その日、ナディスの部屋から何とも言えない悲鳴が響き渡った。
<姫さん、うっせぇ>
「これが落ち着いていられますか!」
ぜぇはぁと荒い息を繰り返すナディスを、ツテヴウェは呆れたように見ている。
悪魔であるツテヴウェが耳を塞ぐほどの大絶叫、ヴェルヴェディア家の屋敷に響かないわけがない。何だ何だ、と屋敷中の使用人が慌てて駆けつけ、ナディスの部屋へと入ってきた。
「お嬢様!」
「ナディス、何があったというの!」
ナディス専用の侍女、そしてターシャが慌ててナディスに駆け寄る。
そしてターシャはナーサディアの手にあった手紙を見て、母は全てを察したのだ。
「ナディス……もしかして」
「……えへへ」
ふにゃ、と表情を緩めて心から嬉しそうに微笑むナディスは、元がとんでもなく良いために笑顔の破壊力は計り知れない。
しかも最近はナディスが必死に勉強していることも相まって、厳しい表情を見ることも多かったためか、笑顔の可愛らしさにノックアウトされてしまう使用人が多数いた。特に新人使用人は、ちょっとした興味本位でナディスの部屋を覗いた途端の笑顔の破壊力。
「その、ベリエル様からのお手紙が、とっても嬉しくて……」
照れながら嬉しそうに言うナディスの頭をよしよしと撫でるターシャ、そして微笑ましそうに見守る侍女。更にそれをうんうんと頷きつつ嬉しそうに見ている侍女頭。
まるで子供の様子を見守る母親と親戚一同、のような雰囲気に部屋全体がほっこりとした空気に包まれる一方で、部屋をちょっと覗いただけでナディスの笑顔の破壊力にやられた新人使用人たちが倒れていることで、ちょっと阿鼻叫喚になっていることにより、倒れた人を運んだりしている使用人が居たり。
普段からは想像できないほどのほっこりした空気感のヴェルヴェディア家だったが、さすがは公爵家の使用人、とでも言うべきか。
ナディスの笑顔を堪能した使用人たちは、運ばれた使用人たちを除いて通常業務へと戻っていった。
「ナディス、ベリエル様からのお手紙が嬉しいことは分かるけれど……あまりにも淑女らしからぬ悲鳴はあげてはなりませんよ?」
「えへへ、はーい」
ナディスがいくら大人びているといっても、まだ十歳を超えたところの少女である。
姿絵を見て一目ぼれをした相手からの手紙を見て、嬉しくなるのは当たり前のことだ、とターシャは結論付けて『ナディス、お勉強をこれからも頑張るんですよ』と付け加えてからナディスの部屋から退出した。
「…………ふう」
<誤魔化し成功か、姫さん>
「誰のせいだと思っているわけ……?」
ぎろりとツテヴウェを睨みつければ、ツテヴウェは猫の姿でぺろぺろと毛づくろいをしている。まるで自分は関係ないと言わんばかりだ。
「あなたが指ちぎって使い魔の鳥ちゃんを作ってるからでしょう!?」
<一番手っ取り早い方法だし?>
「さすがに悲鳴をあげますわよ! あんなもの粋なあり見せられたら卒倒する可能性だってあることくらい、理解なさい!」
<えー>
埒が明かない……! とナディスはげんなりしているが、気を取り直して手紙をデスクに置きつつ、使い魔だという小鳥をじっと見てからくちばしの先をつん、と突いた。
「グロウ王国の調査って、この子できるのかしら」
<できるぜ>
「映像の共有とかもできる?」
<おう>
「そうね……この王太子の人となりを見たいから、そこをお願いしたいわ」
<はいよー>
ツテヴウェが猫の足で器用に指示を出せば、小鳥はぱっと飛んでいく。
それを見ていると、ツテヴウェがナディスの肩にひょいと飛び乗ってくる。
「なぁに?」
<意識共有、するぞ>
「……え?」
ツテヴウェが前足をナディスの額にぺとり、と当てればナディスの目には今まさに鳥が見ている景色が入ってきた。
「……っ!?」
<便利だろう>
どこか誇らしげなツテヴウェの言葉に、ナディスはこくりと頷いた。
確かにこれは便利だ、とナディスはしみじみと思う。これを利用すれば、他にも物事が便利に動かせることがあるんじゃないだろうか、とナディスはついつい国のため、家のためのことを思っての手段の一つに考えてしまう。
