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第107話 リハーサル②


 滑走を必要としない空飛ぶくじら号は垂直に離陸して天に上がっていく。


 目視ではあるが、十メートルをこえ、目標である二十メートル付近まで上がった。




「飛んだ!!」




 いや、まだだ。


 クレノたちに見守られながら鯨号は音を発した。

 高く、伸びやかで、生物が発する鳴き声のようだ。鯨の鳴き声に近い。

 そして機首を少し傾けながら、海の中を泳ぐように発進する。


 機首を上下に揺らしながら進み、やがて飛行が安定した。飛行船と似たような定足だが、飛んでいる。




「飛んだぞ!!」




 背後で歓声が上がった。


 晴天の空にカラフルな鯨が飛んでいる。


 野次馬のほうからは感嘆の声が、実験部隊の連中がいる方角からは割れんばかりの歓声が聞こえてくる。


「風の法、魔法解放アインザッツ!」


 鯨号の羽に風を当ててやると、鯨号は本物の鯨のように左右に揺れる。異常を示す挙動や異音はしない。

 そのとき、クレノ顧問は後ろから伸びてきたいくつもの手に叩かれ、抱きすくめられて帽子を取られて突き飛ばされた。


「やりましたね、顧問!」

「お前ら、やめろ。まだ終わってない、終わってないから!」

「大成功!」

「おめでとうございます!」

「俺はまだやることあるんだってば!!」


 クレノをもみくちゃにしようとする兵士たちの群れから、なんとか抜け出す。


「うわ! もうあんなところに!」


 いかに低速とはいえ、進路を遮るもののない空を進む鯨号はあっという間に演習場の端に達しようとしている。


再解放アタッカ!」


 クレノ顧問は慎重に風の向きを操作して鯨号を演習場の内側にもどし、八の字を描く機動に入れた。

 鯨号の腹の中には着陸に必要なからくりしか入っていない。細かい操作はまだ魔法による外部操作に頼らないといけないのだ。

 それに、操船のほかにやらなければいけないことがもうひとつ、あった。

 見物客がしっかりと鯨号を見あげているのを確認し、クレノ顧問は杖の先端を鯨号に向けた。


「……光の法、魔法解放アインザッツ


 光の法は文字通り光を操る魔法の体系だ。

 鯨号の機体に光の粒がまとわりつき、機体の一部が透明になった。

 クレノが消して見せたのは機体を覆っているじゅうたんの部分だ。

 これで、観客たちの前に鯨号の内部構造が明らかになる。


「——あれは!!」


 驚いた声が上がったのでそちらを見ると、どういうわけか北部地方軍のキリギスがいた。ゲスタフもいる。

 キリギスが血走った目でこちらをにらみつけてくる。

 にらみつけてはいるが……それは憎悪とは少し違う。

 奴も同じ魔法兵器開発者だ。

 クレノが鯨号をどうやって飛ばしたのかを理解しているのだろう。クレノ顧問はその視線をまっすぐに受け止め、うなずいてみせた。

 木材不足のため鯨号には廃船の一部を使っている。

 だが、使ったのは竜骨などだけで中身は船体のそれとはだいぶ違う。

 それを目撃した野次馬たちはあっけに取られていた。


「なんだ、中身はスカスカじゃないか」

「まるで竹籠たけかごみたいだ……」


 たとえ厚さ五センチの木板でも、空を飛ぶ体には重すぎる。とても機体の全部を覆うことはできない。だが単純に板の真ん中をぶち抜いて木枠にすると、今度は構造が弱くなり圧力に耐えきれない。

 だから空飛ぶ鯨号の機体を形作る木材は格子模様を描くように配置されている。見た目は竹籠そっくりだ。この構造はおそろしく強く、そして軽い。

 キリギスは悔しそうに歯がみしているが、これはクレノが自分で思いついた工夫ではない。元の世界に、この構造を持っている飛行機があるのだ。


(よく飛んでくれた。ありがとう、! !)


 ヴィッカース・ウェリントン。

 第二次世界大戦中に活躍したイギリス空軍の戦略爆撃機の名機である。日本では『ブラッカムの爆撃機』のあの爆撃機、とでも呼んだほうが通りがいいかもしれない。

 これの特徴はなんといってもその姿形、主翼や胴体を構成する大圏構造である。鋼鉄を籠状に編んで作られたその姿は、空飛ぶ竹籠と呼ばれて珍兵器に数えられることもある。

 だがなんの役にも立たない珍兵器とは違う。

 ヴィッカース・ウェリントンの大圏構造は頑丈で軽量、戦闘によって部分的に破壊されても飛行を続けられる強靭さをあわせもつ。

 空飛ぶ鯨号の籠目模様も、これを真似して作られたものだ。


(ヨルアサ王国にはまだ強力なエンジンは存在しない。魔法による浮力には様々な制約がある。マッハじゅうたんも、力を弱めなければ利用できず、時速80キロを出すのがせいぜい……おまけに鉄不足ときたもんだ。でも、飛んだ!)


