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第84話 対話と交渉①


 フェミニの手配でルイス王子と面会できることになったクレノは、単身魔法開発局を訪ねて行った。


 どの角度からどうみてもまごうことなき貧乏所帯である魔法兵器開発局にくらべると、魔法開発局はまさに宮殿と呼んでも過言ではなかった。質実剛健で飾り気のない軍の施設から出てきてこれを見ると、ほとんど桃源郷のようだ。潤沢な資金が、案内されたすべての部署に血液のようにめぐっているのを感じる。

 設備もすごいが、ここに集まっている才能もすばらしい。

 あちこちで有名な魔術師が談笑し、意見をかわしあっているのを見かけるたびに、クレノ顧問は体が震え、緊張するのをこらえきれなかった。

 この知の宮殿の主にして心臓でもあるルイス・リンデン・ヨルアサ王子は、広々とした私室でクレノを待ち構えていた。

 扉の前に立つと、そこまで案内してくれたフェミニはさっと身をひるがえし、扉の脇に逃げた。


「さ、センパイ、どうぞお入りください」

「フェミニは来ないのか?」

「フェミニはよばれておりませんので。ルイス王子からはセンパイだけを通すよう言付ことづかっております」


 唇をとがらせて言う。

 マーライオン事件のあと、フェミニのクレノへの態度は少し軟化した。でもクレノにとってはまだどうつきあって行けばいいか調子のわからない相手だ。

 扉を二度ノックすると「どうぞ」と王子の声で返事がある。


「失礼いたします」


 扉を開けて一歩ふみこむと、そこには、魔法兵器開発局で一番広い姫様の部屋よりもっと広い空間があった。高級ホテルの最上級スイートルームのような三間続きで、入ってすぐは応接スペース、次が書斎、一番奥に研究室がちらりと見える。

 思いのほか明るい空間だ。

 右手側にたっぷりとガラスを使った窓があり、広々としたテラスがある。そのむこうはプールだ。水浴用だろう。

 室内には高価な調度品や十人以上座れそうな応接セットがあったが、クレノの視線はそれらよりも部屋の主の姿にくぎづけになった。

 ルイス王子は書棚の前に立てかけられた姿見にその全身をうつしていた。


「わっ!」


 クレノは思わず声を上げる。

 ルイス王子はその白磁の肌の上にをまとった姿だったからだ。


「ひどいな、クレノ君。まるで化物を見たみたいな反応をして……」

「す、すみません。お着換え中とは思わず……出直します」

「構わない。閲兵式用の衣装の打ち合わせだよ、どうしても今日しか時間がとれなくてね。フェミニには伝えていたはずだけど……」


 部屋には従者たちがおり、物もいわずに立ち働いている。

 彼らは王子の肌に何着かの衣装を重ね合わせてみせ、王子がそのうちのひとつを選ぶと、さらに薄物を脱がせにかかった。

 さすがに気まずいので出直そうかとためらっていると、視界をさえぎるようについたてが置かれた。

 ついたての向こうから声が聞こえてくる。


「で? だいたいの話はフェミニから聞いているよ。ボクのところで開発した魔法がなんとかかんとか……どれのこと?」

「こちらに転写した祈祷文スクロールをお持ちいたしました」

「ご覧のとおりだ。手が離せない。そこで読み上げてくれ」 


 クレノはためらいつつ、最初の一文を読み上げた。

 ついたてのむこうで身じろぎをする気配があった。


「やめなさい」


 ルイス王子の声つきはかなり厳しい。

 不機嫌そう、と言ってもいいくらいだ。


「どこでその魔法を知ったのかなあ? それ、まだどこにも発表してない超重要な軍事機密なんだけどね」

「フィオナ姫様の珍兵器から抜き取りました」

「なるほど、あれか。……クレノ君以外みんな出て行ってくれ」


 衣擦れの音がやむ。

 ついたての向こうから、たくさんの衣装を抱えた従者たちが出てくる。

 彼らは黒子に徹し、伏し目がちのまま部屋から出て行った。


「確かにそれはボクの魔法だね。正確にはボクが師から引き継いだ研究だ」

「世代を超えた研究でしたか。やはり重要な魔法でしたね」

「ずいぶんわかったような口をきくねえ」

「殿下、お忙しいようですから単刀直入に申します。こちらの魔法を下敷きに、遠距離通信魔法を研究していらっしゃいますよね。もしかして完成されているのではありませんか?」


 ルイス王子はついたてのむこうから、半分だけ顔を出した。

 澄んだ紫色の瞳が無感情にこちらの様子をうかがっていた。


「……こっちに来て着替えを手伝ってくれないかな?」

「はい」


 スクロールを持ったまま、ついたてのむこうに行く。

 希少本がこれでもかと詰め込まれた本棚の数々もさることながら、クレノを驚かせたのはルイス王子が下履きだけ身につけたかっこうで、ほとんどはだかだったことだ。


「うわっ! なんで何もお召しになっていないんですか!?」

「王族が自分で服を着るはずないだろ。お忘れのようだけどボクは一応第二王子なんだよ。はやくしてよ、あとスクロールを見せて」

「なんでこんなに服が必要なんですか? これどうやって着せればいいんです!?」


 クレノは先に祈祷文を手渡し、衣装掛けにずらりと用意された絹布の数々に向き合う。男が着る衣装なのにまるで十二単みたいだ。

 ふだん王子が来ているのは、ヨルアサ王国の伝統衣装をアレンジしたものだから、ほぼ軍服しか着ないクレノにはわけがわからない。


「ボクにだってわからないよ、そんなの」

「いつも着てるんじゃないんですか!?」

「いつも誰かに着せてもらっているんだもの。王族はね、自分の身の回りのことは何ひとつ自分でしてはいけないんだ。それこそ窓の開け閉めですら、従者にやらせるものなんだ」


