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【番外編⑨】ハルト隊長の(元)婚約者・中


 ルイス王子からクレノ顧問あてに礼服の一揃いと、カレンあてにドレスが届いた。靴などの小物も揃っており、是が非でも来いという圧を感じる。

 フェミニとルイス王子の暴走に巻きこまれ、クレノ顧問の夜の予定が決定した。

 仮面舞踏会である。


「げえっ……なんでこんなことに……!?」


 残業の内容が『仮面舞踏会への出席』になるなんて異世界すぎる。


「うらやましいのう、クレノ顧問。サムハン男爵家での仮面舞踏会に行けるとはな」

「でしたらフィオナ姫様が行かれたらよろしいじゃありませんか」

「仮面舞踏会は大人むけの夜会じゃ。大人向けのうたげにはときどき恐ろしいものが来るという。じゃから、わらわはまだ行ってはいけないというお約束なのじゃ」

「恐ろしいもの、ですか?」


 クレノがまず思い浮かべたのは「オバケが来るから、夜は眠らなければだめよ」などというような、保護者が使う子ども向けの方便だ。


「うむ。お姉さまによるとサムハン男爵家の仮面舞踏会にはかつて、仮面はつけてはいるもののほぼ全裸で、股間や胸だけを薄い布で覆った女が来たことがあるらしい」

「なにそれ怖っ……! 仮面舞踏会って、そんな痴女が出るんですか? ますます行きたくない!」

「それよりもクレノ顧問はちゃんとカレンをエスコートできるのか? ダンスができぬのなら、わらわが教えてやるぞ?」

「できますよ」


 クレノ顧問は平然として答えた。


「えっなんで?」

「なんでって言われましても。魔法学校の卒業式はダンスパーティですし……」


 慣れないダンスパーティで猛特訓というのが定番の流れかもしれないが、残念ながらクレノは生前に社交ダンス教室に通っていたことがあり、得意というほどではないものの苦手意識はなかった。通っていたオカマバーのママが社交ダンスマニアだった影響だ。

 すべてがトントン拍子に進んだ結果、拍子抜けしたフィオナ姫を後に残して、着飾ったカレンとクレノはシンデレラよろしく馬車に乗りこみサムハン男爵邸へと向かうことになった。

 クレノとしてはどうしても気が重い道行きだ。

 同僚であるハルト隊長の過去を根ほり葉ほりするなんて、やってはいけないことだと思う。

 だが、カレンがはしゃいでいるのを見ると、あまり強くも言えない。


「私、こんな素敵なドレスを着るの、はじめて!」


 カレンは落ちついたルビーレッドの生地に、金色の刺繍を散らしたドレスを着こなしている。チュールを重ねたスカートが女性らしくかわいらしい印象のドレスだ。

 オフショルダーはやりすぎではないかと思ったが、元気なカレンらしくもある。仮面は金色の左目だけを覆うタイプのもので、特殊な服装に慣れていなくても動きやすそうだ。

 これをルイス王子が選んだのだとしたら、さすがの慧眼けいがんであった。


 日が落ちると、サムハン男爵邸の前には仮面舞踏会に出席する馬車が鈴なりになって列をつくった。


 現地での集合場所に現れたのは、もちろん愛らしいピンクのドレスを着たフェミニと、それをエスコートするルイス王子──ではなかった。

 そこでクレノ顧問が見たものは、なぜか男装し男ものの礼服を着たフェミニと、見覚えの全くない貴婦人である。


「フェミニ、どうしたんだそのかっこう!」


 いくら仮面をつけているからといっても、隠せないものはある。

 服装は紳士でも、フェミニの豊かな胸部はパツパツで、どうみても男みたいには見えない。


「もちろん、カレンちゃんのエスコートをするためです。ぬかりましたね、センパイ! このフェミニの目が黒いうちは、センパイにカレンちゃんのエスコートなんかさせるわけがないんですよ!」

「お前……まさかそのためだけに……?」

「きゃ~っ、カレンちゃん、すてき! 今日はわたしがカレンちゃんを、世の中の薄汚い虫けらすべてから守ってあげるからねっ」


 フェミニはすでにクレノへの興味関心を全くなくしており、ドレス姿のカレンに夢中だ。


「そのまさかだよ、クレノ君」


 フェミニと連れ立って現れた見知らぬ貴婦人から死ぬほどウンザリした聞き覚えのある声が聞こえてきて、クレノは戦慄せんりつする。


「その声はまさかル……ルイ……」

「シッ。名前は呼ばないでよ、絶対に!」


 見知らぬ貴婦人と思ったのは、女装したルイス王子だった。

 ルイス王子は、なぜか深い藍色のドレスを着ていた。もちろん女性のものだ。

 星くずのような銀色のラメが入った生地で、すそにかすかに魔法の紋様の刺繍が入っている。肩のあたりは紫水晶アメジストのブローチを飾ったオーガンジーのケープで隠され、長いトレーンを背中の側に優美にたなびかせている。

