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第85話 対話と交渉②


 ルイス王子殿下はマグカップをもうひとつ取り出し、紅茶を注いでクレノほうに押しやった。そのまま自分の分の紅茶と菓子を無造作につかみ、応接間のほうに歩いて行き、ソファに腰かけた。


「クレノ君は、はじめて会ったときから少し印象が変わったね」

「そうですかね」

「うん。はじめて会ったときは、野心があると思った」

「それは……お互い様ではありませんか?」

「ボクに? ああ。もしかしてあのときのこと」


 あのとき——それはもちろん、模擬試合のときのこと、ルイス王子がクレノ顧問を買収しようと近づいてきたときの話である。

 ルイス王子はあのときクレノにはっきりと『玉座の隣でつかえよ』と言ったのだ。


「王子殿下には隠された野心があり、それでフィオナ姫の邪魔をしているのかと、私はそのことについて心配していたのです」

「そんなこと言って、キミにも出世欲はあったでしょう」

「ありましたけど、それは過去のことです」


 不思議なことに、ここ最近、クレノの『何者かになりたい欲』はすっかりとなりをひそめていた。自分が地位や名誉を得ることが、以前のようにあまり魅力的だとは思えないのだ。


「そう……まあいいとしよう。一応弁解しておくと、ボクのほうも、とくに王様になりたいとかいう気持ちは無い」

「ではやはり、王子殿下は私をお試しになっておられたのですね」

「いいや、クレノ君が鞍替くらがえしてボクに仕えてくれるなら、それはそれで歓迎だ。うちにいる魔法使いたちは、頭はおそろしくキレるけれど、びっくりするほど腹芸が苦手でね。政治ができる腹心の部下はいつでも募集中なんだ」

「先ほど野心はないとおっしゃったばかりですが?」

「ボクは王様には興味はないけれど——でも、もしものときのことはいつも考えている。ほら、キミも知っての通りカイル王子は軍隊生活を謳歌おうかしているしね」

「時がくれば、カイル王子様は軍を辞められるのではありませんか」

「なにごとにも保障はないよ。訓練中に流れ弾が当たって死ぬかもしれないし」

「なんてことを……」

「もちろん冗談だ。でもそうなってから準備をはじめても間に合わないよね。ボクだってまっぴらだけど、誰かが、というならそれはボクしかいないんだもの」

「王冠を受けられるよりは、魔法の研究に専念されたいということですよね」


 ルイス王子は少しだけ黙りこむ。

 間があって、それから、紫水晶の澄んだ瞳がクレノに向けられた。


「……ボクは夢は見ない。未来の何にも期待したことはない」

「え?」

「もしも王様になったら、のんびり魔法の研究なんてしていられない。全部あきらめなくちゃいけないものだから、だから、何も夢見たことはないよ」


 クレノはいよいよ何も言えなくなる。

 いつかクレノがフィオナ姫に言ったように、王様になるということは、大きな責任を引き受けることだ。魔法の研究や軍隊生活をしながら片手間にやれる仕事ではない。王様になったら、ほかのものはあきらめなければならない……。


 たくさんの従者がまわりを取り巻いて、彼に高級な絹の衣装を着せようとしているのと同じことなのだ。

 本当はどんなことをしたくて、何に適性があるかとは関係のない——それは王族に課せられた使だった。

 ルイス王子は、王子としての使命を果たすために、王族らしく振る舞っているだけなのだ。


「もう少し世間話にお付き合いしていただけますなら、ひとつ聞かせてください、殿下。もしも……もしもですよ。その役目を放棄することができたら、あなたは未来をご自分でお選びになれるのですよね」

「…………そうだね、それが誰かによるけれど。たとえ誰であっても忠告はしておこうかな。ボクがヨルアサ国王にふさわしいと認めたのは長兄、カイル王子だけだ。もしもそれを越えて玉座につくというなら、少なくともボク以上の才能でなければならない」


 紫水晶の瞳にははっきりとした意志があった。

 彼が目指すものは生まれながらに課せられた使命でしかなく、そのために犠牲にした人生というものがあるだろうに。


「もちろん、それが血のつながったボクのきょうだいであっても、だよ」

「…………はい」


 まだクレノは「フィオナ姫が女王になります」とは言えない。フィオナ姫には夢があり、もしもその夢が叶ったら、この第二王子は使命から解放されるかもしれない。だが幼い姫君にはそのために必要な覚悟も実力も揃っていない。

 まだ夜見るそれのように、夢を見ているだけだ。


「ところで、クレノ君が着せてくれたこの服なんだけど。一番上が下着になってるよ」

「知ってたなら教えてくださいよっ!!」



 *



 クレノが連れて行かれたのは、魔法開発局内にある小神殿であった。

 大理石でつくられた専用の祈りの場は静謐せいひつそのもの。東西南北に主たる神々の立像が配置されており、丸いドーム状の天井がふたをしている。空間には香が焚きしめられ、隅々まで清浄に保たれている。

