ナディスが、初めてミハエルを見たあの日。
一度目は、ナディスがミハエルのお嫁さんになりたい! 王子様を結婚したい! と、そう願ったためにそれをヴェルヴェディア公爵は叶えようと躍起になった。
家の力を使って、ナディスを王太子妃候補へと押し上げた。
更には、ナディスは自分の力も何もかも使って、他の王太子妃候補を蹴落としたのだ。
そのため、ナディスのやったことを、やられた側の令嬢たちから『なんてひどい』、『側室の役割をきちんと理解していれば、王太子妃のとった行動は浅慮としか言えない』などと騒ぎ立てられることとなったのだ。
だが、その文句を上回る勢いでナディスは己の実力を周囲に見せつけ、己の確固たる地位を築き上げたのだが、如何せん周りとのレベル差が圧倒的すぎて、何かずるをしていたのではないか、と騒がれた時期もあった。
「何ともまぁ、己の力量不足を嘆くだけではなく人のせいにするなど……愚か極まりない」
当時のナディスは、そう告げて文句を言う令嬢を鼻で笑った。
そればかりではなく、一人一人令嬢を呼びつけて、冷静にこう告げたという。
「貴女がた、文句だけは一人前なのですけれど……それに見合う努力をしたのかしら。人に嫉妬ばかりして、ただ文句を言うだけ言って……いいえ、文句を言い散らかしているだなんて、何ともまぁ……無様なこと」
お気に入りの扇で口元を隠しつつ、確実に令嬢たちを侮辱せんばかりの口調で、けれど冷静に告げたナディスの目は、至って本気。
『努力をしないお前たちが悪い』
そう、はっきり告げた。
しかし、ナディスの努力の質があまりにも桁外れだったがゆえに、お前と同じようにできるわけあるか! とあちこちから苦情が更に上がったのだが、当時のナディスはこれに対してもまた、とても簡単そうにこう告げたのだ。
「そんなに文句ばかりなら、辞めたら?」
何を、とは言うまでもない。
王太子妃候補ではなく、側妃候補で居ることをやめろ、と。
家の誉れなのになんてことを言うの、ひどいわ、と喚いている令嬢には続けてこう返した。
「自分の実力不足だというのに、人のせいにして喚き散らして、挙句八つ当たりだなんて……みっともないことこの上ない」
「な!?」
「文句があってわたくしに反論してくるその根性だけはご立派ですけれど……その努力を己の魅力を磨くこと、ミハエル様の御役に立てられるように何らかの努力もしないで、よくもまぁ文句だけをつらつらと」
「……!」
図星、だったという。
その令嬢は『側妃候補やめます!』と泣きわめいて、即、実家に帰ったという。
この知らせを日々聞かされるミハエルは、言葉通り頭を抱えた。
ナディスは、己の役割を何だと心得ているのだろうか。自分が唯一、だなんて誰が言ったというのか。
ナディスに何かあれば側妃が王妃としての役割をこなすこともあるからこそ、見た目はともかく、頭のいい令嬢……単にテストの点数が良いというわけではなく、思考回路の柔軟な令嬢や、とても広い見識を持った令嬢ばかりを側妃候補にしていた。
だが、一度目のナディスはそれを決して許さなかった。
自分だけが、ミハエルの隣に立っていられればいい。
唯一自分こそが、ミハエルの隣に立つにふさわしい。
恋愛馬鹿、とは時として恐ろしき執着を見せるものだ、と。ナディスと契約したツテヴウェは、過去のナディスの記憶を見ながら楽しそうに微笑んだ。
ああ、だからこそナディスが己の契約者たるに相応しいと思えたのだ。
とてつもな魂の輝きを持って、『ただ、惨めに殺されてなるものか』というとてつもなく強い意志を持った、恋に狂ってしまった本当はただただ純粋すぎる女の子。
ツテヴウェからのナディスへの評価は、これに尽きる。
<……だからこそ、姫さんは面白い>
