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【番外編②】祈りについて(第26話後)


 クレノ顧問がマッハじゅうたんから落下し、瀕死の重傷を負った後のことだ。


 魔法兵器開発局で『魔法に関する基礎講習』が行われた。

 参加希望者を募ったところ、数十名からの応募があったので、ひとまずフィオナ姫とハルト隊長が代表して講習を受けることになった。

 クレノ顧問としては「お前ら全員、魔法兵器開発局に何をしにきたんだ」と詰めて回りたいところだっただろう。

 他の者についてはハルト隊長と手分けして基礎知識だけでも叩きこんでいくしかない。


 昼下がりの講義室には、ノートを広げたフィオナ姫とふたりが並んでいた。

 黒板の前に立って講義をするクレノ顧問はまるで先生のようだ。


「まず、魔法を使うために必要なのがつえです。魔法使い兵用の杖は長さや重量が統一された規格のもの——つまりみんな同じ杖を使います」


 クレノはホルスターから自分の杖を引き抜いてみせた。

 長さは四十センチほど、形は指揮棒に似ている。

 持ち手のところには銀細工チャームや、落下防止のハーネスをぶら下げるリングがある。

 クレノのチャームは狼である。


「このチャームは所属する部隊を示します」


 そういうと、フィオナ姫の目がきらきらと輝いた。


「おお、そういうものがあるのか。それじゃ魔法兵器開発局のものも作らないといけないのう!」

「歯車なんて嫌ですよ」

「なんでじゃ!」


 フィオナ姫を無視して、クレノは袖口から、腕に取りつけるタイプのホルスターをハルトに見せた。


「——基本的に、魔法使い兵は杖がなければ魔法を使うことはできません。無力化するなら杖が最優先。ただしホルスターには種類があって、服の下に隠していることもあるから注意な」


 袖の中にしまわれると杖は見にくくなり、完全な死角から魔法を撃たれることもあってかなり危険だ。

 ハルト隊長は真面目にメモを取っている。


「なんで無視するんじゃ!?」

「はい、じゃあフィオナ姫。俺たち魔法使い兵が魔法を使うために、毎日必ずすることを教えてください」

「それは知っとるぞ。簡単じゃ。……じゃろ?」

「はい、そうです。この世界における魔法はすべて神聖魔法、つまり神々が人に与える加護です。欲しい魔法があれば、神様にもらうしかありません」


 クレノたち軍に所属する魔法使い兵は、朝と夕に必ず神々に祈る。

 三ヶ月ほど祈りをつむいで、ようやく現実的な強度の魔法が完成する。


「魔法の力は祈りの時間が長ければ長いほど強くなります。休みなくずっと祈り続けることができれば、それだけ強い魔法が使えます。王宮などで王族方の側仕えをする方々は、おつかえする主人のために絶えず癒しの祈りを続けるといいますね」

「クレノ顧問、そなたもわらわのために祈っておるのか?」

「え?」

「なんで疑問形なんじゃ。忠義のかけらもないやつじゃな」

「俺の癒しの法がすぐストック切れになってしまうのは、フィオナ姫がすぐ無茶をさせるからですよ。——それに、ただ長く祈ればいいというものでもありません。長い祈りをかけた魔法は強力ですが、発動する際に精神がやられて廃人になってしまうことだってあるんですからね」

「こわ~!」


 そういう危険性を無視して祈り続けるから忠義なのだが……。

 クレノは黙っておいて、講義を続ける。


「いちばん大事なことは、ストックの数です。ひとりの魔法使い兵が使える魔法の数は平均して四個から五個。どんなに多くとも六個から八個、それをこえると天才と呼ばれる範疇に入っていきます」


 魔法は一度使うと、祈り直しになってしまう。祈りには集中力を要するため、再装填までに時間がかかるのが欠点だ。


「戦場では、俺みたいな固有魔法持ちでなければ、そうそう魔法を連発なんてできません。祈り直しが難しいですからね」

「そう言われると、どれほど魔法が貴重かわかるってものじゃのう……」

「ですから魔法兵器の開発が急がれるわけです。魔法兵器にはストックという概念はなく、兵器そのものが破壊されるまでは何度でも使用できます」

「なるほど。魔法兵器があれば、魔法使い兵はいらないな」

「厳密に言えば、魔法使い兵でなければ使えない魔法兵器などもありますが、特殊なケースなので今は無視してくださって結構です。俺たちが開発すべきは、すべての兵種で使用可能な魔法兵器ですから」