 もしも自分が神官のたぐいだとすると生臭神官である自覚が十二分にあるクレノにとっては大変居心地が悪い空間だった。

 身の置き所がなくもぞもぞしているクレノに、さっそくフェミニが口を尖らせる。


「いいですか、センパイ。まだ公表もされていない通信魔術をセンパイが使わせてもらえるのは、ひとえにルイス王子殿下のご厚情こうじょうあってのこと。お慈悲なんですからね!」

「うっ……わかってるよぉ……」


 再びぎすぎすしはじめたふたりの間に、ルイス王子が割って入る。


「そこまで言うことはないよ。クレノ君には木馬軍馬の件で貸しがあるからね」


 もちろんついこの間までは、ルイス王子は木馬軍馬をパクった件をほんの少しも悪いとは思っていなかった。クレノは知るよしもないことだが、フェミニの説教がきいたのだ。


「それに、クレノ君が見せてくれるという“未来”とやらには、ボクも興味がある。閲兵式までは、一時休戦といこうじゃないか」

なんすね」

「後々のことを後で考えてもらえるだけありがたいとは思わないかい?」


 フェミニが通信魔法に使われる祈りのスクロールを持って、クレノに簡単な説明をしてくれる。


「わたしがストックしている祈りがだいたい三ヶ月分で、映像込みで通信できる時間は五分程度です。通信するには相手にこちらからの働きかけを受けいれてもらう必要があり、拒否されると通信はできません」

「それって、どれくらいの距離にいる相手と通信可能なんだ?」

「とくにだれかに妨害されてるわけでもなし、周辺三か国くらいの中にいてくれさえすれば、どんな相手とでも通信できるとおもいますけど」

「そんなに短いものなのか……」


 あまり芳しくない返答に、フェミニは首をかしげる。


「え……。センパイが通信したい相手って未知の大陸をめざす冒険者かなにかですかぁ? てっきり、地方軍のだれかだとばかりおもってました」

「それだったら、手紙でも送ってすませてるよ」

「でもそれだと、フェミニの魔法じゃ届かないですねえ……」

「なんとかならない?」

「なるわけないじゃないですか。あくまで軍用、戦場で使うことを想定した魔法なんですよ。大陸の端から端まで届くってだけで、けっこうなオーバースペックなんですからね」

「だよな」


 クレノは納得したふりであいまいに答える。

 ヨルアサ王国が想定するような“戦争”はしょせんその程度の規模だ。

 大陸はおろか世界中のすべてが火の海になる戦争をこの世界は経験していないのだし、無理もない。


「うーん、わたしの魔法でもむりとなると……」


 フェミニはその桃色の瞳で、ちらりとルイス王子に視線を投げた。王子はおだやかな慈母のような表情で、飼い猫を腕に抱いて撫でている。

 こちらの会話に気がついているだろうに、意地悪だ。


「わたしの魔法はあくまでも実用に適した範囲の通信魔法ですから……でもあそこに、そのとなる研究があります。王子のことだから、とっておきをストックしているはずなんですよ」

「いや、さすがにルイス王子のストックを消費させるわけにはいかないだろう」

「それは心配しなくてもいいです。それよりクレノ先輩、精神力に自信はあります?」

「精神力?」

「どれくらいの精神負荷に耐えられるかってきいてるんです」

「ああ、そういう意味か」


 フェミニがきいているのは、クレノがどれくらいの強度の魔法に耐えられるか……つまり、長時間の祈りをかけた強力な魔法の発動に耐えられるか、ということだ。


「実際にやったことあるのは一年五か月くらいかな。それでも気が遠くなって一瞬ブラックアウトしたけど」

「一年五か月でそれかあ。イチかバチかだな……」

「少なくとも他人より強いと感じたことはないな。でもなんでそんなことをきくんだ?」

「王子の魔法は重いんですよ……。ルイス王子! 魔法使わせてくださーい」

「ルイス王子の魔法を……使う?」


 ルイス王子は眠たげなチェシャ猫のような瞳を瞬かせる。


「いいけど……。ただじゃダメだよ」

「ほら、センパイからもお願いしてください」

「え~? 何~? 説明してえ~?」

「説明はあと!」


 フェミニに後頭部を押さえつけられ、クレノは頭を下げる。


「食べるシャツのぶんの貸しもチャラにします」

「いいだろう」


 ルイス王子は鷹揚おうようにうなずいて、自分の杖をホルスターから抜いた。


「いやいや! さすがに殿下が研究のために祈り続けているストックを消費させるわけにはいきませんよ」

「そのへんは大丈夫。ボクの固有魔法、知ってる?」

「知りません」


 ルイス王子がヨルアサ王国の魔法界に多大な貢献をしていることはまちがいない。

 そして固有魔法の持ち主であるということも疑いないことだが、でもそれがどんな魔法なのかまでは、一般の魔法使いは知らない。


「ボクの固有魔法はね……“魔法”だよ」


 ルイス王子はいたずらっこのような笑顔をみせる。

 クレノは驚くと同時に、ものすごく嫌な予感がしていた。

 ここのところその予感はずっとしていたが、身に迫った、明確な命の危険を感じるのは実にワーウルフ討伐作戦ぶりであった。

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