「ナディス、ほら」
「あ、あの、殿下、あの」
ベリエルが言った通り、ランチの時間になったらどこからともなくベリエルがやってきて、ナディスと一緒にランチタイムを楽しんでいた。
他の生徒はぽかんとしていたが、辛うじて理性を保ったナディスが『グロウ王国の王太子で、自分の婚約者となる人だ』と報告したことでSクラスの面々は大騒ぎ。
わいわいと賑やかなランチになったのだが、一人ナディスだけは顔を真っ赤にしておろおろしていた。
「まぁ、ナディス様とっても可愛いですわ!」
「……ふぇ……」
何しろ、ナディスは今現在進行形でベリエルから『あーん』攻撃を受けているのだ。
「(たすけて……)」
「ナディス、いらないかい?」
「で、ででででんか、いつからわたくしを呼び捨てに」
「今」
<姫さん生きてる~?>
「(死ぬ!!!!!!!!)」
ツテヴウェの問いかけに心の中で思いっきり、とんでもない全力で叫んでみたものの、それを表には決して出さない。淑女の鏡、ここに極まれり、とはこのことか。
「ナディス様、とっても愛されていらっしゃるのね!」
「え…………?」
一人のクラスメイトの、何気ない一言にナディスはふと表情をなくす。
それはほんの一瞬だったから、きっと誰にも気づかれないだろうと、ナディスは思っていた。
「(愛……?)」
愛って、何かしら。
ナディスはどこか他人事のように感じてしまい、それまで保っていた笑顔が凍り付いたままでどうしようかと焦る。それにいち早く気付いたベリエルは、すっとナディスの額に手を当てた。
「ナディス、疲れているかな?」
「え……あ……?」
自分をいたわるような優しいベリエルの微笑みに、ナディスは我に返る。
「(そうよ……大丈夫な、はず)」
ベリエルは、ミハエルのような男ではない。
本当に、心の底からナディスのことを今は心配している。
でも、これはいつまで続くのだろうか。
ミハエルの時のように、ある程度の年齢になったら彼みたいに別の女性を連れてくるのだろうか。
考えれば考えるほど、嫌な考えがふつふつと湧き上がってくる。
「あの……ベリエル、さま」
「ごめんね、昨日長いこと話し込んでしまったから……ナディスに負担をかけてしまった」
「い、いいえ、そんな! そんなこと、ないんです! 違うんです!」
慌てて否定するナディスの勢いに、クラスメイトは目を丸くしている。
淑女の鏡と名高いナディスが、こんなにも必死になっているだなんて初めて見た。それに、ナディスがあれほどまでに表情を凍らせたのも初めて見たことだったから、皆がポカンとしているのだ。
「……あ、すみ、ません」
「良いよ、わたしは気にしていない。だから、ランチを続けようか」
「はい」
ようやく表情をやわらげ、ふにゃ、と表情を崩したナディスを見て、男子生徒が顔を赤くするのだがこれが面白くなかったのはベリエルである。自分の婚約者に対して何という顔をするんだ、とぎろりと睨んでけん制することを忘れない。
「(なるほど、ナディスはいつも通りにしていると男子生徒に人気がある……いいや、わたしと接しているときの表情なんかは見たことないから新鮮なんだな)」
冷静に判断したベリエルは、ナディスと共にランチの時間を楽しんで終わった……はずだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……何だと」
昼休みのことを聞いたミハエルは、一気に機嫌が急降下する。
ナディスは、ミハエルと一緒にいるときは、基本的に無表情。もしくは馬鹿にしきった表情しか浮かべていなかった。それなのにベリエルと一緒だと表情がくるくると変わり、とても生き生きとしていた、と聞いた。
「どうしてナディスがベリエルと一緒にいるんだ! あいつは王宮にとどまるのではなかったのか!」
「あの……殿下、その件についてはベリエル殿下より伝言を承っておりまして……」
「何だ!」
ミハエルの従者は、ベリエルから預かっている手紙をミハエルに渡す。
「…………え?」
