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第105話 魔法をこめられて②


 王国歴435年、鈴虫の月8日。


 魔法珍兵器開発室で、じゅうたんに魔法をこめる儀式が執り行われた。

 祈りは明け方からはじめ、夜通し行われる。

 参加する魔法使いはクレノ顧問とカレン、そしてフェミニの三名。全員が肉食を断って身を清めた状態で、この日に望んでいる。

 祭壇を組んだ倉庫に集まった魔法使いたちは、今日は軍服やローブを脱いで、かわりに神官服を着こんでいた。


「このかっこう、いつものことながら寒すぎるんだよな」


 クレノ顧問がぼやきながら二の腕を必死にさすった。

 儀式をするための神官服は白一色で、肌着、チュニック、ローブ、の三点セットが基本になる。それを下から順番に着こんで、最後に腰帯を締めて完成だ。

 ローブは足下まである長いもので、その上からさらに肩掛けをつけるが、簡素な着衣なのであちこちから風が入ってくるのは避けられなかった。

 場所がだだっ広い倉庫なのも寒さに拍車はくしゃをかけている。


「魔法使いとしてはともかく神官としての格の低さが裏目に出ちゃってますね、センパイ。まじめに修行をして上位の神官になれば、もっといろいろ着てもいいんですよ」


 フェミニは神官としてのレベルにあわせて浅葱色のショールを羽織ることを許されていた。

 チュニックやローブにも星の刺繍が入っていて、クレノやカレンの神官服よりもはるかに豪華だった。

 清貧を旨とする神官の世界にも格差はある。

 位が上がれば上がるほど、着衣はきらびやかになり厚くなるシステムだ。


「あのなあ、フェミニ。軍人になった時点で俺たちは一生下級神官なんだよ。それにカレンだって同じかっこうじゃないか」

「カレンちゃんは白が最高に似合う女の子だから、ありのままのカレンちゃんでだいじょうぶです」

「ああそう。……ちなみにそのショール、あったかいの?」


 フェミニは自信満々に言った。


ですね! ウワサによると上位神官の皆さまも、寒いのは寒いらしいです!」

「だめだこりゃ。はやくはじめてとっとと終わらせよう」


 倉庫の真ん中に明かりと暖を取るための炎がかれており、それを囲むように三つ台が置かれている。台の上には文机と火鉢ひばち、座布団が用意されている。

 文机の上には、じゅうたんにこめる魔法の祈祷書が五冊ずつ並んでいた。

 その隣には拍子木やかね、水筒の用意もある。

 フィオナ姫は、それらの品々を興味深そうにのぞきこんでいる。


「クレノ顧問。これからここで、この祈祷書を読み、じゅうたんに魔法をこめるのか?」

「いや、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りません。祈祷書はめくるだけです」

「めくるだけ?」

「そうです。魔法をこめるじゅうたんの枚数ぶん、書を一冊ずつめくって、それを『読み上げたことにする』ための祈りをささげるんですよ」

「なにやら、ズルっぽい話じゃのう」

「それだけでも大変な作業量ですよ。神様に『読んだことにしてもいいですよね』って祈りを捧げて、いちいち許可をもらわないといけないわけですからね。あと、唱え損ねたら『祈りを間違えたとき用の祈り』を唱えて、また祈り直しです」

「めんどっ! 祈りまくりで大変そうじゃのう」

「そうですよ。これやってると、だんだん意識が朦朧もうろうとしてくるんですよね」


 用意された拍子木や鉦を鳴らし、しっかりペースを保ちながら杖につけたチャームの光で願いが聞き届けられたことを確認するのがコツだ。

 水筒に入っているのも水ではなく、どちらかというと気つけ薬に近いものだった。


「さて、そろそろ時間だな」


 出入口ではじゅうたんの搬入のためにハルトたちが待ち構えている。


 クレノ顧問はフェミニとカレンのふたりを見回す。


 フェミニは余裕の表情だが、カレンが白い両手をぎゅっと握って縮こまっている。寒さのせいではないだろう。

 地方軍で魔法兵器開発をしていたクレノや、魔法開発局ルイス王子のところで大きな儀式に慣れっこなフェミニと違い、カレンは急遽呼び出された助っ人みたいな立場だ。

 クレノとフェミニは顔を見合わせる。


「それじゃ、ぼちぼちはじめるけど、あまりがんばりすぎないようにな。作業速度は考えなくていい。ミスをしないほうが大事だ。限界だと思ったら切り上げてガンガン休憩に入ってくれ」

