閲兵式の前日。
王都にはヨルアサ王国中から様々な部隊が集結していた。
彼らははやいところでは三週間前から王都入りしており、近隣の演習場に天幕を張り、式典の練習にいそしんでいた。
とくに注目されている部隊があるとしたら、それはもちろん北部地方軍だ。
地方軍の中でも最強との呼び声が高い精鋭たちは、あらゆる面で他のゴリラたちを圧倒していた。
リハーサルで披露した恐ろしいまでに一糸乱れぬ行進は、見た者をして『全員双子か、魔法で分裂している』『軍服の首のところに縫い針を仕込んでいる』『なんなら全身に仕込んでおり、それで血まみれにならなかった者だけを選んで王都に連れてきた』などと言わしめた。
閲兵式にはゲスタフ司令官ことゲスタフ少将も来ていた。
彼は今年の閲兵式も北部地方軍の勝利を——勝ち負けはないが——確信しており、優越感を味わうためにここに来ていると言って過言ではなかった。
そんな彼のそばにはまるで闇を練って人の形にしたような不気味な男の姿があった。
薄気味悪い長髪をして、背中で茶を沸かせそうなほどの猫背で、どんよりとしたオーラを全身にまとったこの男は、北部地方軍の魔法兵器開発を一手に担う魔法兵器開発者、キリギスである。
「ゲスタフ少将。どうやら魔法
まさかキリギスがそこにいるとは思っていなかったゲスタフは直立したまま地面から十五センチ飛び上がった。
なんとか平静を保ち、返事をする。
「キ……キリギスか。よくそんな情報を手に入れたな」
「ハイ。魔法珍兵器開発室には、しばらく前からワタクシの手のものをもぐりこませているのです。キーリギリギリ! まったく、兵器に関すること以外はバカなヤツデスよ。自分の制服を盗まれておいて、これっぽっちも警戒しないなんて……ネ!」
「堂々と昼日中から犯罪行為の告白をするなよ……」
「多少の罪は許してほしいものです。ワタクシは絶対に見逃すワケにはいかないんですよ。絶望のふちから不死鳥のように蘇ったクレノ・ユースタスが、どんなに奇想天外な青写真を広げてみせたのかをネ! キーリギリギリ!」
「そうか、クレノ・ユースタスが不死鳥のように……」
ゲスタフはキリギスの発言について少し考える。
「お前……もしかしてけっこう楽しみにしてないか……?」
「ご冗談を! 一歩間違えれば奴が国中に大恥をさらすかもしれない一大イベントなんデスよ! それをいったいどう乗り越えるおつもりなのカ! 楽しみにしていないわけがないじゃないですかア!!」
「楽しみにしてるのかしてないのかどっちなんだ!?」
キリギスは優秀な技官ではあるのだが、何しろこの風体だし、とにかく不気味だ。
これ以上キリギスに絡まれるのも嫌になり、ゲスタフはキリギスを連れて第十二演習場に向かうことにした。
行ってみると、そこには思ったよりも多くの部隊が集結している。ほとんどが中央軍だが、中央軍とも地方軍とも違う青い制服に身を包んでいる連中もいる。
「なんで海軍まで来とるんだ?」
どうやら新作魔法兵器の噂を聞き、多くの部隊が見物に来ているらしい。
とくに目立つのは、魔法使い兵のみで構成されている中央軍の『魔法兵旅団』だ。
もしかしたらお目見えがあるかもしれないと思っていたらその通りで、ゲスタフとキリギスが到着したそのすぐ後に、ルイス・リンデン・ヨルアサ王子が魔法開発局の魔法使いたちを引き連れてやって来た。
噂通り乙女のように可憐な容姿である。薄紫色の瞳に見つめられた兵士たちがいそいそと前髪など直しているのを見て、ゲスタフは不満げに鼻を鳴らした。
「よもや第二王子が直参するほどの魔法兵器とはな」
「ご存知ないんデスか少将? クレノ・ユースタスは第三王女の後ろ盾を得ただけにとどまらず、ルイス王子とも共同研究協定を結び、技術供与を受けてるんデスよ」
「なんだと、無人島送りになった奴がか!?」
「だから注目されてるんデスとも! キーリギリギリギリ!」
実際のところルイス王子とのつながりはクレノにとって良いことばかりではなかったわけだが、外部の人間に『共同研究』の中身がわかるはずもない。
そして、全員が
演習場にたなびく朝靄を切り裂くように、ズシン、ズシン、と土を踏む重たい足音がする。まず現れたのは、ムキムキの裸体に腰布のみをつけた百人の
「な…………なにごと!?」
マッチョたちが憎悪に満ちた表情で筋肉をムキムキにし、綱を引いて、後ろの台車を引いているのを目の当たりにしたゲスタフは思わず声を上げた。
「魔法兵器はかなり大きいみたいデスね」
「そうか……!? マッチョがデカすぎて縮尺がおかしいのかよくわからんぞ。なんなんだアレ!? 北部地方軍よりデカいなんてあり得ないだろ!」
「アレは人間ではなくランプの魔人で、実用筋肉ではなく見せ筋デスよ。張り合わないでください」
マッチョたちは傾斜がついた斜面を、悲愴な顔つきで一歩ずつ登って来る。
その体には玉のような汗が吹き出し、次々に流れ落ちていく。じつに暑苦しい光景だ。
「試作魔術使役兵甲型、収納!!」