 見物していた兵士たちはまだ歓喜の声を上げている。

 空を見上げて呆然としている者もいる。廃船を提供している海軍の連中は涙ぐみ、誰もがそれぞれの感情で目いっぱいになっている。

 冷静なまなざしで『空飛ぶ鯨号』を見つめているのは三人。

 開発者であるクレノ・ユースタス。そしてキリギス。

 あともうひとりは、ルイス・リンデン・ヨルアサだ。

 彼はひとり、情のまざらない澄んだまなざしで空飛ぶ竹籠を見ていた。


(ルイス王子……これが俺が貴方に見せたかった未来です。貴方の聡明さがあれば、恐らく近々、魔法を用いない内燃機関に到達する。エンジンが完成したら、この兵器にたどりつくまではあっという間だ)


 先に述べた通り、ヴィッカース・ウェリントンは優秀だ。

 1938年に部隊配属されてからドイツ本土への空襲を行う夜間爆撃機として運用され、大戦の終盤には輸送機としての任務を与えられている。

 ただし、華々しい活躍にはそれにともなう犠牲もあった。

 この爆撃機は多くの街を焼き払っただけでなく——。

 戦争のつねとして、その乗り手も無事ではすまなかった。

 大圏構造は頑丈だ。少し壊れても飛ぶ。

 だが乗っているは違う。

 隙間だらけの編み目模様、そして機体全体を覆うあまりにも弱々しい帆布は機関銃の弾をさえぎってはくれない。素材の特性から着火するとあっという間に燃え広がってしまう。終戦までのあいだにウィンピーの乗組員は5万人以上が戦死したとされている。


(わかるはずです、ルイス王子。あなたになら、この未来が見えるはず)


 フィオナ姫はまだ、純粋な成功を仲間たちと分け合うだけだ。

 だが、為政者となる可能性を常に見据えてきた彼はちがう。



 *



 ルイス王子はフェミニとともに鯨号を見つめていた。


「すごおい! ほんとうに飛ぶんだぁ、あれって!」


 フェミニは『自分の目で見ているものが信じられない』といった顔つきだ。

 鯨号を、というよりはクレノ・ユースタスの能力を疑っていたのだろう。

 ルイス王子は黙ったまま、その飛行を見つめていた。


(すばらしいよ、クレノ君。ああいうものが平然と空を飛ぶようになるなら世界は姿を変えるだろうね……)


 人や穀物こくもつを乗せ、遠くまで飛ばせるようになれば、商売のやり方は変わる。海路のほかにも選択肢が生まれ、今より気軽に国境をこえることができる。

 数か月かかった道行きが数時間になる。

 人の生き方も変わるだろう。


(でも、彼がここであれをみせたということは、ほかにも意味がある)


 ルイス王子はその脳裏に世界を思い浮かべる。

 緑の草原、おだやかに凪ぐ海を。

 麦畑を。村々を。


(あれは兵器だ。いまはただのハリボテでもいずれは量産されて攻撃性能を持つようになる。兵士たちが乗りこみ、飛び立つだろう。操るのにどれくらいいるだろう。五人……六人? 爆薬でも乗せて、空からでも降らせれば、街は簡単に火の海になる)


 頭の中にある緑の草原はたちまち煙に覆われていく。街が火に包まれて、人々は逃げまどうがなすすべがない。

 上空を飛ぶ敵に攻撃する術はなく、侵入を防ぐことも容易ではない。

 空を飛ぶ敵は、どこに逃げても追ってくる。

 全てがただ燃えて灰になるだけだ。


 そして、その炎は空飛ぶ鯨自身にも燃え移るだろう。

 勇敢な兵士が炎を消そうとするが、その姿は、あっけなく勢いを増した炎の中に飲みこまれていく。


 憎悪による復讐の連鎖のなかで、敵もまた空飛ぶ兵器をまねるだろう。

 海を越えて、同じように攻撃をしかけてくるに違いない。

 その未来は必ずやって来る。

 遅らせることはできるかもしれないが、確実に時計の針は進み続ける。

 ルイス王子は迫りくる業火と瓦礫がれきの山のイメージ越しに、クレノ顧問と対峙していた。

 クレノ顧問は多くは語らなかったが、何が言いたいかはわかる気がした。


(あなたにならわかるはず。俺と一緒に別の可能性を探しましょう、殿下)


 王子はクレノ顧問に右手を差し向ける。

 そして何か大切なものを受け取ったように、その指先を軽く握りしめて胸の上に置いた。


「——うん、そうだね。クレノ君」


 小さく答える声に、フェミニが不思議そうな表情を浮かべている。


 こうしてリハーサルは無事に終了し、魔法兵器開発室は閲兵式への切符を手に入れた——と思われたそのときだった。


「!?」


 その気配に誰よりもはやく気がついたのはルイス王子だった。

 その怜悧なまなざしは、鯨号が飛翔する高度よりもさらに上空に向けられている。


「誰だ、魔法を使ってるのは!?」


 厳しい声を発したのとほぼ同時に、上空に突然、真っ黒な雲が湧いた。

 そして、紫色の激しい稲光が『空飛ぶ鯨号』の胴体を貫いたのだった。


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