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第77話 美しくなるブラシ⑤


 カレンの報告は正しかった。

 営門前にボコボコに殴られて血塗れになったエルメス曹長とシャネル軍曹が倒れていた。

 血まみれの拳で、シャネル軍曹の襟首を掴んで立っているのは殺人鬼……ではなく、普段の穏やかさや人当たりのよさからは全く考えられない、絶対零度の、見る者すべてをこごえさせるような無表情を浮かべただった。


「ひいっ……。ハルト隊長、何やってるんだ!?」


 クレノの姿を見たとたん、ハルトはいつもの好青年の表情に戻った。

 戻ったとは言っても、顔には飛び散った血がついているので、どちらかというと正体を現した連続殺人鬼という感じだ。


「あ、クレノ顧問~~~~! 侵入者ですよっ! 侵入者! 何ものかが、エルメス曹長たちの軍服を盗み、なりかわっているんですよ!」

「え? 侵入者? そんなわけないだろ……正気になれ、それはエルメス曹長とシャネル軍曹だ。毎日いっしょに過ごしている俺たちが見間違えるはずないだろう」


 クレノは思わず後ずさった。

 他の隊員たちもハルト隊長の突然の暴力が怖すぎて、わけのわからない理由を並べてその場をやり過ごそうとしているサイコパスにしか見えず、遠巻きにしている。


「何をおっしゃっているんですか、クレノ顧問! よく見てください。コレがシャネル軍曹なわけがないじゃないですか! シャネル軍曹はこの基地で誰よりも顔がでかい男なんですよ!?」


 クレノ顧問は突き出されたシャネル軍曹の顔をマジマジと見つめる。

 ボコボコに殴られたせいで、まぶたも唇もパンパンに腫れてはいるが、しかし。


「…………頭が前より小さくなって……いる……!?」

「それにズボンのサイズもです!」

「えーっ! 本当だ!! いつの間にかモデル体型になってる!! なんで!?」


 クレノ顧問はうしろを振り返った。

 七頭身で、すらりと長い手足をして、少女漫画のように華やかな容貌をした隊員たちは、それぞれ小さな花模様を周囲に飛ばしながら口笛をふいたりしてごまかそうとしている。

 だが、そんな乙女ゲームの攻略キャラみたいな顔や体型の隊員は、数週間前には(ハルト隊長以外)いなかったはずだ。

 クレノ顧問の頭の中で、すべての違和感が結実する。

 微妙にズレていたピースがはまっていく感覚があり、なぜこんなことになったのかという解が、雷に打たれたかのように素早く強烈に頭の中でひらめいた。


「お前たち……『美しくなるブラシ』だな…………!?」


 お忘れかもしれないが、クレノ顧問も北部地方軍で、それも一時期は魔法使い兵として働いていた立派な職業軍人である。

 彼は北部を支配する狼の形相となり、杖を抜いてみせた。


「焼き滅ぼされたくなければ、仔細報告を述べよ。いますぐにだ!」


 グーで殴られてもすぐには死なないかもしれない。

 だが炎の魔術で焼かれたら、死ぬ。

 隊員たちは涙ながらに助命を乞い、我先にとエルメス曹長とシャネル軍曹の悪事を暴露しはじめた。


 エルメス曹長とシャネル軍曹は、腫れあがった顔をふたつ並べて、すべての悪事を認めた。

 彼らは『美しくなるブラシ』がとんでもない効果を秘めていることに気がついていながら、それをあえて黙っていたばかりか、クレノの目をごまかそうとしていたのだ。少しずつ少しずつ変化していく隊員たちの容姿や体型についてクレノは気がつくことができなかった。

 しかし遠い北部まで出かけていて、その期間の変化を見ていなかったハルト隊長には通用しない。

 帰ってくるなり、すぐにその変化に気がついた。

 ただし、目の前にいるのがエルメス曹長とシャネル軍曹だということまでは気がつけなかった。

 ハルト隊長が見たのは、彼らの軍服を着た、見たこともないような兵士たちの姿である。

 そのことに気がついた瞬間、ハルト隊長は『エルメス曹長のニセモノ』につかみかかってなぎ倒し、「侵入者!」と叫んだというわけだ。


 すべての事情を聞いたクレノ顧問が段々と氷の狼モードになっていったのに対し、ハルト隊長は『自分がボコボコに殴ったのはホンモノの自分の部下である』という事実に気がつき、申し訳なさで泣きそうな顔になっていた。