所定の位置まで来るとマッチョたちは次々とランプ本体に吸いこまれていった。
目隠しの帆布が取り除かれ、その下に隠されていたものが明らかになる。
そこから出てきたものは、見上げるほど大きな……色とりどりの……お世辞にもスマートとはいえない寸胴な胴体に、二枚の羽を生やした
この場に集まった知識にもそれに類似する兵器の形状がなく、そうとしか形容し難いのだ。
「で、でかい……。なんなんだ、あれは。いったい何をするものなんだ?」
しかもそれは全身が、大きさも色もまちまちな、カラフルな布で覆われていた。
「色とりどりのじゅうたんの集合体?」
「ハリボテか?」
困惑しているのはゲスタフだけではない。戸惑う声があちこちから上がる。
しいて言うなら、お祭りの時に山車に乗せて街中を引いてまわる、竹ひごに紙を貼り合わせたモニュメントに似ていた。
ゲスタフとキリギリスが戸惑っていると、第二王子たちがいるほうから「本当にあれが飛ぶのか?」「輸送機とかいうものらしいぜ」などという声が聞こえてきた。
「アレを……空に飛ばすというのデスか?」
キリギスは眉をしかめて機体に近づこうとするが「離れて!」という制止の声とともに、実験部隊の兵士たちが規制線を引いていき、押し戻された。
「クックックッ……やりますねぇ、クレノ・ユースタス! しかしあれは飛びませんよ! あまりにも巨体、あまりにも重たい……! その課題をどう乗り越えてみせるのか、お手並み拝見させていただきましょうか!」
「飛ぶのが見たいのか見たくないのか……どっちなんだ……!?」
誰もが地面に横たわる巨大な
*
空飛ぶ鯨号の工期は伸びに伸び、完成したのは正真正銘、閲兵式の前日であった。
ろくな試験もできず、本当なら閲兵式には出せない代物だが、国王陛下の恩情によってリハーサルが成功すれば閲兵式に出てもよいというお許しをもらっていた。
国王陛下のお気持ちは寛大だが、クレノたちにとってはやり直しのきかない一発勝負でもある。
クレノ顧問たちはムキムキ魔人の力を借り、鯨号を因縁の第十二演習場へと運び入れた。
野次馬たちを下がらせた後、実験部隊の兵士たちはフィオナ姫やカレンとともに最初の試験飛行を見守っていた。
演習場には大勢の関係者が集まっていたが、クレノは緊張ゆえその全てが目に入らなかった。
彼は機体に手を伸ばして、それを覆っているじゅうたんに触れた。
機体の全身を覆っているのは、魔法使いたちが協力して祈りをこめ、実験部隊のみんなが昼夜を問わずブラシをかけ続けたじゅうたんである。
作業は過酷で、王都の有名化粧品店で手に入れたハンドクリームがなかったら、みんな心が折れていたかもしれない。
指先に触れながら機体の側面にまわる。
普通の飛行機が長い滑走路を駆けることで浮力を得るのに対して、鯨号の飛ぶ力はじゅうたんに由来する。どちらかというと飛行船や気球のような仕組みで飛ぶ魔法兵器だ。
全長およそ二十メートル、全幅二十五メートル、高さは五メートル強。
当初の予定よりずっと丸みを帯びた形になってしまったが、飛ぶのはまあ飛ぶだろう。途中でひっくり返るだとか、爆発しないでいてことを祈るばかりだ。
「どうしようか、こんな土壇場で失敗したら……」
不安が口を突いて出た。
だが不安は口から出ていくとともに消えていった。
以前だったらゲスタフの顔や横田を思い出しただろう。
でも今は彼らに何を言われても、自分を見失うことはないと思える。
「作ったぞ、横田。正真正銘こいつは俺の好きな兵器だ」
もちろん失敗はしたくない。でもそれは、自分の名誉や出世のためじゃない。この『鯨号』に果たしてほしい役目があるからだ。
ようやく緊張が解けたクレノ顧問はあらためて野次馬のほうに目をやった。
「クレノセンパーイ!」
規制線のむこうで手を振っているフェミニの姿が見えた。
その隣にはルイス王子の姿もある。
クレノはルイス王子に、兵器の『未来』を見せると約束した。その約束を果たす時がきた。
主翼の下をくぐり抜けて一周した後、クレノは安全なところまで下がった。
フィオナ姫や兵士たちが背後から応援の言葉を投げかけているのはわかったが、不思議と静かに思えた。
クレノは杖を抜き、その切っ先を鯨号に向けた。
「空飛ぶ鯨号、
魔法をこめる儀式は一日では終わらず、丸三日かかった。カレンやフェミニそして王子たちと協力してこめた祈りが解き放たれる。
強い風が鯨号の周囲を走り抜けるのが、倒れていく草の向きで見える。
風は強くなり、鯨号は左右に揺らぎながら、その巨体を持ち上げる。
三十センチほど浮き上がって、主翼を振動させながら空中に制止している。
「飛べ!」
と、誰かが言った。
うしろから聞こえてきたから、実験部隊の兵士だ。
「そうだ、飛べー!」
「こっちは何徹目だと思ってんだ!」
「飛ばなかったらぶっ壊すぞ!」
「飛ぶのじゃ、鯨号!」
うらみつらみの声と一緒にフィオナ姫も声を上げている。
声援のせい、とかではないが、じゅうたんにこめられたひとつひとつの魔法が目覚めはじめ、鯨号の周囲に渦巻く風の勢いが強くなった。