「……あれかしら」
ナディスの目に入ったのは、豪奢な王宮。
そして、更に視界に入ってきたのは絵姿通りのベリエルが王宮の廊下を歩いている姿。
「……っ!?」
<おい、姫さん>
「やだ……本物が動いてる……歩いていてもかっこいい……!」
<おいってば>
「まぁ、国政会議にご出席されていらっしゃる! とっても真面目なのね!」
<聞けよ人の話>
「お黙り遊ばせ」
肩に乗っているツテヴウェをぺい、と引っぺがしてからナディスは視界共有をしている様子をとても楽しんでいる。
自分に都合の良いところしか見ていないのでは、という懸念はあったものの、よくよく観察してみると、ナディスはベリエルがしっかりと王太子としての業務を果たしているところにとでも感動しているようだった。
<(そういやミハエルとかいう馬鹿、まともに仕事してなかったんだっけか)>
しみじみとツテヴウェは思いつつ、ミハエルとは異なって真面目なベリエルのことはとても好印象らしい。
まぁそれなら心配いらないか……と思ったところで、いつの間にかナディスが手紙を書いていたのだが、何せ問題なのはその量。
<お前何枚書いてんの!?>
「何よ」
<それ何枚目!?>
「…………十枚目?」
<相手の読む手間考えて!?>
「……まぁ、悪魔のくせにまともなこと言いやがりますわね、お前」
負担になると理解していたのか、とツテヴウェが思ってナディスのデスクにひょいと飛び乗れば、とても綺麗な文字で綴られた手紙。
そこに書かれていたのは、グロウ王国の文字ではない文字の羅列。
<……おい、この文字>
「グロウ王国の文字ですわよ?」
<え>
「書けて当たり前でしょう、我が国とは隣同士ですし、軍事産業がとても盛んなのでお付き合いもございますもの」
<へー>
悪魔なので軍事産業とかどうでもええか、と思っているツテヴウェだったが、ナディスのハイスペックっぷりを目の当たりにすればするほど、恋愛馬鹿じゃなかったら、ナディスだけで国を動かすことだってできてしまうのではないか、とさえ思えてしまう。
「早くお会いしたい、って送ったけれどそのお返事に『会いたい』って返してくださったんだもの。……それに対するお礼と……グロウ王国の産業の発展に関して僭越ながらわたくしの意見と……それから農作物の……」
<会ってから話せばよくない!?>
見事なツッコミに対して、ふと我に返ったナディスは改めて自分の書いた手紙を読み返し、ふむ、と呟いてツテヴウェを見る。
「確かにそうね!?」
<本当にお前恋愛馬鹿だな!? そのエネルギー他に使えば良いんじゃねぇかな!?>
「……例えば?」
<新しい婚約者の支えになって、一緒に国を治めるとか!>
「……悪魔のくせに、またまともなことを……!」
契約内容忘れてやがるんじゃなかろうな、こいつ……とツテヴウェは一瞬疑うが、ナディスは本気も本気。
ミハエルの時もそうだったのだが、恋愛が絡んでしまうとどうしてもここまで一気にお馬鹿さんになってしまうのだ。これが恋愛馬鹿でなくなればとてつもないハイスペック美女なのに……と思わずツテヴウェがげんなりしていると、ナディスがよしよしとツテヴウェの頭を撫でてくる。
<ん?>
「ありがとう、ツテヴウェ」
<何が>
「ベリエル様とのお話できる内容を、先に手紙に書いてしまって、うっかりチャンスを棒に振るところでしたわ」
<それは何より>
ナディスが幸せであればあるほど、ツテヴウェの使える力は強くなる。
実際、今とんでもなく強化されているのだから、ナディスがいかに幸せである状態か、ということが証明されたようなものだ。
「……さて、と。このお手紙を出してもらってから、あとは顔合わせの日程調整だけね」
どうか、少しでも早くお会いできますように。
返事をそっと胸に抱きしめて、ナディスは初めて恋を知った少女のように、はにかんで微笑んだ。