くく、と久しぶりに人の姿に戻ったツテヴウェは、眠るナディスを見て心底楽しそうに笑った。
ロベリアがあの場に乗り込んできた日は、事実を告げて硬直しているミハエルたちを放置してさっさとナディスや公爵夫妻、ベリエルはヴェルヴェディア家に戻ってきていた。
さすがにその日のうちに帰ることはせず、ベリエルはナディスに言われたとおりに中庭を案内して新種の薔薇を見せてもらい、楽しくお茶会をしてから夕食も一緒にとり、別々の部屋で眠りについた。
婚約者ではあるが、一線は越えてはならない。
グロウ王国でもそうだが、カーディフ王国でも当たり前のこと。
きちんと節度を守ってお付き合いをしたのち、ナディスは正式にグロウ王国へと輿入れする予定になっている。
ベリエルがナディスよりも年下なので、結婚式を挙げるのは少し先になるであろうことは推測できるが、ナディスもベリエル自身も楽しみにしていた。双方の結婚式の衣装を見ることだって、何でもかんでも楽しみなのだ、というのが本音であるが、楽しみなことには変わりない。
<……無事に嫁いだとしても、この姫さんが死ぬまでは俺は、コイツの眷属であることには変わりない>
ナディスやベリエルであれば、普通の嫌がらせごときでは決して屈しないことは分かっている。
だが、魔法を使った暗殺や、直接的に命を狙われる、などということがあっては、ツテヴウェの思惑が消え去ってしまうことになる、それはごめんだ、とツテヴウェは考えた。
学園に通っている今も、ロベリアは懲りずにナディスへの胃や柄汗を続けている。
だから、その度にナディスに防御魔法をかけつつカウンター機能も付けて、ばっちり仕返しはしているのだが、ナディスの堪忍袋の緒がもう少しでぷっつりと切れてしまいそうになっている。ナディス本人は気付いているかどうか、自覚がない可能性もあるためにしっかりとツテヴウェが彼女を守っているが。
「んぅ……」
もそ、と寝返りを打ったナディスは、今は心底幸せそうに眠っている。
一度目のナディスは、こんなにも幸せそうな顔で、ゆっくりと安らいで眠ることなんてなかった。
おかげで二度目、今回のナディスに関しては色々なことが絶好調。
「……ふふ……、ロベリア……死ね……」
<おい>
ちょっといい話風にしようとしていたツテヴウェは、ナディスを起こさないように小声でついうっかりツッコミを入れた。
まさかこんなに物騒な単語が飛び出してくると、誰が想像しようか。
いいや、誰も想像なんてしていない。
しかもとてつもなく幸せそうに眠りながら『死ね』という寝言はこれいかに。
<どんな夢見てんだ……>
本来、夢の管理に関してはツテヴウェは管轄外だが、さすがに気になったのかこっそりと夢の中身をのぞきに行こうと、ナディスの頭に手をかざした。
<絶対にろくな夢じゃねぇだろ……>
ミハエルへの感情はなくしている。
しかし、『やられたこと』に関してはまるっとナディスは記憶が残っているのだ。
ミハエルからの裏切り。
ロベリアにされたささやかながらも、いちいち癪に障る嫌がらせ、などなど。
恋愛感情をなくしただけで、嫌な記憶は持ったままなので確かに寝言が物騒になっているのは予想の範疇内ではあったが、ちょっと物騒すぎんか!? と思いつつツテヴウェはよっこらせ、とナディスの深層意識の中へととぷり、と飛び込んだのだった。
<さて、と>
ナディスの夢の中は、基本的には平和そうに見えた。
ヴェルヴェディア家の中庭で、ゆっくりとお茶をしているナディスは、とても穏やかな笑みを浮かべてお気に入りのお茶を飲んでいた。
<(平和じゃん?)>
と、思ったのだが。
<平和じゃねぇわ、何だアレ>
ナディスはお茶を飲みつつ、何やら足が動いている。何してるんだ、と思って位置を変え、それを見てみたら踏みつけているのはミハエルの顔面だった。