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【番外編⑨】ハルト隊長の(元)婚約者・下


 サムハン男爵夫人を釣り出すべく、ルイーズ様はきらびやかなドレスの裾をふりまわし、舞踏会会場のあちこちで愚かでかわいそうな男たちに声をかけて回った。

 ダンスホールではめかしこんだ無数の男女がきらびやかな踊りを披露していたが、ルイーズ様ほど華麗に踊り回る客はいなかっただろう。

 彼女は一度たりともステージに上がることなく、男たちの鼻先を思わせぶりにくすぐって甘ったるい魔法の粉を振りかけるだけ。

 しかもルイーズ様ことルイス王子は伴侶パートナーのあるなしに関わらずそれをやるので、舞踏会の雰囲気はみるみるうちに悪くなっていく。男性たちはみんながルイーズ様のとりこで、女性たちは学級会直前だ。

 会場のボルテージが最高潮に達する頃には、あちこちで様々な噂話が美しい毒の花を咲かせていた。


「北部地方軍の若い軍人が夫人を探しまわっているらしい」

「どうして軍人なんかが?」

「夫人も確か北部の出身だったはずだ」

「ああ、そういえば確かになまりがそうだ」

「もしかして、その軍人というのが噂の夫人の恋人なのではなくて?」

「かわいそうに、夫人を追いかけて王都までやって来たにちがいない」

「夫人を守るために恐ろしいワーウルフと戦ったのに捨てたのか? なんてひどい仕打ちなんだ」

「いや、夫人は恋人を連れて王都に来たのだけど、男爵に乗り換えたのだ」

「そうか、そのほうが辻褄つじつまがあう」

「まあなんてことなの」


 みんな、あちこちで適当な噂話に興じている。


「やりすぎですよ、ルイーズ様」

「なんだい、これくらいの噂話。貴族社会では日常茶飯事だよ。ボクだって正体は宇宙からきた八本足の魔物だと言われていたことがある」

「いや、みんなルイーズ様がどうとかでなく、もう俺のほうの噂話になってきてませんか?」


 正体不明の悪意が自分に向けられているのをクレノ顧問はひしひしと肌で感じていた。みんなが声をひそめながらクレノの動向をうかがっているのだ。

 よくわからない欲望が仮面のうず巻いているのを感じる。


「ねえねえクレノ君、ちょっと。ボク、足が痛いな……靴ずれかも」


 ドレスのが邪魔でわからないが、ルイス王子は左足を引きずっているようだった。


「ほら、調子に乗るから。天罰てきめんですね」

「まさか。神様はこんなことまでいちいち見てはいないよ。いてて」

「どこかで休みましょう」


 人気のないところを探して適当に歩き回っていると、使われていない部屋をみつけた。

 扉を開けてみると、薄暗いながら美しい調度品が並んだ応接間が現れる。

 月明りを頼りにソファに座らせて、クレノはルイス王子の足の様子を見てみた。人が殺せそうなヒールをした靴を脱がす。踵が切れて血が出ていた。

 チーフを包帯がわりに当てて、傷口の手当てをしているときだった。

 薄暗い部屋の扉がいきおいよく開いた。

 月明りの下に現れたのは、サムハン男爵夫人だった。

 顔に黒白に塗り分けられた羽の仮面をつけているが、たぶんそうだ。

 細かなダイヤモンドを散らした髪飾りと、銀糸で刺繍を入れた黒のドレスが大変よく似合っている。ただ本人はそれを言われても、うれしくもなんともなかっただろうことはうけあいだ。


