クレノたちが連れて行かれた先では、兵士が
何を言っているかまったくわからないと思うが、そうとしか表現することばをクレノ自身がもたなかった。
なぜか、兵士が口から大量の水……いや、湯を大量に吐いている。湯といっても、お風呂にちょうどいいくらいの熱さである。
「何これ、どーなってんの!?」
カレンが戸惑いながら口にしたセリフは、クレノとほとんど同じ気持ちだった。
まるで兵士の口から温泉がわき出しているみたいだ。
かなり苦しそうだが、取り巻いている兵士たちは体を支えてやる以外は何もできないでいる。
「わらわの開発した『
フィオナ姫が手の平にのせてみせたのは、直径一センチくらいの白くて丸い
それを見せたとたん、なぜかフェミニが「あっ」と声をあげる。
クレノはそれを無視し、まずはフィオナ姫に事情をきく。
「なんですか、これは?」
「これを土に埋めて水をかけると、大量の湯がわくという発明品じゃ。戦地でも、兵士たちの入浴が可能になるというすぐれた魔法便利道具じゃ。ブラシでは体の疲れまでは取れぬからの」
「なるほど、それを食べ物とまちがえて飲みこんだのか。湯量はどれくらいです」
「大勢の兵士たちがいっぺんに入浴できるよう設計してあるから……一時間くらいは湯がわき続けるはずじゃ」
淡々と説明するフィオナ姫。
そのとき、フェミニが青い顔をして引きつった声を上げた。
「わ、わたしのせいです……!」
なぜフェミニのせいなのかはわからないが、事態には少しの
マーライオンとか言ってるが、普通に吐くのとは違って、連続して湯が出るから呼吸を確保できない。放っておくと
「ハルト隊長、ほかにタブレットを飲んだものは?」
「四名おります」
「そんなにか……絶対に水を飲ませるなよ。すぐに吐かせろ、ダメなら回復体位を取らせて吐きやすい姿勢にしろ。俺は癒しの法を連射して酸欠状態をなんとかする。足りないところは、すまないがカレンとフェミニで癒しの法のストックを切ってくれ」
「わかった!」
クレノは杖を抜き、溺れ死にそうになっている兵士と向き合う。
「癒しの法——
魔法により、一時的に酸欠が回復する。
しかし、タブレットの効果は止まらない。
すぐに大量の湯が押しよせてくる。
「
癒しの法を連射して、なんとか呼吸を保つ。
この状態でお湯が途切れるのを願うしかないが、そうしているうちに、ほかの兵士が飲みこんだタブレットが湯を吐きはじめた。
胃の中の水分と反応したのだ。
そもそも水分を摂取できないので、胃や喉を刺激して吐かせる方法もうまくいかない。
水分と反応するのはやっかいすぎる。
「
「癒しの法、
クレノの手が回らないところをカレンがカバーするが、カレンはクレノのような固有魔法を持たない。
ストックが切れればそれでおしまいだ。
「がんばれみんな、すぐにお医者様が来てくれるからのう!」
姫様がはげます。
しかし医者が来てくれたとて、この状況で何かできることがあるだろうか。
「だめだ、クレノ、次が最後のストックだ!」
カレンが泣きそうな顔で叫んだとき、さらにもうひとりが湯を吐きはじめた。
「フェミニはどこだ!?」
現場のパニックが最高潮に達したときだった。
「わたしが——なんとかしますっ!」
ふりかえると、いまにも泣き出しそうな顔のフェミニが立っていた。
その手にはクレノの部屋にあった『
フェミニは地面に羊皮紙を広げ、クレノの道具を使ってそこに記された祈祷文をすばやく書き換えていく。
「えっと、これがこうで、あれがああだから……っ。固有魔法、
フェミニは書き換えた祈祷文を『どこにでも窓』にかさね、『模倣』の固有魔法を発動した。
するともう一枚、見た目は同じ窓ができる。
「即興ですが、これで
フェミニは新しくできた『窓』を、湯を吐いている兵士に立てかけて一瞬だけ窓を開いた。
そして、よく消毒した手で中にあるタブレットを摘まみ出す。
それを五人分くりかえし、ようやく、わき出していた温泉は止まった。
これはヨルアサ王国初の開腹外科手術、その成功例であった。
……が、そのことにクレノたちが気がつくのはもうしばらく後のことである。
*
温泉タブレットを誤飲した兵士たちは念のため、病院に運ばれていった。
「ごめんなさい。わたしのせいです~~~~っ」
フェミニはその瞳からとめどなく大粒の涙をこぼしていた。
話をきくと、フェミニはここに来る手土産に魔法開発局が開発した『栄養剤』を持ってきていた。それが、見てみると『温泉タブレット』と大きさも色も形もそっくりな錠剤なのだった。
