<何してんだ姫さんは>
ミハエルの顔面を容赦なく踏んでいるナディスは、とってもご機嫌だった。
「全く鬱陶しいったらありゃしませんわ。ねぇ殿下、お分かり?」
「う、ぐ」
恐らくナディスの体重をぎっちぎちにかけているのだろうことがわかるくらいに顔面が踏みつぶされている。
靴底がミハエルの顔面にめり込んでいるのを見れば、一目瞭然であるが夢の中の出来事とは言えどちょっとかわいそうに思えてきてしまうツテヴウェ。
<あー……らまぁ……。よっぽどストレスたまってたのかねぇ……>
ストレスがたまっていないわけがない。
学園で、入学当初にきちんと『構ってくれるな』と釘をぶっさしていたにも関わらず、ミハエルは無駄に絡んできてナディスの平穏な昼休みの邪魔をしまくっていた上に、ナディスが無駄にロベリアに構ってきてくる、という悪循環になってきてしまっている。
それは卒業が目の前にやってきている今でも続いているから、ナディスのストレスは割と溜まっていた。
<こっちには語らないけど、まぁある程度ストレスがたまりまくってた……ってことかねぇ>
言ってくれれば、ロベリアごとき軽く消し去ることだってできるのだが、それはきっとナディスが望まないだろうことも分かる。
だが、ストレスの元をどうにかしなければ、安らかな顔で眠っているはずのナディスのメンタルは地味に削られていくのだろうと思われた。
<うーん……どうしたもんか>
「聞こえないのであれば、何度でも言いましょうね。……ねぇ殿下、鬱陶しいの。だから……消えてくださらない?」
<あ>
ナディスは足を顔面から離し、にこやかにしたままでふっと手の平の上に氷の槍をすっと生み出した。
「わたくしの人生に、あなたなんかいりません」
だから、と言ってナディスは手をひゅっと振り下ろした。
そのままの勢いで、ミハエルの胸に氷の槍が突き刺さった。どくどくと赤い血が流れ、酸素に触れたことで赤黒く変色していく。
「……こうしてしまえれば、本当に楽だというのに……どうしてできないのかしら」
興味なさげに呟いたナディスの足元から、ミハエルはふっと消えた。
<ああそうか、幻影か>
どこかホッとしたようにツテヴウェは呟いて、ナディスのところへと歩いていく。
<姫さん>
「……お前……どうしてここにいるの」
どこかぼんやりしているナディスの頬に触れ、心配そうに見つめていたツテヴウェだったがあまり良くない状態だ、とすぐさま判断して頭をぽんぽんと撫でてみる。
「……何」
<いや、ストレス溜まってんなら今ここで、思いっきり発散していけ>
「思いっきり……」
ツテヴウェのその一言に、ナディスの目がじわりと力強さを取り戻していく。
かと思えば、ぱっと表情が明るくなって、生き生きとしてミハエルのダミーのような存在を再び作り上げた。なお、ミハエルの隣にはロベリアまでたっているので、恐らく遠慮しない気だな、と思ったが早いか、ナディスは思いきりミハエルの頬を拳でぶん殴った。
「ぶべら!!」
<……つっよ>
ナディスの拳を見れば、うっすらと魔力で守られている雰囲気を感じたので、恐らく怪我はしないだろうがそこそこ威力がある上に遠慮もない。殴られたミハエルは吹っ飛んでからごろんごろんと転がっていって、そのままいつの間にか現れた壁にぶつかって、ようやく止まった。
「……嫌だわ物足りない」
ぽつりと呟いてナディスが手招きをすれば、何かに引き寄せられるようにぐんっと飛んできて、ミハエルは再びナディスの前へとやってきたのだ。
「とりあえずもう一発、と。えいっ」
何でもないようにもう一発、結構強烈な拳をお見舞いしてからミハエルが吹っ飛んでいく様子を見ていたナディスは、すがすがしい笑顔を浮かべている。
というか、これ起きている時にやらかさなくて良かった……と心底安心したツテヴウェだったが、もう一人、残っている。