 紫水晶と黒い羽かざりのついた仮面で顔の半分を覆ってはいるもの、それは確かにルイス王子だった。

 クレノはたぶん今年度いち驚いた。

 マッハじゅうたんとかゲーミングベルトとかいろいろあったが、すべての記録を光の速さで塗り替えていくくらいの驚きだ。


「な、なぜ……!?」

「見ての通りだよ。フェミニ君は言い出したら聞かないんだ。とくにカレンちゃん関係はね」

「そりゃそうですけども。でも、あんなの許されるんですか?」

「さいわいにしてサムハン男爵邸の仮面舞踏会なら、あれくらいの仮装はお遊びの範囲だろう。まあ、二人ともかわいいし……」


 王子が言うとおり、カレンをエスコートする明らかに女子なフェミニを、近くにいる参加者たちはほほえましく見つめている。

 問題は王子のほうである。


「じゃあ、王子の女装はなんなんですか」

「だあって、フェミニが男装をゆずらないから。ボクだって苦渋の決断なんだよ。ボクが女装するか、君に女装させるかで小一時間は悩んだんだから」

「俺が女装するっていう選択肢もあったんですか!?」

「あった。でももしもボクの正体が第二王子だってバレるようなことがあったとして……クレノ君、キミに似合わない女装をさせて連れ歩いていたら、ヨルアサ王国の第二王子はとんでもない変態で、しかも美的センスもイマイチだと思われる……。だったらボク自身がレベルの高い女装を披露ひろうして、とんでもない変態には違いないが美的センスはまともだと証明したほうがいい……」

「それは誤差ですよ誤差!」

「ちなみに、これがバレたらサムハン男爵の老いらくの恋なんて軽く消し飛ぶほどの大スキャンダルになるからね」

「お似合いですよ、ルイーズ様。今夜は絶対に仮面を外さないでくださいね!」

「おうとも」

「なるべくしゃべらないでいただきたい!」


 幸か不幸か、常日頃から美貌で鳴らしているルイス王子の女装はなかなか堂に入っていた。ウィッグをつけて薄化粧を施した姿は、王子だと言われなければまさに絶世の美女だ。どうみても夜会の主役。信じられないほど目立つ。


「ええい、もうどうにでもなれ!」


 クレノは仕方なく、この超ド級のスキャンダルをエスコートして舞踏会の会場に入った。



 *



 仮面舞踏会は盛況であった。

 招待状が誰に送られているかは把握しているだろうが、その出入口では、招待状さえあればよく名前までは確かめられない。

 四人は無事に潜入に成功したものの、目的のサムハン男爵夫人の姿はなかなか見つけられないでいた。

 とにかく人が多すぎるのだ。

 メインのダンスホールに入りきらない招待客が、きらびやかに飾りつけられた庭にまであふれ、談笑する声がそこかしこで響いている。


「カレンちゃん、せっかく来たんだし、わたしと一曲おどろうよ!」


 さっそく夫人探しに飽きたフェミニがそんなことを言い出した。


「えーっ、いいのかな?」

「いいですよね、ルイーズ様っ」


 ルイーズ様ことルイス王子が黙ったままうなずくと、フェミニとカレンは手と手を取りあってダンスホールに入って行った。

 二人とも、はじめての夜会にはしゃぎまくっている。


「さあて、ボクたちはどうしようね」

「集中してください、ちょっとの油断でバレますよ!」


 注目を浴びるわけにはいかないので会場の隅っこでじっとしておきたいのだが、連れているのが絶世の、それも謎の爆美女となるとそうもいかない。どこにいても周囲の男たちがソワソワしはじめ、この美女と何とかしてお近づきになりたい、という意志を仮面ごしに伝えてくるのだ。


