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【番外編⑨】ハルト隊長の(元)婚約者・上


 ハルト隊長とクレノ顧問が週末恒例パン屋めぐりに出かけていたときのことである。

 クレノ顧問は色とりどりのパンに心躍らせていたが、急に表から女性の悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴といっても、緊急を要するような声ではない。どこか浮ついたような声音だ。

 ハルト隊長とふたりして窓から外を覗くと、声を上げているのは表通りにいる女性たちだった。


「きゃ~~~~っ、ステキ~~~~っ」

「サムハン男爵夫人よ~~~~っ!」


 サムハン男爵夫人の声を聞いた瞬間に、店内にいたご婦人方が店の外に飛び出していく。

 どうやら店の外に有名人がいるらしい。

 窓から外を見ると、女性たちの熱視線の先に若い女性がいた。

 つややかな黒髪をまるで最高級の絹布のようにひるがえし、スレンダーな体をタイトドレスに包んでいる。瞳はエメラルドのように輝く緑で、口元に浮かべた笑みはどこか勝気な印象だ。

 突如として現れた美女は、車椅子に乗った老人と連れ添っていた。

 それがサムハン男爵とやらだろう。夫人にくらべると年相応に弱々しい姿だ。若かりし頃はそれなりに浮名を流したのだろう面影おもかげはあるが、白髪に力はなく、見ての通り体も不自由そうだった。

 夫人とは、おそらく四十以上の年齢差があるのではないだろうか。

 そのときだった。


「アネルラ……?」


 ハルト隊長の口から、聞き覚えのない人の名前がこぼれた。

 それは誰のことかとたずねる前に、パン屋の店員の声が割りこんでくる。


「まーっ、なんておきれいなの!」


「有名人なのか?」とクレノが訊ねると、彼女はびっくりした顔で答える。


「そりゃもう! 夫人は最近王都にやって来て、サムハン男爵の後妻になったんです。あの美貌が評判で、今やヨルアサ王国三大美女と呼ばれているんですよ」


 社交界などまるで縁がないクレノは知らなかったが、ヨルアサ三大美女とは、フィオナ姫の姉君であらせられる第一王女ソフィア・ライラック・ヨルアサ殿下、そしてベスケデス領を治める女侯爵、ハレンチーヌ・ベスケデスに、新しくサムハン男爵夫人を加えてそう呼ぶのだそうだ。


「しかし、物凄い年の差夫婦だな……」

「夫人は平民の出だというお噂です。もちろん金目当ての結婚で、奥様には他に若い恋人がいるとかいう噂もおありで……。まあでも、あれだけおきれいな奥様ですから、たとえ金目当てで浮気相手がいたとしても、男爵様だって文句はないんじゃないですか? ああ、目の保養~!」


 ずいぶん適当だな、とクレノ顧問は思ったが、貴族の暮らしなど庶民にとっては手の届かない別世界の出来事だ。そんなものだろう。

 それよりも。

 クレノ顧問はハルト隊長の表情をうかがう。先ほどサムハン男爵夫人を見つけたとき、ハルト隊長は明らかに動揺していた。


「もしかして、ハルト隊長はサムハン男爵夫人と知りあいなのか?」


 目ぼしいパンを買い、通りに出て、人通りが少なくなったところを見はからってクレノ顧問がたずねた。

 ハルト隊長は少し気まずそうに口元を引き結ぶ。


「…………聞かれておりましたか」

「うん。いつも冷静なハルト隊長が取り乱したように見えたからな。つい聞いちゃったけど、話したくないなら黙っておくよ」

「いえ、話したくないというかなんというか……。アネルラというのは、北部地方軍時代の知りあい……といいますか……」

「それってまさか……こっちに来る前に別れたっていう、元婚約者だったりする……?」

「はは。おわかりでしたか」


 いつも明瞭めいりょうな言葉遣いしかしないハルト隊長がこれだけ口ごもって言いにくそうにしていれば、さすがのクレノも気がつく。


「そのアネルラが、サムハン男爵夫人にとてもよく似ていたのです。……もちろん、彼女が王都にいるわけはありませんから、他人の空似でしょうけど」

「そ、そうだったんだ」


 クレノ顧問にとっては何とも言いづらい話題であった。

 ハルト隊長には、北部地方軍に所属していた頃、恋人がいたという話は聞いている。

 ふたりは将来を誓いあい、婚約までした仲であったが──ワーウルフ討伐作戦が失敗し、色々あったハルト隊長は王都への異動を決めた。その際、婚約者のほうは北部に残ることを選び、二人は離れ離れになってしまったのだ。


