「……」
「……」
ナディスの部屋にベリエルが入ってきて、早五分。
二人は黙ったままで並んでソファーに座り、揃って顔を赤くしている。
<はよ告白しろって>
ツテヴウェの面倒くさそうな声が聞こえてくるが、ナディスはそれどころではない。ベリエルが自分に告白してくれた、という事実だけでとても嬉しいのに、倒れた自分を心配してここまで来てくれている。
滞在できるのは、確か明日が限界だったはず。
ならば、きちんと告白するのは今が一番いいタイミング……ではある、のだが。
「ナディス」
「ひゃい!」
まるでびょんと飛んでしまいそうなほどに驚いているナディスを見て、ベリエルは一瞬ぽかんとするが、すぐに気を取り直してこほん、と咳ばらいをした。
「ナディス、わたしはね、君のことが好きだ」
「……っ」
「だから」
すっとベリエルは立ち上がって、ナディスの前に移動し、膝をついて真っすぐにナディスを見つめた。真っすぐすぎてナディスは視線を逸らしたかったけれどそれは出来ず、顔を真っ赤にしたままで目の前にいるベリエルを見つめ返すことしかできないでいた。
「わたしの国に、来てほしい。勿論、わたしの正妃として、我が国の王太子妃として、だ」
「ベリエル、さま」
「ねぇナディス、わたしは……いいや、俺は、だいぶ独占欲が強いんだよ」
するり、とベリエルはナディスの手を取る。
あまりに流れるような仕草で、ナディスは一瞬ポカンとしてしまったのだが、手の甲にちゅ、と恭しく口づけられてしまう。
「(死ぬ!!)」
<死なねぇよ>
ナディスにしか聞こえない念話を使って、ツテヴウェは即座にツッコミを入れた。
「(死にますわ!! お顔が大変好みなお人にこんなことを言われてしまうと、わたくし死んでしまいます!!)」
<いやだから死なねぇっての>
「ナディス、どうか。俺のこの求婚を受け入れてほしい」
「ひぇ……」
「……ナディス?」
ベリエルがふと顔を上げれば、まるでリンゴやトマトのように真っ赤になっているナディスが目に入る。
ああ、何て可愛らしいんだ、とベリエルはうっとりした目を向け、握った手にぎゅ、と少しだけ力を込めた。
「ナディス……俺の、愛しい人」
「へ……ぁ」
「返事は?」
ベリエルの方が年下なのに、まるで年上のような色香で、声で、ナディスを誘惑する。
しかし、実のところベリエルだって必死なのだ。
年上で、思慮深く、頭の良いこの淑女を、欲している人は自分だけではない。
――なら、今手に入れずしていつ手に入れろというのか。
「……ねぇ、ナディス」
「で、でで、殿下! 近いですわ!」
ずい、と顔を遠慮なく近づけるベリエルに、逃げようとするナディスだったがここはソファーの上。
逃げようにも逃げられるわけもなく、がっちりと囲われるようにして捕まっているような状態。
「あ、あの! わたくし、あの!」
「ん?」
「わたくしだって、殿下のことをお慕いしております!!」
「……ん?」
叫ぶようなナディスの告白に、一瞬ぽかんとしたベリエルだったが、あっという間に表情を輝かせて立ち上がり、ナディスの体をぎゅっと抱き締めたのだった。
「(ひいいいいいいいいいい!!)」
<……あ、姫さんマジで死にそう>
「(ツテヴウェ助けて!! 幸せすぎて死ぬ!! 早く助けて!!)」
<えー……>
めんど、ど心の中で続けてから、ツテヴウェはとことことナディスの足元に歩いて行って、ベリエルの肩にひょいと飛び乗ってから遠慮なくベリエルの額に振り下ろした。
「あいた!」
「……にゃー」
「……お前、本当にナディスに懐いているんだな……。分かった、ごめんごめん。……って、あれ?」
「にゃあ!」
ほれ見たことか、と言わんばかりにべちべちとベリエルの額を猫の前足で叩いている。