「あなたたちね。男爵様の舞踏会を荒らしてる二人組っていうのは! いったい何が目的なの、お金!?」


 彼女は伴も連れずにひとりでやって来て、キンキンと響く声を上げた。

 それだけで後ろ暗いところがあると告白しているようなものだが、仮面の下にのぞく緑の瞳は怒りに燃え上がっていて、そんなことにも気がついていなさそうだ。


「ほら、ルイーズ様。めちゃくちゃ怒ってますよ」

「おやおや。何を怒っていらっしゃるのかな。心あたりがないなら黙っていればおよろしいのに。ねえアネルラ様?」


 アネルラと呼ばれ、夫人は少しばかり顔色を変えたようだ。かわいそうなくらいうろたえている。


「どうしてその名前を知っているの? まさか、あんたたち本当にハルトの仲間か何か?」


 これはもう自白と言ってよかった。

 もしかするとキツいのは見た目だけで、案外と素直な性格なのかもしれない。


「その反応だと、どうやら噂は本当のことみたい。君に捨てられたハルト少尉は君がまだ北部にいると思って王都でも元気にやっているよ」

「す、捨ててなんかいないわ!」

「でも婚約破棄したんでしょ」

「したけど……先に私に愛想をつかしたのはあっち! ハルトのほうなんだから」

「え? そうなの? 聞いてた話とちがうね」

「俺が聞いていた話とも違いますね。うーん……恋愛話なんて彼氏のほうに話をきくか彼女のほうに話をきくかでだいぶ印象変わるもんですけど、婚約までしてた女性に愛想をつかすハルト隊長っていうのも解釈違いですね俺は」

「じゃあウソなんじゃないの」

「ウソなんかじゃない。あんたたちに何がわかるっていうの。男爵様に何かするつもりなら容赦しないんだからね」

「おや、かいがいしいね。どうせ金目当てなんでしょ?」

「うるさい! この女狐めぎつね!」


 ルイス王子の不用意な一言がアネルラのカンに障ったらしい。彼女は血相を変えてルイーズ様に掴みかかった。


「それはまずい!」


 ルイス王子は自業自得だが、ここでアネルラが少しでもルイス王子に傷をつけたらとんでもないことになる。

 クレノは慌てて止めに入るがアネルラもまったく引かない。


「何よ、あんた。引っこみなさいよ!」

「だめです、本当にそれはしゃれにならない!」


 突き飛ばすわけにもいかず、もみあっているうちに何かにぶつかる。

 足元をみるとルイス王子がつけていた黒い仮面が転がっていた。


「あっ」


 とっさにクレノ顧問はルイス王子に覆いかぶさる。

 アネルラはそれでも闘争本能を失わず、クレノの背中をぶってくる。


「いでっ! み、みられました?」

「いや。でもそれより……男爵がやばい」


 廊下の向こうからアネルラ、と夫人を呼ぶ声が聞こえてくる。


「アネルラ、いったいどこにいるんだい、アネルラ!?」


 声はどんどん近づいてくる。アネルラも血相を変えている。そりゃそうだ。妻が舞踏会の正体客にビンタをかましているところを見たら百年の恋だってさめる。

 でも男爵にこんなところを見られたら、王子の正体がばれかねない。男爵は確実に王子の顔を知っているからだ。

 男爵が妻を呼ぶ声が扉の近くまで迫る。

 何故か、クレノもアネルラもどっちもピンチに陥っているときだった。


「サムハン男爵様ーーっ! どちらにおいでですかッ! 大変です! 大変なことが起きております!」


 何やらあわてふためいた様子の、使用人と思しき声が廊下のむこうから聞こえてくる。


「どうしたのだ、いったい何があったのだ?」

「ハレンチーヌ様がっ! ハレンチーヌ・ベスケデス女侯爵様がお越しですっ!」

「おお、なんとベスケデス侯爵が!? なぜだ。彼女はおととし出禁にしたはずであろう!?」

「はい。たしかに旦那様はハレンチーヌ様を『局部をハンカチで隠しただけの前衛ファッションで舞踏会に来た罪』で出禁になさいました。どうもそれが不服だったようで、今度は『胸と股間がくり抜かれたドレス』をまとっておいでです!!」