 そう、言うなればぜんぶクレノ顧問のせいである。


「その節は…………俺のせいで、ほんとうにごめん…………」

「いえ、もう済んだ話ですから」


 済んだ話というより、取り返しのつかない話である。

 クレノ顧問は心の中で泣いた。

 その日のパンはまるで味がしなかった。



 *



 翌々日、クレノ顧問は女性陣に囲まれていた。

 フィオナ姫、カレン、そして魔法開発局ルイス王子のところの主任研究員、フェミニである。

 女性陣はフィオナ姫の部屋でお茶のテーブルを囲み、クレノ顧問の到着を待ち構えていた。


「なんで……。カレンはともかく、フェミニがここにいるんだ?」

「そりゃもう、サムハン男爵夫人にただれた恋愛のかげがあるときいたからにきまってるじゃないですかクレノセンパイ! しかもその恋のお相手は、いつもこちらにうかがうときにチラッとお顔を拝見する金髪碧眼ハンサム顔の隊長さんだっていうじゃあないですか。女子にとって身内のスキャンダルほどおいしいお茶菓子はありませんからねえ……!」

「す、すげえ早口だしありえないほどゲスい!」

「ゲースゲスゲス!」


 いつもクレノを避けて回っていた、儚いフェミニの面影はそこには存在しなかった。ピンク髪の美少女は野獣の顔つきをしている。

 いったいなぜ違う局の恋愛事情をフェミニが知っているのだろう。

 そもそも、あれはハルトと二人で出かけたときの出来事だ。フェミニが知るはずはない。


「ま、まさか……!」


 とっさにフィオナ姫を見る。

 この魔法兵器開発局で起きる大体の出来事の元凶であるフィオナ姫は申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「すまぬ。クレノ顧問……わらわがいけないのじゃ」


 パン屋から帰ってきてからというもの、クレノ顧問はハルト隊長と元婚約者のことで思い悩み、仕事が手につかない状態だった。

 その様子を見るにみかねたのがフィオナ姫である。

 クレノ顧問はフィオナ姫だけに「」としてパン屋で起きた出来事を話してしまったのだ。


「わらわが口をすべらしてしまったのじゃ……カレンに……」


 その隣で、カレンが申し訳なさそうな顔をしている。

 しているのだが、クレノ顧問を見あげる瞳にはやけにまっすぐな力強さがあった。


「ごめん、クレノ。本当に失礼なことだとは思うんだけど、どうしても……どうしても誰かに話さずにはいられなくて。だって、こんな、こんなおいしい話……そうそう転がってないと思うから……!」

「か、カレンまで……」


 申し訳なさはちゃんとあるのだろうが、押さえきれない好奇心が半分以上を占めているようだ。そんなカレンをフィオナ姫がかばう。


「クレノ顧問も悪いのじゃぞ。女子はみんな恋愛話が大好きじゃ! しかもあの野生の貴公子ハルト隊長の恋バナなのじゃから!」

「まず最初に言いふらしたのが俺ですからしかりづらいですが、あまりほめられた行いではありませんからね?」


 姫様をたしなめていると、別人と化したフェミニが割りこんでくる。


「なにをカマトトぶってるんですか! さっさとはじめましょう、クレノセンパイ!」

「何をはじめるんだよ、何を!?」

「なにって、もちろん、知ってることを洗いざらい吐いてもらおうってんですよ。なにかしらの新情報をゲットするまでは──このままじゃフェミニは魔法開発局おうちに帰れません!」


 完全なる部外者であるはずなのに、何ひとつ悪びれないフェミニがものすごい勢いで新しいカップに茶を注ぎ、茶菓子を山盛りにしてこちらに差しだしてくる。アイテムのひとつひとつは女子なのに、食いつきぶりがケダモノのそれで、怖すぎる。


「洗いざらいって言ったって。俺だって姫様に話した以上の情報は持っていないよ……!」

「チイッ!」

「舌打ちがデカすぎるだろ!?」


 女性陣の、恋愛に傾けるパワーはいったいなんなのだろう。

 カレンまでもがテーブルに前のめりになってたずねる。


「ねえねえ、クレノ。ハルト隊長の恋人だったアネルラさんとサムハン男爵夫人が同一人物だっていうのは確かなの?」

「カレン……。そんなの、それこそ確かめようがないだろう。ハルト隊長もハッキリとは言わなかったし……」

「どうにかして本人に口を割らせられぬかのう」

「やめてください。フィオナ姫様がきいたら、たぶん答えてくれるとは思いますが、職権濫用ですよ」

「でもでも話によるとですよ、センパイ。アネルラさんは隊長さんの異動につきあって、北部から王都まで引っ越すのがいやで別れたんですよねぇ。それなのに王都にいるっていうのはふしぎ……というか、かなり謎じゃないですか?」