なお、ナディスはベリエルの腕の中で見事に気を失ってしまっている。しかも、顔を真っ赤にして気絶しているから、熱を出して倒れた、と言われても誰も疑わないような状態になってしまっているのだが、ベリエルはナディスからの告白の返事が嬉しかったこともあって、うきうきとした表情になっていた。
両想いなのが嬉しいのは当たり前として、あれほどまでに困惑しているナディスが可愛すぎて真剣な顔はどこへやら、という雰囲気になってしまっている。
「……やりすぎたか?」
「にゃ」
人の言葉を理解しています、ということを隠しもせず、ツテヴウェはうんうん、と頷く。
実際、ナディスのあの対応は公爵令嬢にしては初心でとっても可愛らしいものではあったのだが、今本人は気絶していてどうしようもなくなっているのだが、ベリエルは告白成功、という事実があまりにも嬉しくて気付いていなかったりする。
「……にゃ、にゃにゃ」
ベリエルの肩から移動して、ナディスの方へ器用にひょいと飛び乗ると、はよ起きろ、と言わんばかりに容赦なく前足を振り下ろした。
「あいた!」
ちなみに、ベリエルに対しては爪を引っ込めていたのだが、ナディスに対しては容赦なく爪を出して前足を振り下ろしたために額に傷がついた。そのおかげか、ナディスははっと目を覚ましたのだが、たらりと額から流血してしまっている。
<あ、やっべ>
「……わたくし、一体……」
「ナディス、気が付いたかい?」
「ええと……って…………何、これ」
たらり、と流れてきた血を、ふっと自分の指先で拭ったナディスは、指先についた赤い血を見て、続いてツテヴウェとベリエルを交互に見て、ツテヴウェが犯人だと即座に察したらしく、念話を送ってきた。
<ツテヴウェ>
<うっす>
<お前、後で振り回すから覚えておきなさいね>
ナディスの言う『振り回す』は、比喩表現などではない。
尻尾を掴んで、遠慮なく、まるでタオルをぶんぶんと振り回すアイドルのコンサートに参加したファンのように、それはそれはとんでもない勢いで文字通り『振り回す』のだ。
<あ、俺死ぬ?>
<悪魔なんだからこの程度で死にはしないわよ>
ベリエルの目には、ナディスが血を見て固まっているように見えているのだが、実際は念話でこういう会話をしている二人(?)。
ナディスに関していえば、『やられたらやり返す』という精神のもとで生きているので、悪魔と言えど容赦なんかするわけがない。人間相手、特にその辺の令嬢相手なら、家ごと叩き潰す勢いでやり返すのは、前回で既に色々とやらかしているのだから、お察し、というやつだ。
「ナディス、大丈夫かい?」
「……はっ、ベリエル様」
「血は……ああ、止まっているね。表面だけちょっと爪が当たったのかな。……こら、大好きなご主人様になんてことしているんだ?」
「にゃー……」
すんません、と心の声が聞こえてきそうな雰囲気ではあるのだが、ナディスは許してやるつもりは毛頭ない。
とりあえず、ベリエルが部屋から出た瞬間に人型に変化してもらってから、一発ぶん殴る。その後でまた猫になってもらってから尻尾を掴んで……と考えているナディスを見て、ベリエルに助けを求めようとしたツテヴウェだが、割とあっさりベリエルはツテヴウェの体をはいどうぞ、とナディスに引き渡してしまったものだから、ツテヴウェはさっと血の気が引くのを感じた。
<あ、やべ>
そう呟いたものの、ひょいとツテヴウェを抱きかかえて(あくまでツテヴウェは猫形態なので)、ナディスは自分と目線を合わせてから口調と声音だけは可愛らしく、こう告げた。
「駄目よ、いたずらっ子さん」
「に、にゃ……?」
ひくついたツテヴウェを見逃すナディスではない。
「あとで、お仕置き……ですわ」
その言葉だけ、やけに低音で脅しがたっぷりとこめられているのだが、ベリエルは『どんなナディスも可愛いなぁ』とか思っているから、ぶち切れているナディスには気付かないまま、彼女の部屋を後にしたのだった……。