「おお……なんということだ!」


 使用人が泣きそうな声で、やたら情報量が多いセリフを言い終わるや否や、ダンスホールの方角から叫び声が聞こえてきた。


「きゃーーーーっ」

「逃げろ! 痴女が出たぞ!!」

「破廉恥すぎて見ていられない、俺はもう帰らせてもらう!!」


 どうやら招かれざる客の出現により大混乱が巻き起こっているらしい。使用人に連れられ、男爵はホールのほうに去って行ったようだ。


「男爵様、おひとりじゃ危ないわ! わたくしも行きます!」


 アネルラもその後を追いかけて行った。

 ハレンチーヌ・ベスケデス。誰だか知らないが下ネタに振ったレディー・ガガみたいな女のようだ。助かった、とクレノ顧問は胸をなでおろす。

 会場が大混乱に陥っているあいだに、クレノはルイーズ様を抱きかかえてサムハン男爵邸から脱出した。



 *



「なんじゃ、つまらんのう。つまりハルト隊長の恋愛事情はほとんどわからなかったということではないか~~~~」


 後日、事の顛末てんまつというものを報告すると、フィオナ姫はクレノを小馬鹿にしたように言った。


「ごめんなさい、あたしたちのほうは普通に仮面舞踏会を楽しんでしまいました」


 カレンとフェミニはすっかり遊びほうけて、痴女の乱入でパニックになった隙をうかがって逃げ出したそうだ。


「謝ることはないぞ、カレン。クレノ顧問がふがいないだけの話じゃ」

「違いますよ! 他人のプライベート……それも、ハルト隊長がわざわざ話したがらないようなことにまで、あれこれ干渉するのがよくないって話ですよ!」


 クレノ顧問は、自分の部屋にまで押しかけてきてあれこれと聞き出そうとするフィオナ姫とカレンに辟易へきえきしながら、このふたりをどうにか追い出せないか思案していた。そのとき、控えめなノック音が鳴った。


「実験部隊のハルトです」

「入ってくれ」


 噂の的にしていた人物がやってきたので、フィオナ姫とカレンは気まずそうである。


「報告書をお持ちしました。姫様とカレンさんもいらしたのですね」

「うん。仕事の邪魔されて困ってるんだ」

「それはそれは。……ええっと、自分がわざわざ話したがらないプライベートの話、というのはいったい……?」


 カレンと姫様は同時に「ぎょっ」とした顔を浮かべた。

 どうやら薄い壁越しに会話が丸聞こえになっていたらしい。


「クレノ顧問、お仕事の邪魔して悪かったのう!」

「また後でね!!」


 ふたりはそそくさと部屋を出て行き、後にはクレノ顧問だけが取り残された。


「あいつら、まじかよ……!」

「クレノ顧問?」


 もうこうなっては仕方がない。

 クレノはハルトにも洗いざらい、事の顛末というものを話して聞かせた。ルイス王子が女装で出て来てハレンチーヌ女侯爵がとんでもない衣装で参戦してくるくだりは「夢……?」とかすれ声が聞こえてきたが、体温は正常でいかなる病気の兆候もないと説明し、おおむね納得してくれた。


「そうでしたか。やはり、あのとき見かけた女性はアネルラだったのですね」

「それは間違いないらしい。これは後からルイス王子に聞いたんだが、アネルラはハルト隊長がこっちに来たのとほぼ同じ時期に王都に来ていて、家政婦としてサムハン男爵邸で働いていたんだと。……ショックだよな、別れた女性とこんな形で再会することになるなんて」

「いえ、彼女の消息が知れてよかったです」

「姫様をはじめとするゴシップ大好き連中を止められなくてごめん」

「それは顧問の責任ではありません。それに大した話でもないんですよ。アネルラとのことは……。彼女とは、知ってのとおり北部時代に知りあいました」


 ハルト隊長は、ためらいがちにクレノの知らない北部時代のことを話しはじめた。


「その頃アネルラは病がちな父親と弟たちの世話をしながら酒場で働いておりました。評判の美人でした。うちの部隊が何度か飲みに行き、そこで知りあったのです。勝気な姉御肌って感じの女性でした」

