目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第86話 対話と交渉③

?」

「ボクのストックに入っている魔法をキミのストックに上書きできる……って言ったらわかりやすかな?」

「そんなことが可能なんですか!」

「できるよ。だから魔法開発局があるんじゃない」


 素直に驚くクレノに、ルイス王子はおかしそうに目を細め、くすくす笑っている。

 魔法のストックは、基本的には祈りを行った魔法使い個人のものだ。共有することはできない。あたりまえだ。魔法というのは神から、神に祈る人間に対する加護だからだ。

 だからこそ人々は魔法兵器を求める。祈りの力を物に移すことによってはじめて魔法は神官の素養がない者にも使える道具になるのだ。

 しかし、ルイス王子に神々が与えた固有魔法は人をこのくびきから解き放つものだった。


「じつを言うとね、ボクはここ十数年というもの、自分自身では魔法を使っていない。ボクの仕事は祈ることだけ。祈って、研究用の魔法を組み立て続けている。使うときはフェミニやここにいる研究員の誰かに、かわりに魔法を使ってもらうことにしているんだ」

「なるほど……魔法開発局の研究がなぜ秀でているか、その謎が解けましたよ」


 魔法の最大の弱点は、使用すると同時にストックも消失することだ。

 魔法の研究が遅々として進まないのは、祈りの力をためるのに現実的な時間を消費するせいだ。だがルイス王子の固有魔法を使えば、その時間は短縮できる。

 ルイス王子が祈り続け、使うときはそれを固有魔法で誰か別の魔法使いに移せばいいのだ。

 そして同時に、フェミニが魔法開発局に採用された理由もなんとなく理解できた。

 フェミニは他人の魔法を『模倣コピー』できる。

 これは王子の固有魔法とも相性がいい。


「ボクが持ってる通信魔法のストックは、実用化されている軍用の通信魔法とはほぼ別物だ。さらに研究が進んだもので、祈りの期間も膨大。使った者はいないけれど、使えば神にすら、その声が届くと思う。それをクレノ君に使わせてあげよう」

「神にすら……。ちなみにそれって、何年ものなんですか?」


 事前の宣告どおり、クレノが使ったことのある祈りの期間は一年五か月である。

 強力な魔法は精神力を削る。強すぎると、廃人になるというのが定説だ。

 廃人までいかずとも、戦場で意識を失えば死に直結する。魔法使い兵が考える実用魔法というのは、使用者の身の安全が確保できる範囲の威力のものなので、研究用途の魔法とはまったく違う。


「十七年」とルイス王子は言った。


「じゅっ、じゅうなな…………!?」

「言ったでしょ、これはボクの師から引き継いだ研究だって。神々との直接の対話は、全魔法使いの悲願だからね」

「それ、もう少しなんとかならないんですか!?」

「研究用途の、しかも軍の機密でもある魔法をただ同然で使わせてあげるんだ。これ以上の便宜べんぎをはかるなら、貸しをチャラにするだけじゃダメだね。一ヶ月くらい、ボクの下でクレノ君が働くとかだったら考えてあげなくもないけど?」

「い、一ヶ月くらいなら……」

「キミの連射の固有魔法、便利だと思ってたんだよね。通信魔法網の中継点ハブになってみない? 二十四時間中二十四時間勤務三百六十五連勤年間休日ゼロ日、ボクの笑顔が素敵な職場だよ♡」