「大丈夫ですよ。なんてったってフェミニは魔法開発局期待の大型新人ですからねえ。みててください。カレンちゃんのおしごとも、フェミニがぶんどっちゃいますからね!」


 明らかに経験の少ないカレンをはげまそうとしているふたりに、カレンはいよいよ泣きそうになっている。


「ごめんねクレノ、フェミニ。うまくできなかったら……!」

「気にしない気にしない。たとえ失敗しても、パンジャンドラム爆発させて無人島送りになるよりひどい目にあうことはない」

「フェミニは王族がらみの大事な儀式で遅刻したことありまーす」

「円陣組もうぜ、久しぶりに」


 三人で肩を組む。この国に円陣なんてないが、魔法学校の、クレノが流行らせた世代だけに伝わっている習慣だ。


「えい、えい、おー! ……って言うんでしたっけ。変なの!」


「えいえい、おー!」と、カレンが力いっぱい叫んだ。


「みんなで一緒に言うんだよ、カレン」

「ウソ! さっそくゴメン!」


 待機していた兵士たちが笑い声を上げる。

 今ひとつしまらない感じで、作業がはじまった。

 クレノ顧問は祭壇に礼拝したあと、用意された台に上がって席につく。


「では、儀式をはじめる。一枚目のじゅうたんを入れてくれ!」


 兵士たちがじゅうたんを運んでくる。

 この日のために厚みをそろえたじゅうたんからは、ほのかに石鹸せっけんのかおりがした。裏地には赤い塗料で番号が描かれており、それぞれのじゅうたんが空飛ぶくじら号のどこに配置されるかを示している。