<あ>
「でも……コイツは」
ナディスは、ロベリアを見ていきなり無表情へと変化してしまった。
「容赦なんかしてやるもんですか」
あれよりも? と、ツテヴウェは一瞬ひやりとしたのだが、ナディスが指を鳴らした瞬間にロベリアの姿は消え去った。
<あれ?>
何だ、何もしないのか、と思っていたツテヴウェだったが、ふとナディスの方を見ればとんでもなく凶悪な笑顔を浮かべているではないか。
これはどうあがいてもろくな事にならないのでは、と思った通り、ナディスは凶悪な笑顔のままで『夢の世界で片づけてなんかやるものですか』と、とてつもなく恐ろしいことを呟いた瞬間、ツテヴウェはナディスの夢の世界からぱちん、とはじき出されてしまったのだ。
<うおっ!?>
「……ツテヴウェ」
<……あ>
ツテヴウェが目を開ければ、視界に入ってきたのは呆れたようなナディスの顔。
「あなたねぇ、人の夢にまで入ってくるのやめなさいよ」
<えー……? 物騒な寝言聞いたら気になるじゃん?>
「どんな寝言を言っていたのかしら」
<『ロベリア……死ね』って、めっちゃ幸せそうに言ってたけど>
はて、とナディスは首を傾げた。
どんな夢を見ていたのだったか、と考えるナディス。
夢の内容を思い出すことはあまり良くないと聞いたことがあるのだが、そんな物騒な寝言を言っていたのだろうか、とどうにかして夢の内容を思い出そうと頑張ってみる。
「……あ」
そうしていると、何か思い当たることがあったのか、ナディスがぽつりと呟いてから、手をぽん、と打った。
「思い出した」
<思い当たることあんのか、ってか思い出したのか>
「ええ、そうそう。確かにそう言ってた覚えがあるのよ、だってロベリアのことを……」
何してたんだ、と思ってツテヴウェはナディスの言葉の続きを待った。
「ちょっと往復ビンタした後で、学園のプールに沈めてから浮き上がってくるところを魔法で沈めて……を繰り返していたのよね」
思ったよりやってんな、と素直に思ったのはツテヴウェ。
だがしかしナディスは、はぁ……とため息を吐いてから困ったようにまたぽつりと呟いた。
「……何分耐えられるのか……時間測定しておけばよかった」
<姫さん、悪魔より悪魔らしいわ>
「そう?」
<普通んなこと考えねぇっつの!>
「だって腹が立つでしょう? 邪魔をするな、ってきちんと忠告していたのにも関わらず、無駄にこちらに絡んでくるんだもの。夢の中でだけでもストレス発散したくなるじゃない」
<それはそうだけど!>
「それに」
<それに?>
「……前回、散々人をコケにしてくれたんだから、ちょっとだけやり返しても良いかな、って思っただけよ」
やられたことの恨みは、たとえミハエルへの感情を消していても消えたりしない。
何せ、一度目に関してはナディスのことを『何か一緒にいても落ち着かない。派手でけばけばしくて落ち着かないし、何かぎらぎらしていて嫌だ』という理由を第一に押し出して、ナディスのことを排除にかかったのだ。
ロベリアを選んだのは『何だかとても落ち着くから』という理由が第一、ナディスよりも優秀だとかそんなことは関係なかった。
ロベリアは侯爵家令嬢だったから、王太子妃に立候補するには全く問題ない。だからこそ無理やりにでも話が進められたのだが、結果としてそれがナディスの神経を逆なでしてしまった。
こうしてミハエルやロベリア両人を呪いながら死んでいったナディスだったが、結果的に今やり直しできているのでナディス的にはOK、らしい。
しかし続いたナディスの台詞を聞いて、思わずツテヴウェは硬直した。
「今回だってあの女、人にあれこれちょっかいかけてきて……。懲りないというか、馬鹿は死んでも直らない、ってことかしらね」