「……それって、一日三食人権保障つきですか?」

「いや、キミの意志はいらないねえ。固有魔法だけ使えればいいから、薬で意識とか奪ってみるかも。大丈夫。下の世話とかは専門の看護婦を雇ってしてもらうから」


 何も大丈夫ではない。尊厳破壊もいいとこすぎる。

 もちろん、本気ではないだろう。十七年かけたヴィンテージものの祈りを短縮する方法など存在しないからだ。


「わかりました。覚悟はできております」

「寝たきり介護生活の?」

「そっちじゃなくて……。殿下の通信魔法を使わせてください」

「そんなに大事な話なの? フェミニも言ったけど、ボクの魔法はボクでも重いよ」


 問い返すルイス王子の表情は、冗談のかけらもないまじめなものだ。


「はい。俺がこれからこの先もヨルアサ王国で、魔法兵器をつくっていくとしたら、決着をつけなければならない相手だと思います」

「ふーん……? じゃあ、まあいいか。詳しく訊くのはやめておくけど……。もしも誰かに話したくなったら、聞いてあげなくもない」


 わかりにくいがルイス王子なりの優しさだろうか。

 準備は着々と進んでいく。


「固有魔法“転写”——魔法解放アインザッツ。適当なストックを削除するね」


 ルイス王子の杖に飾られた宝石のひとつがきらりと光る。

 浮かび上がった魔法陣から、ルイス王子が祈りの浅い魔法をひとつ選び、指先でなで取る。

 クレノの心とも体とも言えない場所から、確かに存在するがひとつ剥ぎ取られていく感覚がある。上着を一枚ひっぺがされたような、どうにも頼りない感覚だ。

 その後すぐに、ひどく重たくて複雑で巨大な魔法がすべりこんでくる。

 なだれこんでくると言ってもよかった。


「これで準備完了」


 ルイス王子が軽くクレノ顧問の胸を叩くと、浮かび上がっていた魔法陣が閉じた。

 身に覚えのない何かが胸の内に留まっているのを感じた。

 冗談でもなんでもなく、体全体がずっしりと重たい。


「これ……発動したらどうなっちゃうんだ? フェミニ、やったことある?」

「ないないないない! せいぜい十年ものまでですよぉ」


 ルイス王子の部下であるフェミニですら信じられないものを見る目つきである。


「十年なら復帰可能か……」

「クレノ君、精神負荷には個人差もあるからね」


 神殿内に水盤が運びこまれた。

 フェミニとルイス王子は何やらクレノの後ろで両手を構えている。


「なんで俺の後ろに?」

「絶対ぶったおれるからにきまってるからでーす」

「集中してね、クレノ君。魔法を解放したら、話したい相手を思い浮かべて呼びかけるんだ」


 もう後には戻れない。魔法を使わない選択肢を選んだら、使えないストックが永遠に埋まったままだ。

 クレノは覚悟を決め、杖を抜いた。


魔法解放アインザッツ!」


 気分的にはパンドラの箱を開くようなもの。

 硬い鍵穴に差しこんだ黄金の鍵をひねると、そこから光の奔流ほんりゅうがあふれだす。


 光だ、と感じたのは、しかし光ではなかった。


 正しくは緻密ちみつに組み立てられた祈りの言葉の奔流だ。クレノにはとても読み取れない多量の言語と、何のために存在するかもわからない祈りが、その意志から外れたところでを巻き、あふれだしていくのを感じる。

 地面が激しく揺れ動いた。

 視界が白く塗りつぶされて、祈りとともに体中の血の気が引いていく。


 揺れたと思ったのは、じつはクレノ自身の体だった。

 気絶して倒れたクレノを、待ち構えていたふたりが受け止める。


「クレノ君、しっかり!」

「癒しの法、魔法解放アインザッツ!」


 フェミニが癒しの法のストックを解放する。

 負傷をしたわけでも病気になったわけでもないので効果は薄いが、これしか対処方法がないのである。

 クレノ・ユースタスは完全に意識を失っている。

 しかし、魔法そのものは発動している。

 運びこんだ水盤に張られた水が揺らめき、真ん中のあたりから灰色の四角い鏡が浮かび上がった。

 通信が成功すればこの鏡に相手の姿が現れるはずだが、魔法の使用者が気絶しているので鏡は沈黙したままだ。


「センパイ、起きてください。このままじゃ魔法の無駄撃ちですよ!」


 そのとき、小神殿の外が白く光った。

 一拍置いてドームの天井に叩きつけるような、激しい雷が落ちた。


「な、なんです?」


 続け様に、二度、三度と雷鳴が鳴る。

 それもただの落雷ではない。ドーム天井全体が振動し、剥離はくりした欠片がこぼれ落ちてくる。


「フェミニ、今すぐ癒しの法を放棄しなさい」


 ルイス王子は再び、彼の固有魔法“転写”を起動する。

 そして練り上げられた守護の法を、フェミニの研究中だった魔術の上に書き重ねた。


「ああっ。ひどい王子、それはフェミニが半年かけたとっておきの魔法——!」

「いいから。いま渡した魔法をすぐに使って」

「もう! 守護の法——」


 呪文を唱えるか唱えないかのうちに、一層はげしい轟音と共に、神殿の屋根が崩壊する。


「……へっ!?」


 雷鳴がやんだ。

 呆けた顔をしているフェミニとルイス王子の周囲は瓦礫がれきの山になっていた。

 魔法の発動がワンテンポ遅れていたら、その場にいる全員が圧死していたことだろう。


「ななななななんなんですか、これっ……」

「うーん……、たぶん、的なやつじゃないかなあ」

「なんですか神罰って!?」


 天井はすっかり崩落し、空が見えている。

 ついさっきまで晴れ渡った青空だったのに、上空は曇天がうずを巻き、周囲は大嵐になっていた。


「つまりボクらが使った魔法がに触れたってこと……。フェミニ、キミ、ストックを削ってしばらくしのいでくれる?」

「ま、まってください。それ……フェミニの魔法のストックはどうなっちゃうんですかぁ……?」

「ごめん」

「いやあ~~~~っ! やめてぇ~~~~っ!」


 ルイス王子はフェミニのストックを広げ、そのうちのひとつを遠慮なく書き換える。フェミニはあせって王子を止めようとする。


「まって! まってください! それなら王子も魔法を使ってくださいよ!」

「ボクとキミの研究なら、ボクのほうが大事では?」

「そうゆうとこ! そうゆうとこがダメだっていつも言われているんです!!」


 魔法開発局員ルイス王子の部下たちのストックは、基本的には研究用途でストックされている魔法である。

 しかもフェミニのものはあと一息で実用化、発表して実績になる、というところまで研究を進めていたものだ。

 いわば『』みたいなことである。

 しかし神罰のほうも容赦ようしゃがない。

 次々に光の矢が降り注ぎ、周囲の景色を白く染め上げていく。


「こんなことになるなんて。キミ、話をしようとしていたんだい?」


 クレノはというと、周囲の惨状も知らずに床の上で伸びていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?