「どうにかして夫人を見つけなくちゃね。クレノ君。キミ、杖は持ってきた?」

「ええまあ一応。肩に吊ってきてますよ」

「じゃあ、それで釣りでもしよっか」

「釣り……?」

「ちょっとごめんあそばせ」

「ああ、ちょっと、ルイーズ様!」


 ルイス王子ことルイーズ様は、近くで談笑していた紳士たちに声をかける。

 もちろん、声色を変えて、だ。


「サムハン男爵夫人にお会いしたいのだけど……どちらにいるかご存知ではありませんか?」


 声をかけてきたのが絶世の美女と知るや否や、男たちは瞬時に相好を崩した。

 鼻の下をのばしたにやけづらだ。わかりやすい。


「いやあ、私どもの知るかぎり、夫人はまだお出ましになられておりませんな」

「まあそうでしたの」

「見かけないご婦人だ。どちらのご出身です?」

「不作法をお許しになってくださいましね、わたくし王都には来たばかりで……王都での土産話に、うわさの夫人とお話してみたいと思ってますの」

「それはようこそ、お知り合いになれて光栄です」


 わざわざ謎の爆美女から声をかけられたとあって、この機を逃すまいと周囲の狼たちがわんさと群がってくる。

 あっという間にルイス王子の周囲に囲いが作られた。

 こらこらこら。

 焦るクレノ顧問を後目しりめに、ルイーズ様はおうぎの下に口もとを隠しながら、余裕の表情だ。

 そのとき、どうみても周囲の男たちとは身なりの違う紳士が囲いを割って現れた。


「サムハン男爵とは知りあいですよ。どうか一曲踊りませんか? その後にご紹介いたしますよ。夫人もいずれはお出ましになるでしょうしね」


 体格のいい赤毛の紳士で、身につけた服も時計も全てが一級品だ。

 ほかの狼たちは一歩引いて、なりゆきを大人しく見守っている。

 彼らの反応からすると、ただの金持ち客とは考えにくい。

 恐らくは位の高い、名の知れた貴族だろう。

 赤毛の紳士はちらりとクレノのほうを見た。


「……あぁ、もちろん。お連れの殿方のお許しがいただければ、ですが。あちらの方は貴女の夫君ですかな」

「ふふ。かわいいでしょ、従兄弟いとこですの。王都は危険が多いって聞きましたから、護衛がわりにね」

「ははは、それはいい。王都の危険は知らぬうちに忍びよってくるものです、若者に耐えられるものかどうか」

「あらあ、彼も意外とやりますのよ?」


 ルイーズ様が後ろ手に合図を送ってくる。


 いけしゃあしゃあと……。


 しかし反抗することもできないので、クレノは黙って王子の隣に立った。

 王子はクレノが着ている上着のえりをいささか乱暴に掴むと、その中身を開いてみせた。あらわになったのは、銀色の狼のチャームがついた魔法使いの杖だ。


「あっ」


 声を上げたのは、クレノではなくルイーズ様を取り巻いていた男たちのほうだ。


「仮面舞踏会ですから、お名前を明かすようなことはしませんけれど……この方、こう見えて北部地方軍では、部隊をひとつひきいております腕っぷしですのよ。あの悪名高きワーウルフ掃討作戦にも参加していたんですから。ねっ、少尉殿?」


 クレノのことを北部地方軍の魔法使い兵だと判断したのだろう。男たちの顔色がたちまち悪くなる。

 たぶん彼らにはクレノのことが悪名高きゴリラ幼稚園から逃げ出してきたゴリラに見えているに違いない。


「そ、それは……。そのように勇敢な殿方がついておれば、安心ですな!」


 赤毛の貴族も、どうにも旗色が悪いようすだ。

 どれだけ位があったとしても、暴力が怖いのだ。

 男たちはそそくさとルイーズから離れて行った。


「…………何か少し、同じ男として腹が立ちますね」

「まあ、あんなもんじゃないの。さあ、クレノ君。これをあと二、三回繰り返せば、噂が会場を駆けめぐり、黙っていても目的のものがあちらからやって来るよ」

「え~、サムハン男爵夫人が、ですか?」

「そう。考えてもごらんよ。サムハン男爵夫人が正真正銘、ハルト隊長の元恋人アネルラで、男爵の後妻におさまってよろしくやっているんだとしたら。『北部地方軍で部隊を率いていた少尉殿』が『仮面に顔を隠して舞踏会へとやって来た』なんて小耳に挟んだら、とてもではないけど冷静ではいられないよ」

「あ、なるほど……」


 確か、サムハン男爵夫人には『金目当て』や『若い恋人と浮気をしている』とかいうとんでもない噂話の数々があったはずだ。

 もしも彼女の正体がアネルラなら『北部地方軍』や『少尉』といういくつかのキーワードでハルト隊長のことを連想するかもしれない。ハルト自身は魔法使い兵ではないから、別人であることも伝わるかもしれないが、もしもハルト隊長の知りあいがこの会場にいて、よけいな噂に拍車がかかったら夫人の立場は悪くなる。


「もちろんサムハン男爵夫人に後ろめたいところが何もないなら、噂は噂として、大きく構えておけばいい。人の噂も八百六十五日って言うからね」


 やけに長いな、と思ったが、たぶん異世界翻訳の都合だろう。


「でも……後ろめたいところがあるなら、彼女は絶対にボクらの前に姿を現すよ。ああ、おもしろい!」


 とか言いながら、ルイス王子は仮面の下で、涼しい藤色の瞳を細めてみせた。なんて邪悪な目つきなのだろう。

 いや、あくまでも見た目は美貌のルイーズ様だ。

 邪悪だと思うのはクレノの過去の経験のせいかもしれない。

 魔法珍兵器開発室の魔法兵器をパクリまくって、フィオナ姫を少なからず窮地に追いやった知略の人、それがルイス・リンデン・ヨルアサ王子だ。


 もちろん知略といっても、悪知恵のほうである。


 クレノ顧問としては、ハルト隊長の過去を積極的に暴きたいわけではない。だが、こうなったらもう誰にも止められない。

 クレノはフィオナ姫のことなら止められるが、ルイス王子は止められない。止めるべき女はどこかに踊りに行ってて不在だ。


 かくして、サムハン男爵夫人は現れた。

 クレノとルイス王子があちこちで『北部地方軍』の噂を流したおかげで、彼女はカンカンに怒っていた。

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