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第20話 遠征⑤

 次の日、昨日と同じように朝に軽く体を動かして、朝食を食べる。キャリーバッグに荷物を詰めて、ホテルのフロントに預けてから会場へ。昨日と同じところでドライランドを始める。それぞれ体がほぐれてからアップに行く。


 みんなが何をしていたのかは知らないが、俺は昨日のクロールでの問題点の改善を中心に、体を温めた。


 そこまで心拍数が上がった気がしなかったので、アップのあと1度外に出て軽くランニングをする。ドームの前を大きく1周。まだ冬なので少し寒いが、目の前に富士山を見ながら走る。標高が高いのもあってか、それだけで少し息が切れる。でもいい感じに体が温まった。


 待機場所に戻ったら、足の方から上半身にかけて伸ばしていく。このときも誰も何も喋らない。これは昨日の晩かー君が決めたこと。自分のレースが終わるまではどうしてものことがない限り喋らない。緊張感も集中力も最高潮のまま、召集所に向かった。


 名前が呼ばれて、自分のレーンの席に座る。ここからはいつものルーティーンをする。足を肩幅に開いて上体を倒す。腕と太ももの緊張を解いて、直前のピー也のレースを見る。昨日、唯一ベストを出したピー也も今日はさすがにベスト+2秒。その結果を見て俺はシリコンキャップをかぶり自分のレーンに並ぶ。


「Take your marks」


―ピッ


浮き上がって分かったことだが俺以外は全員前半型のようだ。前半はついて行く感じで、後半でスピードが落ちないようにしよう。


 いつも1500mを泳いでいるから、ターン後、もうあと半分しかないと思ってしまう。浮き上がりからすぐにキックを強く打ち、テンポも落ちないように修正。2つ隣のレーンを追い抜くようにしてゴールした。長水路ならベストだが、短水路のタイムから考えられるタイムからは+2秒だった。


 荷物を赤台において、次はかー君のレース。いつもなら前半から先頭争いをしているが、今日はその少し後ろだった。タイムもベスト+1秒。ベストを出せるのは残り太地先輩だけとなった。


「昨日から調子悪いからな。ベスト出たらええんやけど。」

「でも今は、出してくれることを信じるしかないやん。」


そんな話をしていると次は太地先輩のレース。スタートしてから思ったことは、泳ぎにいつものような安心感がないこと。フォームもテンポは変わらない。でも、いつもはグイーンって感じなのに、今日はグイッて感じだ。記録は53秒68。大会後のチャレンジレースまではだいたい1秒くらい。午後の決勝レースにかけるしかない。


 待機場所で今日の動画をもらう。これからのフォームの改善のためだ。


「右手がまだっすね。」

「せやな。昨日よりはマシになってんけどな。」


俺の課題は前半が遅いことと、右肘が落ちていること。これをクリアしないと短距離は速くなれないだろう。


 太地先輩が帰ってきて、午後までの時間の過ごし方を決めると、俺たちは外に出て、お茶っ葉を買いに行った。なんと言ってもお茶マイスターがいる店らしい。どんなものが売っているか楽しみだ。


「いらっしゃいませー。あら、若いお客さんだこと。観光で来たの?」

「いや、水泳の大会で。」

「あ〜、そこでやってるのね。昨日から店の前を何人も若い人が通るから、何やってるのかって思ってたのよ。」


入ってすぐに、おばさんに話しかけられる。気さくな人だ。


「何かおすすめのありますか?」


太地先輩が質問する。初めて来るところだから、やっぱりオススメが知りたいな。


「おすすめはね、これ。これは露光ってお茶でね。まぁ美味しいから飲んでみて。ちょっと待っててね。」


おばさんがお茶を淹れている間、店内で気になるお茶を手に取って、書いてある説明書きを読む。


「できたよ。はいどうぞ。」

「ありがとうございます。」


1口すすってみる。甘くて美味しい。


「アカン、これ家の飲まれへんようになる。」

「ありがとう。」


そのあとも何杯か試飲したあと、気に入ったのを買った。


「4人ともおまけで美味しいの入れといてあげるからね。」

「本当ですか?ありがとうございます。」

「いいのよ。ここ、地元の人しか来ないから、ちょっと嬉しかったのよ。じゃあ、午後のレースも頑張ってね。」

「はい!ありがとうございました。」


店の外に出る。


「帰りたくないわ。」

「それな。」

「絶対機嫌悪いよな。」

「しょうがなくね。俺たちの調子が悪いんやし。」

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