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第103話 シンダーナ神聖帝国の野望・再び


 クレノ顧問がくだらないことで時間を浪費ろうひしていたそのとき、シンダーナ神聖帝国の状勢は混迷を極めていた。


だとっ! いったいヨルアサ王国は何を考えておる!」


 シンダーナ神聖皇帝は報告書を手に激怒していた。

 クレノ顧問が知るよしもないことではあるが、シンダーナ神聖皇帝はいまだに魔法兵器開発室を国家の脅威として認識していた。


「落ちついてくださいませ神聖皇帝陛下っ」

「落ちつけるものか。このようなものが実用化されてみろ、顔のわからぬ密偵スパイが山のように我が宮廷に入りこんでくるかもしれない! いや、すでに……お前たちの誰かがスパイと入れ替わっていてもおかしくはない!」


 シンダーナ神聖皇帝は、その場に居あわせた重臣たちをにらみつける。

 彼らは皇帝の怒りに右往左往しているばかりで、神聖皇帝の恐慌ぶりをいさめることもできないでいた。


「即刻スパイをあぶり出せ! 疑いのある者はすべからく捕らえて牢に入れるのだ!!」

「ははーーーーっ!」


 シンダーナ神聖帝国は皇帝を神とあがめている。

 それは国家権力がすべて皇帝に集中しているということであり、皇帝が下した決断であればどのような無法もまかり通るということでもある。

 多くの大臣、官僚がスパイ疑惑をかけられて捕らえられ、地下牢に送りこまれた。それは魔法兵器開発省のステラン長官であっても逃れられるものではなく、他の罪人たちと同じように石造りの床に横たわっているしかなかった。

 ある夜、彼が入れられた牢に近づく女たちがいた。


「ステラン長官、よく生きていました。牢を出なさい」


 顔を隠してやってきた女たちは、どこかから手に入れた鍵で牢を開けると、中にかわりの死体を投げこみ、ステランに侍女の青い服を着せて外に連れ出した。


「貴女たちは……」

「さ、おはやく。フェリス皇女殿下がお待ちかねです」


 連れて行かれた先は男性が立ち入ることのできない女の園、後宮で、言われた通りシンダーナ神聖皇帝の第一皇女フェリスが待ち構えていた。

 ここまでステラン長官を案内してきた女たちはどうやらフェリスの侍女たちであるらしかった。彼女たちは長官に椅子を用意して、かぶっていたフードを脱ぐと、緊張した面持ちで壁際に控えている。

 フェリスはいつもは結われている薄水色の髪をほどき、くつろいだ部屋着姿でいるが、まなざしは厳しい。


「……来ましたね、ステラン。侍女たちに頼んでお前を連れ出したのはこの私です。長く帝国につかえ、魔法兵器といえばシンダーナと言わしめるほどに開発を支えてきたのに、あげくの果てのこの仕打ち。父上の所業にはあきれ果てていることでしょう」

「陛下には陛下のお考えあってのことです、殿下」

「まだ言うか。父上は今朝方、国防省長官を処刑しましたよ。古来より、どのようないくさの最中であっても職人は救われたといいます。お前も手に職があってよかったわね」

「……私に何をさせようというのでしょう」

「うむ、話が早くて助かるな。これを見てほしい」


 その視線の先には、模型がある。

 形は円——滑らかに膨らんだ風船のようで、二つの羽が広がっている。


くじらを模したもののように見えます」

「これは父上を大層怒らせた魔法兵器開発者、クレノ・ユースタスが現在作ろうとしている魔法兵器です」

「ほう、ヨルアサの情報を持ち帰った者がいるのですか。帝国のスパイはあらかた逃げおおせたか、皇帝の手の者に捕まったかと思っておりましたが」

「この際だから使える者は私が抱えこみました。ですから、この魔法兵器の存在は父上には知られていません。ヨルアサは、これを空に飛ばすつもりです」

「なんと!」


 ステランは椅子から立ち上がると、模型が置かれたテーブルに走り寄る。

 フェリスに体当たりをするようないきおいだった。ステランの銀髪が頬をかすめ、皇女は眉をひそめる。だが、彼はまるで意に介していない様子で模型に取りついた。

 ただでさえ悪い目つきをさらに細めて、食い入るように観察している。


「動力はなんです!?」

「——魔法です。魔法をかけた布を貼りつけて飛ばすとか。浮かべる、といったほうが近いのかもしれませんが」

「なんと! だが良い形だ」


 模型を覆っている布を取り除くと、分厚い木製の板でできた内部構造があらわになる。


「これは――飛びませんな。素材が重すぎる」

「ええ、そうなのです。てっきり私たちの作り方がいけないのかと思っていましたが……でもこれが初期案で、今では全くべつの形になっているそうです。その精巧な模型を貴方に作ってもらいたいのです、ステラン長官」

「構いませんが、何故そのような仕事をさせるのです。わざわざ女たちに死体運びをさせてまで」

「じつは、ヨルアサ王国の第一王子、カイル王子殿下との結婚話があるのです」


 ステランはようやく模型から離れ、不審そうな顔つきでフェリスを見た。


「……フェリス皇女殿下との?」

「なんなんです、その目は。そうですよ。他に誰がいるというんですか? 私にも身の振り方を考えるときが来たということです」

「どうなさるおつもりなのですか」

「このまま皇帝陛下の元にいたとしても、あの調子ではいつ何に巻きこまれて殺されるかわかりません。しかし父上の手を逃れてヨルアサ王国にとついだとて、ヨルアサがシンダーナ神聖帝国と対等に渡りあうことができないのなら意味がありません。いずれ、いよいよ気が狂った父上と帝国に滅ぼされるだけ。ですから、いっそ私はに賭けようと思います」

「これ……?」

「そうです。クレノ・ユースタスが考案したという空飛ぶ鯨。これが空を飛べば、私は父上が何と言おうとカイル王子に嫁ぎます。もしも飛ばないのであれば……父上に一矢むくいて自決でもします」

「それはいささか性急すぎというものです、皇女殿下」

「女には賭けねばならぬ時があるというもの。もしも模型が飛べば、ステラン長官。お前も引き出物のひとつとしてヨルアサに連れて行ってやりましょう」


 神聖皇帝がヨルアサを滅ぼすつもりがあるかどうかはわからないが、カイル王子とフェリス皇女の婚姻が成立すれば、それ自体は喜ばしいことだ。とくにシンダーナとの関係を安定化させたいだろうヨルアサ王国にとっては、これ以上の望みはないほどの良縁だ。


「それにね、私は前にのですよ。この、クレノ・ユースタスとかいう技官をね」

「初耳ですな」

「ヨルアサ国王にごあいさつにうかがったときのことです」

「どのような男でしたか。冥途めいどの土産に聞いておきとうございます」

「最高に間抜けな男でした。空飛ぶじゅうたんに乗ってやって来て、陛下の庭先に落っこちてきたのですよ。私が癒しの法を使わなければ、あの男はあのとき死んでいたでしょうね」


 そのときのことを思い出したのか、フェリスはやや苦み走ったような笑みを浮かべた。

 ステラン長官は眉をひそめた。


「そんな男に命を賭けるおつもりですか、殿下」

「あら、どこにいるとも知れない英雄を座して待つより、命を助けた恩を返してもらうことを期待するほうが可能性があるというものだわ。それで、仕事には取り掛かってくれるのかしら、ステラン長官」

「はい、やってみせましょう、殿下」


 こうして――知らない人たちや国家の命運が『空飛ぶ鯨号』の貨物室に乗せられたことを、クレノ顧問はまだ知らない。

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