翌日、
「来たな、
「…………海老沢は変わらないな」
同窓会にも出席していないので知らなかったが、高校時代もふくよかだった海老沢は、そこからさらに1.5倍に体積を増していた。
彼からの着信は、今朝からほぼ三十分おきに入っており、アプリのメッセージ欄は「おーい」「おきてるか?」「いま家?」「俺もう駅ついた」「駅でまってるからな!」という借金取りでもしないような短文メッセージで埋め尽くされていた。
「メッセージめちゃくちゃ怖かった。そういう系のバケモノかと思った」
「だって、こうでもしないと横田、ぜってぇ来ないじゃん」
「そんなことはない」
「うそつけ、お前……。いや、まあ、もう来たからいいよ」
海老沢は何か言いかけて、不意に黙りこむ。
その目じりに涙が浮かんでいる。
「仲間うちの誰かでいったら、毎年会社の健診でひっかかってる俺が一番だと思ってたんだけどな。生活習慣病とかシンキンコーソクとかそーいうのでさ。にしても早すぎるよな」
「……海老沢も早すぎる。まだ会場にもついていない」
「うん……」
海老沢には、友人の早すぎる死を
一晩考えてもみても、俺はそういう心の動きを自分の中に見出せなかった。
俺は暮野祐一が嫌いだった。
はっきりと、明確に、嫌いだった。
性格も考え方も、全部が合わなかった。
暮野祐一と知り合ったのは高校入学直後のことだ。
一年の時は別のクラスだったが、海老沢を介して「オタク仲間」として対面し、二年で同じクラスになった。
当時の俺は自分でも
家庭環境も最悪だったが、その外でも孤独だった。
小、中通して、まともに友達と呼べる存在はひとりもいなかった。
趣味一辺倒の生活を送っていたので他人と話があわないし、多少あったとしても「レベル」があわないと感じてしまい、自ら関係を切り捨てていた。
そういう性格は高校時代に完成しており、その頃になると、むしろ孤独でいることが楽だし好きになっていた。
クラスで孤立した奴をいじめてくる連中もいたが、幸いいじめをするような「レベル」の奴はほぼ高校受験で振り捨てることができた。
だから高校生活は、ひとりで快適に過ごせるだろうと多少楽しみに思い——その予測を打ち破って現れたのが『暮野祐一』だった。
*
告別式会場のロビーには思ったよりも大勢の人間があふれていた。
きれいな会場だが、少し空気がひんやりとしている。男女様々、年齢も様々な人々が似たりよったりな喪服に身を包んでいる。
よく見ると、プラモデル部とカメラ部の部長が参列していた。名前は思い出せなかった。海老沢はわかっていたかもしれない。
年齢層が高い空間は、仕事関係のあつまりだろう。
飲料の自動販売機が二台ならんだロビーの隅で、絶妙に腹の立つ顔つきのおっさんが大声でスマホを使っているのが気になった。
「なんだあいつ。外でやれよ外で。注意してこようかな、俺」
「やめとけ、こんなところで……。かえってトラブルになりそうだぞ」
海老沢は入口の自動ドアを通った瞬間に本格的に泣きはじめたが、その涙も引っこむほどのふてぶてしさだった。通話内容も仕事に関するもので、親族もいる中でそれはないだろうと思うほど声も態度もでかい。
しかしああいう態度がでかいおっさんにかぎって、えてして年下なんかの言うことなどはきかないものだ。
記帳の列に並んでいると、前に並んでいた着物姿の女性がいきなり振り返った。
女性はやたらと背が高く、肩幅もしっかりしていた。
列の間隔を詰めていたせいもあり、彼女はすぐ後ろの男性とぶつかっていた。
男性はよろめいたが、女性は大木のように堂々と立っている。
「あらごめんなさい」
そう言った声は、酒ヤケして野太い。
メイクも告別式会場には似合わず、かなりの厚化粧で、アゴまわりには隠しきれないヒゲの剃り跡がある。
明らかに女性ではなかった。
「オカマ?」
思わずつぶやいた俺の後頭部を、海老沢が飛び上がって叩いた。
「あれが、田中部長ってやつね……。行くわよジャスミン!」
ジャスミンと呼ばれた連れの女性も何やら派手だ。外国人なのはともかくとして黒いスーツになぜかミニスカートをあわせて履いている。
オカマはジャスミンと共にロビーを横切っていくと、まだ通話をしている田中部長の尻をハンドバッグで叩き上げた。叩いたのはジャスミンのほうである。
「なんだおまえらは!」
と、叫んだ田中部長の首をヘッドロックで締め上げるオカマ。ふたりは参列客に「ほほほ、すみませんね、お騒がせして。ほほほ」と頭を下げながら、田中部長を会場の外へと引きずっていく。
何かと冠婚葬祭では
海老沢は呆然として、退場していく三人を見送った。
姿が見えなくなってなおも立ちすくんでいると、背後から聞き覚えのある声がかけられた。
「海老沢君と横田君じゃない? こんなところでなんだけど、ひさしぶりね!」