 番号によって祈祷の方法が少しずつ変わるので、手順書で確認を取りながらの作業になる。


「まず風の神よ、クレノ・ユースタスがここにおります。我が声を天に届けてください、これはくもりなき祈り、民の声……」


 願いをつむいで、鳴らされる鉦の音がいくつも重なっていく。

 最初に唱えられるヨルアサ王国の祈りはこんなふうに続く。



 これはわたしの祈り、何者にも揺るがされぬ願いです。

 わたしの望みは緑の平原、おだやかに凪ぐ海、人のいとなみ。

 畑を耕す男たちのたえぬこと、糸つむぐ女たちのたえぬこと、子どもたちがにあなたの庭で遊び、あなたがたを喜ばせることです。



 短い休憩を挟み、祈りは午後も続く。

 途中で、兵士たちがもち米、野菜、果物と蜂蜜はちみつの差し入れを持ってくる。いずれも一口でなくなってしまうような少量だ。あまり体力回復の役には立たない。

 フェミニは頑張っているが、カレンは明らかにペースが落ちて来た。

 日が落ちて来ると『祈りを間違えたとき用の祈り』が耳に入ることが増えてきた。

 とくにカレンは限界かもしれない。ペースが遅いのは構わないが、ミスが出て、うまくじゅうたんに魔法がこもらないと事故につながってしまう。

 このじゅうたんが終わったら、カレンには長めの休憩に入ってもらおう……としたときだった。


 入口に神官服を着た魔法使いが立った。


 その人物はクレノたちと同じ白い衣装に肩布をつけ、表が銀で裏地に紫の絹布を当てた外套がいとうを着こみ、冠をつけていた。華やかな上位神官の服装だ。

 彼は清められた祈りの場に静かに入ってくると、流れるような所作で祭壇に礼拝し、四方の神に祈りを捧げ、周囲を見回してカレンの台に上がった。

 カレンの疲労で丸まった背中を支え、優しい手つきで鉦を打ってペースを取るのを手伝っている。

 淡い紫色のまなざしを間近に向けられ、カレンは祈りを続けながらも驚きを隠せないでいた。


 三人だけのはずの祈りの場に現れた魔法使いの正体は、ルイス王子だった。


 クレノも驚いてフェミニを見ると、フェミニは祈りを続けつつ、器用に親指を立ててみせた。どうやら事前に応援を要請してくれていたようだ。

 よくやった、という視線で返事をしておく。

 ルイス王子はカレンと入れ替わりにはじめの祈りを唱えた。古代語の祈りだった。クレノには意味しかわからない。



 ここで祈る者たちをどうかごらんください。

 わたしたちは炎、大地、風、そして祈り。

 あなたのくだされるものすべてを受け入れます。



 ルイス王子は祈りの言葉に特徴的な節をつけて、楽しげに、まるで歌っているみたいに祈っている。

 フェミニもその節回しをまねして、輪唱のようになる。

 ルイス王子の後に続いて魔法開発局の魔法使いたちが二人、入ってきた。


「クレノ顧問、後はお任せください」


 ちらりと見ると、鮮やかな青の外套をまとった上級神官だった。


「助かった。俺は音痴なんだ」

「王子がよくやるお遊びです、祈りの内容は変わりませんのでお気遣いなく。王子はあなたの作るものを、ずいぶん楽しみにしているご様子ですよ」


 倉庫を出ると、ハルト隊長とフィオナ姫が火のそばで外套を広げて待っていた。


「クレノ顧問、おつかれさまじゃ! しっかり温まるとよい!」

「どうしたんです、姫様。ずいぶん夜更かしじゃないですか」

「今日は外泊許可をもらってきておる。なるべくそなたたちのそばにいて、わらわも祈ろうと思ってな」

「クレノ顧問、暖かいお茶をどうぞ」


 クレノ顧問はありがたく外套を着こみ、ハルト隊長が差しだしたカップを受け取った。


「ハルト隊長、休憩は取れてるか?」

「はい。こっちは交代要員がたくさんおりますからね。姫様もどうぞ」


 三人でベンチに腰かけて暖かいお茶を飲み、人心地つくと、思ったよりも多くの兵士たちが立ち働いているのが目に入った。

 まずはじゅうたんを運搬する兵士たち。

 手順を確認しながら、次のじゅうたんを確認している者たちや、祈り終えたじゅうたんを別の倉庫に運んで行く者。

 差し入れの準備をする者。

 カレンが心配なのか、オジ課長も様子を見に来ている。

 今日は食堂にもずっと明かりが灯っている。

 ルイス王子は思ったより多くの魔法使いを連れて来てくれたらしく、交代要員はあと五人もいるとのことだった。

 もちろん、その応対にも兵士たちは駆り出されている。


 パンジャンドラムのときとは違う。

 みんなが望んでくれている。


 フィオナ姫が両手をあわせてにぎりしめた。


「神様、おねがいします。空飛ぶ鯨号がちゃんと完成しますように。みんながつつがなく仕事を終えられますように」


 倉庫の中からはルイス王子式の祈祷に慣れた者たちが奏でる、古代語の美しい輪唱が聞こえてくる。

 クレノも、つい、つられるように祈りのことばを唱えていた。


「わたしの望みは……緑の平原、おだやかに凪ぐ海、人のいとなみ……畑を耕す男たちのたえぬこと、糸つむぐ女たちのたえぬこと……子どもたちがとわにあなたの庭で遊び、あなたがたを喜ばせることです……」


 ハルト隊長が首に下げた聖印を取り出して握りしめ、その手の甲に口づけて「すべてを受け入れます」と答えた。これは神官の祈りに対して言う決まり文句だ。

 敬礼に対する答礼みたいなもの。


「いや、飛んでくれないと困るけどな」


 クレノがぼやくと両隣のふたりが同時に吹き出した。

 この世界では、すべての魔法が祈りから生まれる。

 戦争に使うための魔法兵器も、平和を願う祈りから生まれてくる。

 大きな矛盾だ。

 でもそれは、もしかしたらそれが、それこそが『別の可能性』に繋がる希望になるかもしれない。

 なってほしい。

 クレノ顧問はまだ見ぬ『未来』に向けて祈った。

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