魔法開発局(ルイス王子のところ)が開発した『食べられるシャツ』はあらゆる部隊で大不評となった。
シャツの見た目は、これまでの軍服と全くおなじである。着心地もなんら遜色なく、違いはいざとなったら食べられるということだけ。
通常の服と同じように身にまとうことができ、しかも食べられるなんていいことずくめではないか、というのがフィオナ姫がまず抱いた感想だ。
試食してみると、味はうっすらと甘い上品な綿あめのようだ。
兵士たちはこれの何について不満があるのかわからず、フィオナ姫はクレノ顧問に直接きいてみることにした。
「どうにも納得いかぬのじゃ、クレノ顧問」
「報告書は上げたはずですよ、殿下。お読みになりました?」
クレノ顧問はちょうど、自分の部屋でハルト隊長と話をしていた。
そのときクレノ顧問は三徹目で、いつにもまして眠たげな琥珀色の瞳は灰色がかって
「ちゃんと読んだ! 読んだうえで納得がいかぬと言っておるのじゃ」
「結果がすべてではないですか。それに、あちらの失敗は望むところです。これでルイス王子殿下も教育の手をゆるめてくれることでしょう」
「もちろん血の半分つながった兄とはいえ、木馬軍馬をパクったのは今でもひどいと思っておる。じゃが、それと魔法兵器の出来不出来は別じゃ。わらわはこの『食べられるシャツ』の発明はすばらしいものじゃと思うておる」
クレノ顧問は深いため息を吐いた。
「姫様とは別のベクトルでしょうが、俺だってこのシャツのすごさは評価しておりますよ。お菓子を素材にするのではなく、あくまでも形状と機能をシャツとしたまま、食用可能とする祈りを付与するのは超高度な魔法技術です」
「そなた、事前にダメだとわかっておったようじゃな。未来予知でもできるのか?」
「べつに俺だけの意見じゃありません。ハルト隊長だって同じ意見だったと思いますよ。なあ?」
いきなりクレノ顧問に水を向けられ、ハルト隊長は「うっ」とうめく。
何しろ食べられるシャツは第二王子が考案した魔法兵器である。しかもフィオナ姫が「良い」と言っているものを腐す勇気がないのだろう。
「そうなのか? ハルト隊長!」
「…………な、なんとも言い難いお話です」
「正直に申さねばためにならんぞ!」
「………………すみません。ちょっとこれは、実現が難しいのではないかなあ、と思っておりました」
ハルト隊長はごく小さい声でそう言った。
クレノ顧問だけならまだしも、現場のことを一番よく知っているハルト隊長に言われると、さしものフィオナ姫も意見がゆらぐ。
「むむう、そんなにか」
「純粋に難しいんですよ。
クレノ顧問は姫様が持ってきた試作品を手に部屋を出る。
ちょうどロビーのところにシャネル
シャネル軍曹はクレノがフィオナ姫と連れ立ってやってくるのをみて、軍曹は座っていたソファから立ち上がりかけた。
「あー、そのままそのまま。魔法開発局から試作品が届いたから、ひとつ軍曹にあげようと思って来たんだ。その名もズバリ『食べられるシャツ』というそうだ」
「へえ、これ、食べられるんですか?」
「そうらしい。非常時の食料にするために作られたものだ」
「ほーう」
シャツを手にとったシャネル軍曹は、いきなりそのえり首にかぶりついた。
「あーッ!! 食べた!!」
フィオナ姫が大きな声を上げる。
「え? 食べちゃだめだったんですか?」
「いや、いいよ」
クレノ顧問が答えるが、フィオナ姫は不満げだ。
「じゃってじゃって、それは非常時に食べる用なのに~」
「あのですね、姫様。普通は食べられるはずのないシャツが食べられるんですよ? シャネル軍曹くらいの気軽さで、興味本位で食べてしまう兵士は
「え~~~~っ」
「ちなみに、あらかじめ命令で禁止されていたとしても、食べる奴は食べます」
「ええ~~~~っ、命令されてるのにぃ?」
「なあ、ハルト隊長」
ハルト隊長は沈痛な面持ちでうなずいた。
「なんで!? 命令じゃぞ? 兵士にとって命令は大事なものなのじゃろ!?」