 フェミニの疑問はもっともだった。

 住み慣れた土地や家族と離れて王都に引っ越したくないという女性の気持ちはわかる。しかもクレノの失敗がなければ、ハルトは北部で現在も暮らしていただろうし、急に決まった王都への異動はアネルラにとっても予想だにしない出来事だっただろう。悲劇としか言いようがない。

 それなのに……そのアネルラが王都にいて、サムハン男爵夫人と呼ばれている。もしも二人が同一人物なら、何があったのかと疑いたくもなるというものだ。


「もしかしてもしかして、ですよぉ? アネルラさんはハルト隊長が北部にいた頃すでにサムハン男爵に見初められていて、アネルラさんもまんざらではなく……じつは穏便に別れるタイミングをうかがっていたのかもしれないじゃないですかぁ」


 フェミニが過去最高にゲスいことを言う。


「しかし、サムハン男爵だって、かなりの高齢だったぞ……」

「そこはそれ、老いらくの恋ってやつです。よくあるおはなしですよ、センパイ。でもこの仮説が正しいとなると、浮気になっちゃいますけど」

「道ならぬ恋、か……。恋愛ものの芝居では定番の筋書きじゃのう」

「姫様、サムハン男爵夫人とはお知りあいではないのですか?」


 ウキウキしたカレンに問われるが、フィオナ姫は渋い顔つきだ。


「うーむ。わらわはあまり、伴侶のあるご婦人方とは交流がないのじゃ。それにサムハン男爵夫人は最近になって王都に来たという話じゃからのう。夜会やらなにやらで交流の多いソフィアお姉様ならご存知じゃとは思うが……」


 クレノはほっとした。貴族のことはさすがに、平民がさぐろうと思って探れるものではない。姫様が無理なら、これは発展性のない話だ。

 別れたとはいえ、ハルト隊長も元恋人の噂話など聞きたくはないだろう。


 ──ところがどっこい、である。


「姫様。わたくしに策というものがございます、不肖、このフェミニにおまかせください!」


 フェミニはにやりと笑うとお茶会会場を出て、一路魔法開発局おうちへと向かった。



 *



 魔法開発局へと戻ったフェミニが駆けこんだのは、誰あろうというか予想通りというか、というか。

 ヨルアサ王国にその人ありとうたわれる第二王子ルイス・リンデン・ヨルアサのところだった。


「王子ッ! 王子、きいてください~~~~! フェミニはっ、フェミニはたいへんなことを耳にしてしまいました!」

「へえ~、ふんふん、ハルト隊長っていうと、フィオナのところのあのマジメそうな隊長さんか。ほほ~、なるほどなるほど、涼しい顔してけっこうやるねえ」

「でねでね、王子! もうたいへんなことになってるんですよぉ~~!」



 鼻息も荒く他人の恋愛話を語るフェミニと机を挟んで向かいあいながら、ルイス王子はそういうからくり人形のようにうなずきながら仕事をこなしている。

 上司に……それも王子に聞きかじった醜聞スキャンダルを話すほうも話すほうだが、仕事をしながらしょうもない話を聞きこなしている王子もすごい。

 それとも話の内容にはまるで興味がなく、興奮している相手に微妙に調子をあわせて、傾聴しているように見せかけているのか……と思いきや。フェミニの話が一段落したタイミングを見はからい、ルイス王子は机の抽斗ひきだしから分厚い手紙の束を取り出した。


「なるほどなるほど。サムハン男爵家ね……。あったあった、これだこれだ」


 ルイス王子は封も開けられていない束の中から、漆黒に金箔をちりばめた封筒を取り出し、彫刻のように整った顔の隣で閃かせた。


「フェミニ、ここにサムハン男爵家から送られてきた仮面舞踏会の招待状がある。……ボクと一緒に行ってみる?」


 王子が抽斗の中から取り出した色とりどりの封筒は、ヨルアサ王国中の貴族たちから送られてきた『夜会への招待状』であった。


「きゃ~~っ。王子! ステキ~~~~!! なんでそんなにちょうどよい代物が~~!?」

「フフフ。前々からフェミニは忘れてるんだろうなと思ってたけど、ボクはヨルアサ王国の第二王子なんだよ?」

「さすが王子! 王子が来たことでよろこばない夜会はなかった~~~~!!」

「それにボクも自分に火の粉がかからないゴシップはだ~い好き♡ だよ♡」


 もちろんこうなることを見越して、フェミニは王子のところに駆けこんだのであるが……。

 とんだ似た者上司と部下が存在したことで、一連の出来事は思わぬ発展性を見せることになったのである。

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