「ふむふむ、勉強になるのう!」


 フィオナ姫はクレノから聞いた話を熱心にノートに取っていく。

 そして、首をかしげた。何かひらめいたのだろう。


「……クレノ顧問。少し疑問なのじゃが」

「なんでもどうぞ」

「戦場では祈りによる魔法の再装填がむずかしいと言っておったが、少し工夫すればなんとかなるのではないかのう。たとえば魔法使い兵だけ後方に下がらせるとかすれば再装填できるのではないか?」

「もちろんそういう運用方法もありますが……。現実的には難しいでしょう」

「なぜじゃ」


 クレノ顧問は少し間を開けて、微笑んだ。


「戦場は騒がしく、集中力が維持できませんし、神々が血や鉄のけがれを嫌いますからね」

「ああ、なるほど。お兄さまはしょっちゅう水垢離みずごりをしてらっしゃるが、戦場ではそういつも身ぎれいにするわけにはいかぬものな。浅学であった」

「ではこれにて初級講座を終わります。——それじゃ、ハルト隊長、ほかの隊員に教える際に何か質問があるようなら俺のところに来てくれ」

「はい……」


 予定した終了時刻にはまだまだ余裕を残し、クレノ顧問は部屋を出て行った。



 *



 その後、ハルトはクレノ顧問を探していた。

 誰にも行き先を告げて行かなかったようだ。探しあぐねて総務部にカレンの姿を訪ねて行くと、彼女だけはクレノ顧問の居場所を知っていた。


「クレノ? どこにもいないの? なら……第四倉庫の裏にいるよ。でも今は行かないほうがいいかもね」

「なぜです?」

「んー……なんとなく」


 もちろん後でも構わないような用事なのだが、カレンの言い方が気になって倉庫に足を向けた。

 すると、積まれた資材の上に軍服の上着が無造作に置かれているのが見えた。


 黒地に銀の刺繍。狼の紋章が入っている。

 魔法兵器開発局のものではなく、地方軍の制服だ。

 これを着ているのは、この基地ではクレノ顧問しかいない。


 倉庫の裏を覗くと、カレンが言ったとおり、クレノ顧問の姿があった。

 置き去りになった上着のように、資材に腰かけてぼんやりとしている。


 指先には珍しくがあった。


 火をつけた様子はなく、ただ指に挟んでぼんやりしているだけだ。

 ハルトは迷い、何度か戻ろうとして、でもできなかった。


 ハルトは黙ってクレノの隣に腰かけ、マッチを擦った。

 火を差し出すと、クレノは指に挟んだままだった煙草たばこをくわえ、それを受けた。


「吸われるんですね。どんなに誘われてもお酒はお召し上がりになりませんのに」

「ん~……いや、吸わないよ。でも、ときどきね」


 そのときどきがどんなときか、ハルトは考える。


 それはハルトにとっては、塹壕ざんごうで砲撃の音を聞きながら震えているときだったり、ともに警邏けいらについていた仲間が魔物に襲われて、一瞬で命を奪われたあの夜だったりする。

 クレノ顧問にとっても同じかどうかはわからない。


 だが、をしていると、とても神には祈る気分になれない日があると思う。


 祈りを使い尽くし、戦場から後方に下げられた魔法使い兵が……再び神に向かいあい、同じことを祈れるものだろうか。


「姫様にはああ言ったけど……」


 クレノ顧問が言う。

 ハルトは少し緊張して言葉の続きを待った。

 倉庫裏の狭いスペースには、案外と明るい陽射しが落ちている。

 名前の知らない小鳥が外壁の上をちらほらと飛びかい、そこに留まった。

 そして小気味よく動くかげを地面に落とし、不意に羽ばたいて去っていく。


「——実は、姫様のために続けている癒しの祈りがひとつあるんだ。内緒にしといてくれ」


 クレノ顧問はそう言って、ためらいがちに笑ってみせた。



『祈りについて』了

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