『お前、どうせ馬鹿みたいに怒り狂っているんだろう。
わたしは公爵家に滞在する、と国王に伝えてあるから、お前の怒りなんて無意味だ。大馬鹿者め』
短くまとめられた手紙に、何故だかベリエルがミハエルのことを嘲笑している様子が目に浮かんできてしまって、怒りがぶわっと湧き上がってくる。どうしてこんなにも馬鹿にされなければいけないのだ、とミハエルはぎりぎりと悔しそうに表情を歪めた。
「人を馬鹿にするにも程がある! 俺のことを何だと思っているんだ!」
「……殿下、今更お怒りになろうとも、お決めになったのは国王陛下であり、決定を覆すことなどできないと思われます……」
従者の台詞にミハエルは顔を真っ赤にして怒るものの、本当のことなのだから仕方ない。
むしろ、これで国王の決め事に反対なんかしようものなら、ミハエルの立場そのものが危うくなってしまう。
「……っ、今すぐ公爵家に」
「行って何をなさるのです?」
どこまでも冷静な従者の言葉に、ミハエルはぎくりと体を強張らせる。
実際、ミハエルが公爵邸に行ったところで何かできるわけでもないし、ナディスと婚約関係にあったわけでもない。王太子妃候補にはなっていたが、ただ『それだけ』なのだ。
「そ、それは、だな」
「殿下にはロベリア様という婚約者もおりますし……彼女は立派な王太子妃候補です。ナディス嬢に関わる理由なんて、ございますか?」
一番痛いところを突かれ、ミハエルはようやく黙った。
ぎぎぎ、と謎の声を出しつつも、忌々しげに机の上にあったお菓子やティーセットを叩き落して、床を思いきり踏み鳴らした。
「で、殿下!?」
「ナディスは俺のところにくるはずだった令嬢なんだぞ!? なのに、どうしてあんな男と婚約を!」
「それはまぁ……国王陛下の命令だからでしょうかね」
痛いところばかりを思いきり、的確に貫いてくる従者は、とても冷静に部屋の片づけをこなしていく。
片付けながら、わなわなと震えているミハエルにちらりと視線をやってから呆れたようにため息を吐いた。
「何でだよ……何で……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
<っていう状況で>
「馬鹿なんじゃないかしら、あの能無し男」
ツテヴウェの力でミハエルの部屋をのぞき見して、淡々と実況中継していたツテヴウェだったが、段々面倒になってきたらしくごろごろと猫の姿のままでナディスのベッドの上に寝転がりながら報告する。
なお、その報告に関してはナディスが一刀両断して終わりにした。
「外に目を向ければミハエル以上に素敵な男性はいるわけだし、……何よりも」
<ん-?>
「きちんとお断りしたわ、婚約も。それにロベリアがしっかりとミハエルを捕まえていないからこんな面倒なことになって……というか、ぎゃんぎゃんうるさく吠えまわっているというだけのことなんですもの」
すんげえ冷静にこの人ミハエルを切り捨てた! と内心叫んだツテヴウェだったが、ナディスは指先にくるくると髪を巻き付けて遊びながら、部屋の中をゆっくりと歩き回った。
恋心が消えれば、これだけ冷静になれるナディスも相当なものだが、その反動のようにミハエルがナディスに執着しているのが何とも恐ろしいように思える。
気持ちを操作しているからか、ミハエルの方の気持ちはナディスに対して無駄に膨れ上がっているようだった。
「……ねぇ、ツテヴウェ」
<ん-?>
「ミハエルのこと、どうにかできないかしら」
<思いっきりこてんぱんに振ってやりゃ良いんじゃねぇの?>
「それもそうね」
ミハエルのことを、しれっと『殿下』から呼び捨てにしているナディスだったが、決してミハエルのことが好きだからではなくて、敬称をつけて呼ぶことが面倒だっただけである。
「こてんぱんに……なら、公衆の面前で色々お断りしなくちゃ」
<極端すぎね?>
「面倒ですし、おもいきりやってしまわないと……ねぇ?」
にこ、と迫力ある微笑みを浮かべたナディスを見て、思わず恐怖心を抱いてしまい、ツテヴウェは何も見なかったことにした。