「命令は大事ですよ、もちろん。でもですね、兵士たちはつねに高いストレス下に置かれております。集団生活が基本ですから、好きなものを好きなタイミングで食べられるということもありません。そんな兵士たちにとって“食”の喜びというのは格別なものなんです。ちょっとした食べ物が食べられるというだけの娯楽が、通常時の何万倍も魅力的に思えるのです。その証拠がほらここに」
クレノ顧問の言葉にシャネル軍曹がうなずき、この魔法珍兵器開発局の誰よりもでかい腹太鼓を「ポーン!」と鳴らしてみせる。その音は深く、広く、味わい深くロビーのすみずみにまで響き渡った。
異常なほどの説得力だ。
「それから意見書にも書きましたとおり、支給品によけいな付加価値が加わることのほうが、俺は問題だと思いますね。そんなことしたら、あっという間に食べられるシャツを中心とした原始経済が爆誕しちゃいます」
「食べられるシャツと交換で、任務を押しつけるやつが出るとかいうやつじゃな」
「はい。姫様、風呂掃除やら見張りやらめんどうくさい嫌な仕事を、お菓子ひとつでやってくれるお友達がそばにいたら、どうなさいます?」
「うっ……。わらわはちゃんと、自分のお手伝いは自分でするぞ。そのような
「いやいや、“やろうと思えばシャツ一枚で仕事をかわってもらえる”という事実が大事なのです。
貨幣……つまり金は、それだけでは何の力もない。ただの紙切れであり、金属のかたまりでしかない。しかし、いざとなればあらゆるサービス、あらゆる物と『交換可能である』という“信用”を担保に莫大な価値を発揮するのだ。
「実際にシャツを使って仕事を肩代わりしてもらうかどうかは関係ないのです。いざとなればそうできる、という事象が発生した時点で、シャツは貨幣と同じ“信用”を得ているのですよ。この原始的な経済が発達するとどうなると思います?」
「どうなる、とは……」
「世間を見てください。金をたくさん持っている金持ちは、たくさん人を従えられますよね。王族でもないのに偉そうにふんぞり返っているでしょう? それが軍隊でも起きると、これはもう大問題です。金持ちが偉いようにシャツをたくさん持っているやつが偉くなってしまう。すると兵士たちは上官の命令を無視するようになります。上官より、補給班のほうが圧倒的にえらいですからね」
穏やかな性格で、必要に迫られた時以外で声を荒げることはほとんどないハルト隊長は、泣きそうな声音で「大変困ります」と言った。本当に困るのだろう、しなびたマンドラゴラみたいな表情だ。
「大変なのはその先ですよ。そうやって兵士たちが小さな命令違反をおかしはじめ、命令そのものに力がなくなると、こんどは軍隊に暴力が横行するようになります」
「どういうことじゃ」
「兵士たちを統率するものが、鉄拳制裁しかなくなるということです」
「それは、つまり……言うことをきかない兵士を、殴って言うことをきかせるということか?」
「その通りです。たかが糧食、されど糧食です」
「本当にそのような恐ろしいこと食べ物ひとつで起きるのか?」
「起きますよ」
実際に米軍は戦闘用のレーションの味に関する研究を深くしている。不味い味つけでは兵士たちの士気にかかわるが、美味すぎるのも問題だ。
「ですので、こういう争いの種をまかれるのは、大変問題なわけです。でも一番問題なのは……」
クレノ顧問はシャネル軍曹が半分食べたシャツをつついて、ため息を吐いた。
「兵士たちは……命令とあらば日に数十キロもの行軍をします。大して変わり映えのしない風景の中、歩いて、歩いて歩いて歩いて……足が鉄の棒のようになっても疲労を背負いながら歩き通し、時に眠らず、時には行き先も終了時刻もわからぬまま歩いて……そういう行軍の最中に、口に触れるか触れないかという距離に食えるものがあるのに、食うなと言われる。俺が思うに、俺たちのような技術者が考える『非常事態』と、兵士たちが思うそれとがあまりにも
クレノ顧問はそう言うと、とくに誰の反応をうかがうでもなかった。
これがフィオナ姫への講義であったことすらも忘れているようで、考え事をしているふうに、ふらりと執務室に戻って行ってしまった。
取り残された三人は少し不思議な気持ちになってそれぞれ顔を見合わせて、最終的にシャネル軍曹が「案外お優しい方ですな」とまとめた。