 ルイス王子は半裸のまま、クレノが持ちこんだスクロールを眺めている。

 クレノはひとまず自分でも理解できそうな白い立て襟のシャツを手に取る。


「クレノ君が想像しているとおり、この魔法は通信用の魔法として完成しているものだ。軍と協力して戦術試験を行っているところさ。二、三年後には通信専門の魔法使い兵という兵種が増えているかもね。……もちろん、これはまだ内緒の話だ」


 ルイス王子はされるがまま、着せ替え人形のように服を着せかけられている。

 クレノは真珠色をした肌からなるべく視線をそむけるようにした。

 次に銀色のローブみたいな形をした衣服を取り、袖に腕を通させて肩の位置を整える。傷ひとつない体に指が触れそうになり、ひどく緊張したのが伝わったのだろう。鏡の中で王子が目を細めた。


「何を緊張しているのさ。ボクの裸なんて着替えの度にさらしものだ、もう何十人という従者が見ているよ」

「ええっ。着替えの度にですか……?」


 王族はいつもきれいな服を着て、ぜいたくな暮らしをして気楽なものだ……という、いかにも一般庶民らしい考えはクレノにもある。だが、そうした気楽さとひきかえに、赤の他人に裸を見られて体を触られるのだと思うとゾッとする。


「もしかしてフィオナ姫もそうなんですかね……」

「想像した?」

「まさか! 大変だなって思っただけです」

「フィオナもドレスを着るときは侍女の助けが必要だ。でもそれ以外は自分でなんでもやるし、自由にしていると思う。彼女の母親は民間出でしっかりした人だし、自分でできることは自分でやれっていうのが教育方針だったからね」

「あ、そうなんですか」

「もちろん、こんなのボクだってだけど、何しろ第二王子だから。王族の責務からは逃れようがない」


 ぼやくように吐きだされた言葉に深いため息が添えられる。

 表情だけはいつも通り美しい第二王子の体裁を保っている。

 しかし、どこか疲れている様子だ。言葉の端々の響きは苛々としていた。


「王族なんてものは芸をする猿とほとんど変わらないよ」


 さらに何枚か上着を着せ、細い腰に帯を回し、体の前で締める。クレノの体なら一周で終わりそうな長さの帯が二周してしまった。

 クレノの神官食と同じように食べるものを制限しているのだろう。それも日常的にだ。そうでなければこういう体にはならない。

 クレノからはみたルイス王子は、一流の魔法使いであるということ、そして王族であるということに締め付けられているようにみえた。


「……で、君はそんなことを聞きにわざわざここまで足を運んで来たのかな?」

「俺に通信魔法を使わせていただけないでしょうか」


 クレノは正直に頼んだ。

 彼がここに足を運んだのは、まさにそのためだった。

 クレノは通信装置がほしかったのだ。まだこの世界には存在していないはずの、離れている誰かと自在に会話をする術が。


「なるほどね……。使用目的を訊いておこうかな」

「非常に情けない話です。閲兵式で陛下にごらんいただく魔法兵器のアイデアがこれっぽっちも浮かばないんです。第三者の助言が必要です」

「で、その、最適な誰かが、かなり遠くにいる、と……」

「はい。兵器に関しては彼よりも詳しい人物はいないでしょう」

「ふうん、国外にいるとか?」

「それは、ちょっと、殿下であっても申せません」

「ふうん? 気になる言い方だ」

「…………できましたよ」


 クレノの着付けはとても『できた』と呼べる代物ではなかったが、ルイス王子はまったく気にもしていないらしい。

 祈祷文を手にしたまま、軽食と飲み物が並んだテーブルに行き、銀色のポットからまだ暖かい紅茶をカップに注ぐ。ティーカップではなく巨大なマグカップだ。

 あくまでも実用の用途の品と、何の役にも立ちそうにない豪奢な絹の服。

 ルイス王子の身の回りにあるものは極端に二極化している。


「ヨルアサ王国の国益を損ねるようなことにはなりません。お約束いたします」

「そんなことになったら、ボクだって君をどうしたものか、お約束はできかねるけどね。でも——気になるのはむしろ、よくいまの状況で、ボクに頼み事ができるよねってことだね」


 ルイス王子はこのあいだから、フィオナ姫の教育という建前で魔法兵器開発局の害になることを仕掛けてきている。度重なるパクリ騒ぎにくわえ、フェミニをスパイに仕立てて、実に婉曲的に、かつ見事な手腕で魔法兵器開発局を自分の支配下に納めようとした疑いすらかかっているのだ。

 つまり魔法開発局は、魔法兵器開発局にとってはうっすらとした『敵』だった。


「殿下。もううちの兵器をおパクりになるのはやめていただきたい」

「パクってなんかないよ」

「議論がしたいのではありません。我々は手を組むべきだと思います」

「その必要が僕にあるかな」


 ルイス王子は少し不機嫌が解消したのか、いまは気まぐれな猫のように微笑んでいる。でもその内面はさっきよりも冷静で冷徹だ。

 ルイス王子はすべてに恵まれている。才能、資金、友人、何もかもだ。

 ここではクレノなどまるで取るに足らない存在だ。

 でも、それでもここで退しりぞくわけにはいかない。


「はい。次の閲兵式で、必ずや、殿下にお目にかけましょう」

「何を見せてくれるの?」

です」


 それはクレノが切れる最大の目のカードでもある。莫大な資金があるでなし、魔法の才能があるでもないクレノが唯一、ほかの人間よりもすぐれているところがあるとしたら、それは『』だけだ。


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