そこにいたのはワンピースタイプの喪服を着た女性だった。背が高くすらりとしていて、年齢は六十代くらいだろうか。明るい茶色のショートヘアが似合っている。口もとのほくろに、かすかに見覚えがあった。
確かに見覚えがあるはずなのに、俺には誰かわからなかった。
正解は海老沢が出した。
「暮野くんのお母さん……!」
それを聞いて、あやうく過去の記憶があふれそうになる。
「ごめんね、びっくりしたでしょう。あの方たちはね、息子が通っていたと噂のオカマバーのマスターさんと、フィリピンパブのお姉さんなの」
暮野祐一の母親は、会場の外で田中部長と戦っているオカマと外国人女性を見やり、遠い目つきをした。
「は?」と言ったのは、俺ではない。海老沢だ。さすがの海老沢の社会性フィルターも一瞬で焼きついてしまったようだ。
「息子が通っていたと噂のオカマバーのマスターさんと……」
「いや、まあ、それはわかるんですけど。見れば……」
「そういう趣味はなかったらしいんだけどね、仕事で悩んでることがあったらしくて、お店で愚痴を吐いているうちにおともだちになったというか、そういうことらしいのね。お母さん全然知らなかったわ……」
「でしょうね……」
普通は墓の下に持っていくからな、と俺は言いかけたが、言わなかった。あぶなかった。
動揺しているのは俺だけではないだろう。
記帳に並んでいる参列客は笑っていいのか泣いていいのか、つとめて深刻そうな顔つきを維持するのに必死そうだった。
「お式が終わったあとにお線香だけでもって話だったんだけど、おもしろいから告別式にも出てもらうことにしたの。来てもらってよかったわ、お父さんってば全然役に立たないんだもの」
暮野祐一は母親は明るい表情を浮かべていたが、無理もしているのだろう。目もとに涙のあとがあった。
「……暮野君らしいと思います」
俺がそう声をかけるのを、海老沢が意外そうな目つきで見ていた。
でも本心だ。
どうしようもなく本心だった。
連絡を受けたときから、ずっと考えないようにしていたが、もう思い出に
暮野祐一は、誰もが知っている通りオタクだった。
けれども、俺が嫌いな『浅いオタク』だった。
アニメが好きだというが、それは最新流行のアニメが好きなだけで、少し古いアニメになると全然知らない。漫画も本の趣味もそうだ。ライトオタクと言えば聞こえはいいが、単なるファッションオタクである。
海老沢から紹介されても、俺はあいさつだけして、暮野とは関わらないようにしようと決めていた。
でもその希望はかなわなかった。
次の日から、暮野は休憩時間にやって来ては、俺に直接声をかけてきたからだ。
「横田、お前ってすげーミリオタで、そっち方面得意なんだろ? 俺にもいろいろ教えてくれよ!」
こいつは何を言ってるんだ、バカか? というのが、暮野に抱いたはじめての印象だ。
暮野祐一の特殊な点がひとつあるとしたら、それは驚くべきフットワークの軽さであった。カメラが得意なやつがいるときいてはそいつのところに行ってカメラを触り、プラモデルが得意な奴がいるときけばプラモデルに手をだし、一時期はなぜか吹奏楽部やオケ部に出入りしていた。さらに文化祭の時期になると演劇部にまじって大道具を建て小道具を作っていた。
だから、葬式にオカマが来ようがフィリピンパブのキャストが来ようが、ぜんぜん驚くにはあたらない。
だがしかし、それは過去も現在も変わらず、腹立たしいことこの上ない光景だった。
俺にとってミリタリー趣味は、うまくいきようのない両親との関係のバランスを必死に保ち、
それを「教えてくれ」などと軽々しく言うやつも言うやつだが、教えてやるほうもやるほうだ。——それなのに、海老沢をはじめとして暮野祐一を悪く思っている人間はいない。「うざったいやつ」という
暮野を卒業時まで嫌っているのは『
俺はもうとっくに気がついていた。
海老沢や菅原先生が、俺が告別式に出ないだろうと思っていた理由。
それは、俺が奴に対して
横田和史は……俺は、高校時代、暮野祐一に嫌がらせをしていた。
奴が話しかけてきても聞き取れないくらいの早口で
全部
そうすればいずれ奴も、過去、俺を取り巻いていた同級生たちと同じように『横田和史』に興味をなくすだろうと思ったからだ。
小学校でも、中学校でも、そうだった。
俺の趣味に理解を示し、ついて来れる人間は誰ひとりとしていなかった。
それでよかった。
俺は両親に命じられたとおり、全速力で走っていた。
走れもしないのに手足をばたつかせ、水面を走っていた。
ひたすら右足を前に、ふみだした右足が水面に沈まぬうちに、左足を前に……。
少しでも足をゆるめれば、水底に落ちてしまう。いつもそんな気分だった。
誰もついてこないだろうと思っていた。
でもそれでよかった。ひとりでよかった。ひとりになりたかった。
まさか、暮野祐一がついて来ようとするなんて思わなかったんだ。