さて、二人の話はそろそろ終わっただろうか、とターシャが四阿に向かったところ、見たのは未だに話し続けている二人。
ナディスは微笑みつつベリエルの話に相槌を打って、ベリエルはあれこれと話題を振っている。その話題を零すことなくきっちりと拾い上げ、話を広げているのはナディス。
「では、我が国の小麦の輸出先は……」
「配分を少し変えればよろしいかと。国境を超える場合、関税をかけることで損を最小限にできるのではありませんか?」
「ああそうか、今まで関税をあまりかけていなかったな」
「グロウ王国の小麦を輸入する利点は何ですの?」
「パンを作ったときの味が違う、と聞いたことがある」
ふむ、と考えてナディスはぽん、と手を打った。
「では、パン用の小麦の栽培量を増やしつつ、その小麦の輸入量の多い国へと少し関税を大目にかけるのはいかがです? 必要ならそれだけ少し手間賃をいただく……ということで」
「他の小麦を欲しがっているところは?」
「何をどのくらい欲しがっているのか、改めて見直し、税のかけ方を調整するとか……」
「ほう」
「(……まだ終わってない!?)」
あれこれ話して盛り上がっている二人を邪魔して良いのだろうか、しかし時間がだいぶ経過しているのだからそろそろ止めなければ……だが、盛り上がっているところに水を差すのは……とターシャが悩んでいると、陰で見守っていた従者たちが慌てて駆け寄ってくる。
「あら、あなたがた」
「ターシャ様、止めてください! あの二人、休憩なしでずっと語り合っているんです!」
「……え」
ずっと!? と、慌ててターシャは四阿の二人を見る。
ちょいちょい休憩というか、お茶を飲む時間はあるのだが、会話が止まる気配は微塵もない。むしろベリエルがあれこれ会話のネタを振っているから、止まる気配がないのだ。
「ずっと……?」
「何せ殿下が楽しいようで……お話が尽きないようでして、あの……」
「ええ……? あの、グロウ王国ではこういうことは?」
「ありませんでした」
「なかったの!?」
思わずぎょっとしたターシャ。
はあ、と深いため息を吐いているベリエルの御付きの人たち。
グロウ王国でもこのような状態だったのだろう、と思っていたのだが、そうではないらしい。むしろこの逆だと考えれば、きっとベリエルはとても静かだったのだろう、と推測した。
「まさか、いえでも……とはいえ、そろそろ止めましょうか」
改めてターシャはため息を吐いて、四阿に近付いていき、会話をしている二人のところまで行くとこほん、と咳払いをする。
「あら、お母さま」
「ヴェルヴェディア侯爵夫人」
息ぴったりに二人はターシャを見て、にこ、と微笑む。
二人ににっこりと微笑みかけられ、ターシャもつられてにこ、と微笑んだ。
「いやそうじゃなくて!」
「何ですの、お母さま?」
「お二人とも……時間は確認しておりまして?」
時間……と二人が顔を見合わせ、お互いに時刻を確認して『あ』と揃って呟いた。
どうやら時間に関しては、全く意識していなかったことに加え、ここまで時間経過しているとは思っていなかったらしい。
「すまない、ナディス嬢との会話が楽しくて」
「ごめんなさいお母さま、殿下のお話を聞いていると考えるのが楽しくて」
うわぁ、と誰かが呟いたのが聞こえた。
まさかここまで話が盛り上がるとは思っていなかったし、ベリエルの従者もナディスの侍女も、こんなことになるなんて思っていなかった。ついでに、二人が何のよどみもなくすらすらと会話するだなんても、思っていなかった。
「奥様、止められなかった我々にも責任がございますし」
「そうです公爵夫人、それに我らはあんなにも楽しそうに令嬢と会話をする殿下を初めて見まして……」
それぞれの従者の気持ちも分からなくないが、ベリエルは一国の王太子。
持っている時間には限りがあるし、ずっとここにいるわけにもいかない……のだが、ベリエルはしれっとした様子で何か用紙に書いてから従者を呼んで、手渡している。