「こう言っちゃなんだが、あんまり二人がつきあってるところって想像できないな。タイプが違いすぎるっていうか……」

「そうですね、アネルラは初対面でもぐいぐい来るタイプで、なんか気がついたら交際してることになってました」

「それは想像しやすい。ありそう」

「あったんです」

「なんか、ハルトが先に愛想をつかしたとか言ってたけど?」

「そんなことはないですよ。もちろん自分なりにではありましたが、アネルラのことは大事にしていたつもりです。彼女に頼まれたことは大抵なんでも応えようと思ってしていました。たとえば父親の看病を手伝ったり、兄弟の世話をしたり」

「……おいおい、そんなことまでしてたの? まさかとは思うけど、お金とか渡してなかったよな?」

「毎月いくらか渡してました」

「はあ……?」


 婚約してからならともかく交際してる段階でそこまでさせるだろうか。


「それ、騙されて金づるだと思われてたんじゃないの?」

「できる範囲のことしかしておりませんよ。ただアネルラからは主体性がないと言って怒られていました。デートの提案やらプレゼントやら、だいたい彼女の希望通りだったので『本当は愛してないんじゃないか』と疑われてケンカになりました……まあ怒ってるのはアネルラだけでしたが……」

「なんじゃそりゃ」

「プロポーズもアネルラからでしたし、こちらの熱意が感じられないことが不満だったのかもしれません」


 アネルラは『愛想をつかしたのはハルトのほう』と言っていたが、どうやらそれはアネルラが一方的に『ハルト隊長の愛情に疑惑を抱いていた』という話だったようだ。


「あんまり愛情表現とかしないタイプだったりする?」

「それはそうですね。異動のことも直前に言うなって怒られました」


 それはハルトも悪いような気がするが、お金を渡していたことを考えると、かなりアネルラのいいようにこき使われていたんじゃないのかという気もする。どっちもどっち、とでも言えばいいか。


「アネルラは元気そうでしたか?」

「それはもう。なんだかんだ男爵に愛されてるんじゃないのかな。アネルラのほうも男爵のことを想ってはいるみたいだったしな」


 クレノはパン屋で見かけたアネルラの姿を思い出す。

 彼女はあのとき、男爵の車椅子を手ずから押していた。従者の手を借りたのは店の前の段差を乗りこえるときだけだった。


「本当によかった。じつは婚約を白紙にする前に、アネルラの父親は亡くなったのです。女一人で家族を抱えて困っていたでしょうから、王都に来ていたことは責める筋合いがありません。男爵に見初められたならこの先も安泰あんたいでしょうしね」

「少し人がよすぎるな、ハルト隊長は」

「そうでしょうか」

「本当にアネルラのことが好きだったの?」


 クレノが核心をたずねると、廊下のほうで床がきしむ音がした。


「まて、ハルト隊長。曲者だっ!」


 クレノはいきおいよく廊下に飛び出した。


「に、逃げろカレン!」

「ごめんなさ~~~~い!!」


 金色のツインテールと赤毛の後ろ頭のセットが、転がるように廊下を走り去る。


「さすがに盗み聞きは下品すぎですよ姫様!!」


 クレノ顧問が二人を追いかけて行き、ハルト隊長はクレノ顧問の執務室にひとり取り残された。

 報告書も置き去りで、どうしようかと迷っていたところに声が聞こえてくる。


『好きでしたよ。あまり自分の意見というものを持たない俺のことを、ぐいぐい引っ張っていってくれるところが……』


 それはまぎれもなく自分の声だった。

 振り返ると、部屋の壁にかかっている『真実の鏡』に、金色の髪を黒地に銀の刺繍入りの軍帽——そして地方軍の狼のエンブレムを飾った軍服を着たハルト少尉が映っている。


 それはハルト隊長がハルト隊長になる前の姿だった。

 驚いて目をこすると、その像は消えてなくなる。


 もう一度鏡をみると、中央軍のカーキ色の軍服を着た自分自身が、どこか呆けた顔つきで立っていた。


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