で継承権の順番をゆずってもらうことになるであろうな」
「————そんなこと。ほ、本気で言っているんですか?」
「もちろんじゃ。それがわらわの夢じゃ!」
「な、なんで……?」
「うーん、そうじゃなあ。理由はいろいろがあるが……やっぱり、お母さまに喜んでもらうためというのが一番大きいかのう」
「お母上……。王妃様ですか?」
「うむ。お母さまは、父王様の第三王妃じゃ。カイル王子やルイス王子とわらわは、腹違いの兄妹ということになる」
フィオナ姫の口から語られる大それた夢の理由を、クレノはなかばパニックになりながらも真剣に聞いていた。模擬試合のときは『ルイス王子に野心があるかも』などと口にしていたが、場合によっては自分の仕える主君のほうが、とんでもない野望を抱いている可能性があった。
「そして、お母さまはほかの王妃様と違い、ひとりだけ民間の出なのじゃ」
「つまり第三王妃さまは後宮でのお立場が弱い、とかですか……? だから姫様が即位なさって、王妃様の地位を上げようとかいうお考えで?」
「いや? お母さまは父王様にめちゃくちゃ愛されており、新しい離宮まで建ててもらって平和に暮らしておるぞ。ちなみに王妃様方はとってもなかよしじゃ!」
「————じゃあ姫様が女王にならなくてもいいじゃないですか!」
「なぜじゃ。娘が女王に即位して、よろこばぬ母親はおらぬじゃろう!」
「それだけ!?」
「それだけじゃ。何か文句あるのか?」
まさかの『親孝行』レベルの話に、クレノは
「そんな理由で継承権をあっちこっちしないでください!! カイル王子が継承権を放棄するだけで、国内は大混乱になるんですよ!? 言っちゃなんですが、カイル王子やルイス王子はとても優秀です。姫様が出る幕はありません!」
「じゃあって、それがわらわの夢なんじゃもん」
「もんとか言わない!」
フィオナ姫はふたたび両頬を正月のモチのようにふくらませた。
それから、少しだけ不思議そうな顔つきになる。
「そんなに、わらわがヨルアサ女王になるというのはおかしな話かのう……?」
「ええ、おかしいです。ほかの王子様や王女様をさしおいて……できるはずがありませんよ」
「たしかに、ふたりの王子は優秀じゃ。カイル王子は軍神のように言われておるし、ルイス王子は魔法の達人……。それだけでなく、じつを言うと、ほかの王子や姫も粒揃いじゃ。第三王子は数学が得意で、数百年前の曜日を暗算で割り出せるほどじゃ。第一王女は社交界で知らぬ者はないし、第二王女は男装して海軍にもぐりこみ、かなりいいところにいっとる。まだ小さい王子や姫も、それぞれ才能の
「じゃあダメじゃないですか」
クレノがあっさり切りすてるとフィオナ姫は
かわいそうだが、これは国を左右することだ。
「姫様。俺は、姫様は十分に頑張っておられると思いますよ。でも——女王になるということは、それだけ責任のある立場になられるということです。
クレノははっきりと言った。
するとフィオナ姫は何か言いかけた。
だが、それは結局言葉にはならず、つらそうな顔で目をふせただけに終わった。
「そうか……つまらない話をきかせてすまなかった。忘れてくれ」
傷つけてしまっただろうか。
だがクレノとしても、これは言っておかなければいけないことだった。
かつて自分がしでかしたことが、何を引き起こしたかがわかるからこそ……だ。
*
それからクレノは自分の部屋に戻ったが、いっこうに仕事が手につかなかった。
ぽんこつの代表みたいなところがあるフィオナ姫が女王を目指しているというのは、クレノにとって本当に寝耳に水、驚き以外の何ものでもない。
だが、そう考えれば、あの無鉄砲ぶりに納得がいかないでもない。
フィオナ姫は、魔法兵器開発を女王になるという目標の足掛かりにしようとしていたのだ。
「だけど……さすがに姫様に国王なんてつとまらないだろ……」
それは、あまりにも無謀な夢だった。
しかも理由だってかなりくだらないものだ。
何かのっぴきならない事情があってというならまだしも、親孝行のためとは。
母親想いなところはいいが、そんな理由にふり回される大勢のことを考えてほしい。
そう……。
つまり姫様の夢は、かつてのクレノの夢と同じなのだった。
『横田への復讐』とかいうくだらない理由でつくられたパンジャンドラムによって、たくさんの人が迷惑をこうむったあの一件だ。
クレノはいすに深く腰掛け、壁に飾られた二重歯車のエンブレムを見上げた。
二重の歯車は魔法兵器開発局のエンブレムだ。
それはクレノが顧問として就任する際、フィオナ姫がパンジャンドラムを参考にデザインしたものだった。
このデザインを見る度、クレノは苦い失敗を思い出す。
同じ失敗をフィオナ姫にはさせたくない。
責任の重さがわかるからこそ、クレノはあの場で止めなければいけなかったのだ。
夕方の五時頃になり、カレンが扉を叩いた。
「クレノ、姫様が王宮に帰るってよ。見送らなくていいの?」
「もうそんな時間か……。今日は見送れないって言っておいてくれ」
いつもはあいさつに出るのだが、つらそうな表情を見たあとでは顔をあわせる気にはなれなかった。
正直、明日どんな顔をすればいいかもわからない。
「もしかして、ケンカでもした?」
「!」
女の勘というやつだろうか。
カレンは妙に鋭かった。
「…………わかる?」
「まあね。つきあい長いから、わかっちゃうんだな。あんたもさ、妙に頑固なところがあるからね。何かに夢中になると、まわりのことが全然見えなくなるっていうか。フェミニのこともふくめて、そういうところあるよね、昔から」
「うっ」
さすが、旧友である。
ピンポイントでクレノの痛いところを突いてくる。
カレンは何がおもしろいのか、クレノの気まずそうな表情を見て笑っていた。
「でも、それがクレノのいいところでもあるんだよ」
「カレンも知ってるだろ。俺が地方軍で何をしでかしたか」
「うん、まあ噂ではね。でも……私にとってクレノは今も昔も大事な友達だよ。立場とか階級とか、クレノがどんなことをしたかとか、そんなの関係ない。魔法学校時代、私とつるんでくれたのはクレノなんだから」
「俺なんか、普通じゃん。イケメンでもないし、とんでもないことやらかすし」
「馬鹿だなあ。普通でいいんだよ。むしろ普通だから、友達なんだよ」
カレンはそう言って部屋を出ていく。
それは、クレノにとっては思ってもないような言葉だった。
クレノが何をしたかなんて関係ない。
友達は友達。
クレノはしばらく何も考えられないまま呆然としていた。
そして、すべてを投げ出して部屋を飛び出した。