どうやら兵士たちは栄養剤とタブレットを見間違え、誤飲してしまったようだ。
最悪のタイミングで起きた最悪の事故だった。
「いや……これは……。兵士たちに支給する物の用途や形状について管理しきれなかったこちらにも非がある。当然予測出来ていていい事態だった。それに、フェミニがいてくれたおかげで、死者はひとりも出なかった」
「わらわの兵たちを救ってくれて、感謝しておるぞ、フェミニ殿」
クレノとフィオナ姫からのなぐさめも、フェミニにはまるで届かない。カレンに背中をなでられながら、まるで幼い子供のように「ひっくひっく」と
袖口で涙をぬぐっているので、もうぐちゃぐちゃだ。
クレノは見るに見かねてハンカチを差し出した。
「……洗った直後で一度も使ってない。清潔なやつだから」
フェミニは涙目のままハンカチを受け取る。
「ほ、ほんとうにごめんなさい……。わ、わたし……ルイス王子様から、みなさんのところで魔法兵器開発のノウハウを学んでくるようにって言われていて……。わたし、魔法のことはできても、魔法兵器のことはぜんぜんわからなくて……だから、はやくみなさんと打ち解けなきゃって思ってたんですけど。センパイにはキツいこと言っちゃうし、姫様にもなんか避けられてるかんじもあるしで……どうしていいかわからなくって……!」
それで手土産を持ってきて、魔法兵器開発局の研究成果を見せてほしいと言っていたようだ。
クレノはフィオナ姫と顔を見合わせる。
「これは……もしかするともしかして、と思うのじゃがな、クレノ顧問」
「はい。フェミニはどうやら
フェミニは確かにクレノのことを嫌っている。だが、ここには大切な幼馴染であるカレンだっているのだ。
前々から、平気でスパイ行為に及ぶというのは考えにくいと思っていた。
「木馬軍馬の件ってなんですか……?」
「フェミニ、実はな」
クレノは姫様が開発した『木馬軍馬』をベースにルイス王子が魔法動力機関を開発したことを話した。
「それじゃ、まさか『食べられるシャツ』も……? なんだかやけに発想が似てる気がするとは思っていましたが……」
「そうだ。ルイス王子は、フィオナ姫の教育をうたって、うちの研究成果をパクっているんだ」
「そんなっ……! 王子はとても才気にあふれた方ですよ。それなのに他人のアイデアを盗むだなんて、そんなひどいこと……するようなお方じゃ……」
フェミニのセリフは尻切れトンボになり、最後は明確に口ごもった。
ひどいことはするんだな、とクレノは思った。
「だから、フェミニにこれまでの研究成果を見せないようにしていたのは、俺とのこと……魔法学校時代の確執のせいではないんだ」
「それじゃあ、わたしはこれまで全然見当ちがいのことを考えてたってことですか?」
混乱するフェミニに、カレンが話しかける。
「ごめんね、フェミニ。フェミニは嫌がるかもしれないけど、あんたがクレノのことをどう思っていたかは、あたしの口から伝えちゃったんだ。それで、クレノは過去のことを反省して自分から距離を取っていたんだよ」
「そ、それなのに、わたしは変に勘ぐって、昔のことを蒸し返してたってこと……?」
「そういうことになるかなあ……」
「ば、ばりばりに仕事に私情をもちこんでるのは、ほかでもないこのわたしってこと……?」
「ん~……そういう見方も……あるかな……」
「そんな。わたし、いったいどうすれば……」
フェミニは口を半開きにしたまま、固まっていた。
そのあいだ、彼女が何を考えていたかは、誰にもわからない。
「まあ、フェミニをスパイに仕立てたのは、わらわの兄、ルイス王子のしたことじゃ。いつかお兄さまとはそのことで話をせねばならぬと思うておった。これもよい機会じゃろう。フェミニは、今までどおり知らず存ぜぬでよい。お兄さまとの話はわらわのほうでつけておく」
「良いのですか、姫様」
「それがものの道理というものじゃ」
フィオナ姫がそう言うと、しかし。
「いいえ、それでは道理が立ちませぬ」
フェミニがそれまでとは全く違う、重苦しい声音で言う。
それまで泣きじゃくっていたフェミニの涙はすっかり引っこんでいた。
「センパイ。センパイがおっしゃっていた件は、このフェミニが万事全般整えてさしあげます。それから、パクリの件も、王子には
「フェミニ……何を言ってるんだ。相手は第二王子だぞ」
「わかっています」
「本当にか?」
「もちろんです」
その瞳には、なぜか激しい炎が宿っていた。