閲兵式に向けて本格的な準備がはじまった。
クレノ顧問は朝から板を張りつけたマッハじゅうたんにロープを結び、支柱に結わえて飛ばしていた。
解放されたマッハじゅうたんは大空に飛び上がり速度を上げようとするが、ロープにさえぎられて飛び立つこともできない。そのうちに板のほうが壊れてバラバラに砕けてしまった。
「マッハじゅうたん、
クレノ顧問の合図に従い、じゅうたんは地面に落下した。
「お前ら、よくもこんな恐ろしいものに乗ってレースなんかしていたな」
「いやまさか。このままのじゅうたんに乗ってレースをする者はさすがにおりません」
うんざり顔のクレノ顧問に答えるのはエルメス曹長である。
「なるべく安全に飛べるよう重りをつけるなど各自工夫を行っておりますから。板切れではなく鉄板を使う者もおりましたな。最近一番人気の手法は、じゅうたんをあらかじめ洗濯しておくというものです」
「洗濯?」
「はい。何故かはわかりませんが二、三度洗濯して天日干しにしたじゅうたんは速度がちょうどいい具合に弱まるのです。魔法兵器は水に弱いのですかね?」
「いや、そういう話は聞いていないけど……」
三度洗ったじゅうたんを見せてもらうと、平べったい
「元のじゅうたんと分厚さがだいぶ違うな」
「ぬるま湯で一時間つけ置きした後、三十分間もみ洗いをして、その後きっかり二十五分間ブラシをかけるのがコツなんです」
「やけに具体的なのはなんでなんだ」
「みんな給料がかかってますから。金が絡むと細かくもなります。これまで行った各種の工夫、そしてその効果はきっちり記録につけておりますよ」
「…………あ、そう」
通常業務も給料がかかっているのだから、それくらい細かくきっちり仕事をしてほしいとクレノは思った。
「おそらくだが速度が弱まるのは水洗いの影響ではなく、じゅうたんの形状変化によるものだろう」
「ほほう、形状変化ですか?」
「そうだ。魔法兵器は変な形のものが多いだろ? ランプにリンゴにじゅうたんに……こういうものは、その形や物が持っている物語に意味がある。普通、じゅうたんは空を飛ばないが『空を飛びそうだ』というイメージがある。だから、その形状がじゅうたんから離れれば離れるほど魔法の力が弱まるんだ」
「なるほど。では我々が必死にブラシをかけたことによって……」
「じゅうたんの
怒られることはあってもほめられることはないと思っていたのだろう。エルメス曹長はびっくりした顔つきである。
クレノとしても不本意であるが男気レースの記録は今後の役に立つ。何しろ、あの危険なマッハじゅうたんにわざわざ『乗ってみよう』という無謀さがなければ、絶対に得られなかった情報だ。
そこにヘルメットをつけたフィオナ姫がやって来た。
「クレノ顧問、実験は順調かのう!」
「はい、姫様。俺が寝ている間に何が起きていたか、あらかたわかってきましたよ。いまエルメス曹長にも説明していたのですが、じゅうたんの形状——厚みを調整することで、あのバカみたいな速度を減速させる余地がありそうです」
「え~っ!」
姫様は不満げに声を上げる。
「マッハじゅうたんは、マッハなところがいいところなのじゃぞ。それじゃと、いいところがひとつ減ってしまうではないか!」
「輸送機にマッハはいりませんよ、マッハは」
この世界に超音速輸送機はまだ早すぎる、とクレノ顧問は内心でぼやいた。そもそもじゅうたんそのものが音速の衝撃に耐えられないのだ。
「それから、耐荷重の問題があります。現状じゅうたんは過度な荷重がかかると——たとえばシャネル軍曹が乗っただけで、高度が隊舎の屋根程度まで下がります。問題ありです」
「ひとり乗り用のじゅうたんじゃからのう。そこはわらわも盲点じゃった」
「ひとまず閲兵式に出す輸送機は人を乗せない無人機とします。乗員の重量を無視できますし、甲板など作らなくていいぶん軽量化できます。万一、風に流されたりして観客や王族方に突っこみそうになったら魔法で焼却処分できますしね」
「大丈夫なのかのう? それ」
「姫様、ゼロリスク思考で兵器開発なんかできませんよ」
「せめて着陸のことはちゃんと考えておくのじゃぞ」
「もちろんです。……これをご覧ください」
クレノ顧問が広げてみせたのは、徹夜で仕上げた輸送機の設計図だ。
そこに描かれているものは人や貨物が乗る胴体にふたつの翼が生えた、クレノ顧問にとっては見慣れた『飛行機』の形だ。だが、この世界では初めて発見された『空を飛ぶ形』だった。
「変わった形をしとる。蓋がついた船に羽が生えておる! この真ん中の胴体の部分に、人が乗るのじゃな?」
「はい。空気抵抗を押さえ、圧力に強い形状になっております。今回はマッハじゅうたんを使うので飛ぶ力は考えなくていいのですが、翼があることで安定して飛翔することができます。機体の角度を変えることで翼に風を当て、ブレーキをかけて着陸態勢に入ることも可能です。まあ——俺としては
「なんじゃ? おなかがすいておるのか?」
「いえ、こっちの話です」
クレノ顧問は悔しそうに歯がみをする。空を飛べる形というのは、人が思うよりも幅広い可能性がある。必ずしもライト兄弟が考え出した『飛行機』のモデルだけが正解ではないはずだ。
「ふーむ。
「鯨ですか?」
「うむ。昔絵本で見ただけなのじゃがな。こんな形のでっかいヒレがついておった! そうじゃ、これは『空飛ぶ鯨号』ということにしよう!」
正確に言うとトビウオの形が近いのだが、王都から海は遠い。姫様はトビウオを見たことがないのだろう。
「鯨というには少し細身ですね」
「なんとかならんか?」
「検討します。ひとまず今後の課題としては……十分な高度を保ちつつ、安定した飛行が可能になるよう、まずはマッハじゅうたんの出力の最適なバランスを見つけ出さなければなりません」
「思うのじゃがな、クレノ顧問。空飛ぶ鯨号の機体は木材で作るのじゃろう? 人を乗せぬとはいえ相当に重くなると思うのじゃ」
「はい、その通りです。それも課題のうちのひとつですが、すでに解決策があります。ガテン親方に模型を作ってもらいますから完成までしばしお待ちください」
「うむ!」
「あとは、じゅうたんの仕入れですね。……ざっと試算してみたところ、このままだと五百枚枚以上のじゅうたんが必要になります」
「膨大じゃの~!」
「それだけのじゅうたんを作るだけでも大変ですが、もっと大変なのは、出来上がったものに魔法をこめて、すべて魔法兵器化しなければならないという点です」
「それってそんなに大変なのか?」
「ええ。一枚一枚、儀式つきの
「フェミニ殿にも協力をあおがねばなるまいの」
「協力してくれたとしても三人ですからね。寝ずの祈祷になります。考えるだけで気が重たくなりますよ」
「むむむ……。そうじゃ! わらわがこのあいだ考案した魔法兵器がもしかしたら役に立つかもしれん!」
「姫様? 魔法兵器開発はお休みにするって言っていたじゃありませんか?」
「じゃって思いついてしまったからには、このあふれ出るアイデアを形にしたいじゃろ? それにこの状況下ではうってつけの魔法兵器じゃと思うのじゃ! クレノ顧問もわらわに感謝すること間違いなしじゃぞ!」
「えええええ~? ホントかなあ……」
クレノ顧問は全く信用していなかったが、とりあえず見てみることにした。