「すまないが、これを国王陛下に」
「かしこまりました、殿下」
「……あの?」
「ちょっと予定を変更したい、っていう内容を陛下に伝えておいてもらおうかな、と。ナディス嬢との時間を邪魔されたくないので」
にこ、と微笑んだベリエルはナディスをじっと見つめて、改めて言葉を紡ぐ。
「ナディス嬢、君は本当に素晴らしい令嬢だ」
「……へ?」
きょとんとしたナディスだったが、今まで勢いよく話していた相手が改めて自分の好きな相手だったことを思い出し(好きだ、という気持ちに関してはナディスの一方通行だと思い込んでいる)、ぼふん、と顔が真っ赤になった。
「あ、あああ、あの、殿下!?」
「もっと話したいし、君の色んな一面を見たい。それはわたしの我儘かな?」
まだ婚約者ではないから、ベリエルはナディスに決して触れない。
だが、現在のナディスが十歳なのに対してベリエルは十三歳。
何だかとんでもない色香によって、今彼は成人しているのではなかろうか、と思えるくらいにはイケメンに見えてしまって、ナディスは一人大混乱してしまう。
いやだがしかし、この人と婚約できれば合法的に触れてOK!と意気込むナディスに対して、そっとターシャは位置を変え、ナディスの背後に回ってからこっそりとナディスの座っている椅子の背に膝を叩き込んだ。
「(!?)」
<姫さんの母上、遠慮ねぇのな>
「(お母さま一体何したの!?)」
ナディスが一人混乱していると、いつの間にかやってきていたツテヴウェが実況中継してくれる。
<姫さんの母上、良い感じに足振り上げて椅子の背中思いっきり蹴ったんだよ>
「(お母さまなんてことしてくれやがりますの!?)」
また内心絶叫するナディスだったが、母の気持ちとして考えてみれば、まぁ蹴られて当然か……? と、ちょっとだけ冷静になる。
ナディスの恋愛馬鹿っぷりを誰より知っている母だからこその静止方法だった……と言っても過言ではない。
「……あ、あの、殿下。我儘ではございませんが……」
「ん?」
わぁ顔が良い! とナディスは心の中で絶叫して、こほん、と可愛らしく咳払いをして言葉を続けた。
「でも、国王陛下へのご挨拶はとっても大切だと思います。我が国と殿下の国、互いに手を取り合えるようにと組まれたわたくしたちの関係ですもの」
「……ふむ、それもそうか」
呟いて、ベリエルは椅子の背もたれにもたれかかった。
もはやベリエルが何をしていてもかっこいい!と叫びたくなっているナディスなのだが、理性を総動員させて耐えきった。
「ですから、そのお手紙を陛下に届けるのではなく、殿下自ら王宮に向かわれるのが最善かと思います」
ね? と可愛らしく首を傾げるナディスを見て、へらりと微笑んだベリエルがようやく年相応に見えて、ターシャはどこかホッとした。
大国であるグロウ王国の王太子が、ここでようやく年相応に見えたということは、ここまで彼は必死に己を律して『ベリエル』としての仮面を張り付けていた、と言ってもおかしくないのだ。
「殿下、わたくし普段は学校があるのですが……殿下は」
「そうか!」
「へ?」
「ちょっとわたしも通おうか」
何言ってるんですか!? と叫んだ従者だったが、ナディスもターシャもぎょっとしている。
そもそもこの人、学校で学ぶことがあるのだろうか、と驚いているが、立ち上がってナディスの元へとやってきたベリエルは、『失礼いたします、ヴェルヴェディア公爵令嬢』と一言断りを入れてから、ナディスの白い手をそっと取った。
一体何を、と問いかける間もなく、ベリエルはナディスの手の甲に恭しく口づけたではないか。
「(死にますわ!)」
<生きとけって>
とっても冷静なツテヴウェのツッコミにより、どうにか気絶することを免れたナディスだったが、うっとりとした目で見上げてくるベリエルの顔の良さには、今度こそノックアウトされてしまい、その場にばったりと倒れたのだった……。