 そんな顔をする必要は全くない、とクレノは思う。


 すべてが明らかになった後、クレノは支給していたブラシを全部回収した。

 エルメス曹長とシャネル軍曹は土下座をして詫びを入れてきたが、その詫びの内容が、


「お願いです、クレノ顧問、ブラシを没収するのだけは……!」

「自分らはどうなっても構いませんから、それだけはやめてください!」


 ……というものだったからだ。


「このにおよんで、反省のかけらもない! ヘタしたら、人相にんそうが変わったまま一生戻らないかもしれないんだぞ!! これは全部処分する!!」


 クレノはそう言って、回収したブラシを一本ずつ、火にくべて燃やしていった。

 炎に包まれて消し炭になっていくブラシを見て、エルメス曹長をはじめとする実験部隊の隊員たちは悲鳴を上げ、すすり泣いていた。模擬試合で負けたときですら、つらい表情を浮かべなかったおじさんたちが身も世もなく涙を流してその喪失を悲しんでいるのである。


「まったく、なんて奴らだ!」


 ブラシを焼きながら憤慨するクレノ顧問であったが、ハルト隊長は胡乱うろんげな顔つきでクレノを見つめている。


「……これは言おうか言うまいか迷っていましたが、クレノ顧問もクレノ顧問ですよ。顧問は、ちょっと他人のことに興味が無さすぎです」

「うっ」


 クレノはうめいた。

 何しろ巨漢がパリコレモデルになるくらいの変化があったのに、まるで気がつかなかったのだ。いくらエルメス曹長とシャネル軍曹の二人が気づかれないように色々と画策していたといっても、限度というものがある。


 元からよく見ていなかったのではないか——? その指摘はごもっともだ。


 あまり他人に注意を払わず、深く考えない性格だからこそ、フェミニとの確執を生み、そしてハルト隊長が過去に自分の命を救った恩人だということにも気づけなかったのだから。


「それは……ゴメン……。俺って、本当に魔法兵器のことしか考えてないんだな……。姫様のことを笑えないや」

「その一生懸命さが武器になることもありますが、えてして、人はひとりでは何事もなせないものではありませんか?」

「そうだと思う。俺ひとりの魔法兵器開発局じゃないんだもんな」


 クレノはブラシを眺めた。

 それが最後の一本だった。

 ふとアイデアがひらめく。


「——あのさ。これって『美しくない』ものを『美しくする』ブラシなんだろう? じゃあ、元から美しい人間に使ったらどうなるんだ?」

「えっ?」


 クレノはじっと、ハルト隊長の、男らしく整った顔立ちを見つめていた。



 *



 クレノが基地の運動場でたき火をしていたのとほぼ同じ頃。


 くしくも、『美しくなるブラシ』の開発者であるフィオナ姫も、クレノ顧問とまるで同じことについて考えていた。


「これって、元から美しい者に使うとどうなるんじゃろう。気になるのう」


 フィオナ姫はこのとき王宮にいて、食堂を通りがかったところだった。

 この食堂は、王様の子どもたちである五男四女が集まって食事をする場所だ。本来は王妃さまごとに別の宮殿があるのだが、大家族すぎて食事の準備が大変になり、一か所にまとめられたのである。

 まだ食事時ではなかったが、食堂にはルイス・リンデン・ヨルアサ王子の姿があった。長いテーブルの一席にすわり、新聞を読み、そのままうたた寝をしてしまったようである。

 フワフワしたミルクティ色の頭がこっくりこっくりと揺れている。

 フィオナ姫は、靴を脱いで、ドレスのすそをたくし上げた。

 そしてブラシを持ち、ルイス王子の背後へとゆっくり近づいていく。


 その頭にブラシが触れた瞬間、強い光が『カッ』と発生した。



「ぐ、ぐわーーーーーーーーっ!」



 光はまばゆく、強く、王宮をまるごと包み込むほどに広がった。



 王国歴435年、兜虫の月28日。

 この日、ヨルアサ王国の太陽は三つになったという話である。

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