「何なの、このうるささ」
はぁ、とロベリアは溜息を吐いた。
王太子妃である自分が来たというのに、パーティーの主催者であるレヴィド夫人はこちらに来る気配など見られないどころか、ナディスと談笑している。
まるで、こちらのことなんて見えていない、とでも言わんばかりに。
「……っ、どこまでも邪魔をして……!」
「妃殿下、落ち着いてくださいませ!」
お付きの侍女に小声でたしなめられれば、ロベリアはぎろりと侍女を睨む。
「このわたくしに、お前が指図をするの!?」
「そ、そんなつもりは」
「ない、とでも? 今まさにわたくしに何か小言を言おうとしていたではありませんの!」
当たり前だ。
ロベリアがこのままナディスのところに突撃でもして、何かしら騒ぎを起こせば王家の信頼は失墜しかねない。
むしろ悪化する、と王妃から釘を刺されているから、ロベリアのお目付け役として嫌々ながらここへ同席しているのであって、この侍女はロベリアの言うことを聞くだけの侍女ではない。
「……私は、王妃様付きでございます。ですので……」
「うるさい!」
王妃様からロベリア様のことをお任せする、と仰せつかっております。
そう、続く予定の言葉は、バチン!という大きな音と共に遮られてしまった。
「きゃあ!」
「……フン、自業自得でしょうに。大げさな」
ロベリアは鼻で笑っているが、ここで会場がしん、と静まり返っていることに気付いた。
「……え?」
そして、もう一つ気付く。
会場にいる令嬢たちの、とてつもなく白い目線が自分へと突き刺さっていることに。
「あ、の……?」
自分は決して間違っていない。そう信じているからこそ、ロベリアはこの侍女を思いきり殴ったのだ。それも、護身用として持っている扇で打ち付けたものだから侍女の頬は大きく腫れていっているし、口の端から血を流している。
恐らく、打ち付けた際に口の中を切ってしまったのだろう。
頬は時間がたてばたつほど大きく腫れ上がっていくに違いない。
「……っ」
まずい、と気付いた時には遅かった。
「一体何の騒ぎですか!」
レヴィド夫人が走ってきて、床に座り込んでしまっている侍女を素早く発見し、続いてロベリアのことをぎろりと睨みつけた。
「王太子妃殿下、何をしているのですか!!」
「な、何を、って」
「この侍女は王妃様付きの侍女でしょう!? それを打ち付けたとなれば、王妃様への謀反と取られても仕方のないことではございませんか!?」
「はぁ!?」
どうして知っているのだ、と思ったロベリアだが、知っている人は知っているのだ。
王妃付き、あるいは国王付きの従者は、そうだと分かる様にきちんと『印』を付けている。王妃付きの侍女なんかは、見た目ですぐ分かる様にと、髪飾りが普通の侍女とは明らかに異なっている。
王妃付きであることの目印は、王妃の生家である侯爵家の領地の特産品である宝石――サファイアのついたバレッタ、あるいはブローチを身につけている。
なお、この侍女は髪が長いためにサファイアがついたバレッタと、王妃のお気に入りであったことから胸元に王家の紋章をあしらった特性のサファイアのついたブローチまでもがついている。
そんな相手に、ロベリアは暴力を振るった、ということになるのだが、ロベリア本人だけが知らない。
「お、王妃様付き、とか、どうしてあなたが知っているのよ!」
ロベリアが叫んだ途端、とても良く通る声が会場に響いた。
「まぁ……そんなことも知らない王太子妃殿下がいるだなんて……もしや、こちらの方は王太子妃殿下のそっくりさん、あるいは偽物なのでしょうか?」
弾かれたようにそちらをロベリアが振り向けば、悠然と微笑んでいるナディスの姿があった。
また、あいつに邪魔をされるのか、とロベリアは悔しそうにしているが、ナディスはぱらりと扇を広げてゆっくりと歩いてきた。
「まるで子供の癇癪ですわね……何ともみっともないこと、この上ない。我が国の王太子妃ともあろうものが、こんな愚か者だったなんて……皆さま、御存じでして?」
「な、っ」
完全に馬鹿にしている口調に、ロベリアの顔は真っ赤になる。
ここまで言えるのは、ナディスが国でもとてつもない権力を持っているヴェルヴェディア公爵家令嬢であること。
加えて、ベリエルの存在が大きい。
「……ナディス様に対してもあのような態度だなんて……」
「ナディス様は、我が国のことを思ってグロウ王国の嫁がれる決意をして、今まさにグロウ王国の王太子妃としての責務を離れ離れになりながらもこなしていると聞きますわ」
「あのお方、何様のおつもりなのでしょう……」
ひそひそ、ざわざわ。
ざわめきは、ゆっくりと広まっていく。
更に、レヴィド夫人がそっとナディスに寄り添うように立って、ぎっとロベリアのことを睨みつけた。
「心優しいナディス様に対して、何という態度を取っているの!? いくら王太子妃殿下といえど、許しませんよ!」
「わ、私はこの国の王太子妃よ!?」
「……だから、何です?」
王太子妃=次代の王妃。
このことは事実として広まっているのだが、王太子妃の交代は絶対に無い、というわけではない。前例はあるのだ。ロベリアがただ、そのことを知らないだけ。
「王妃様に、しかとご報告させていただきます」
「……レヴィド夫人、お待ちくださいませ」
ナディスがそれを止めようと、すっと夫人の前に出てきた。
一体何を、と問いかけようとしたところ、ナディスの完璧な微笑みに、何も言わないままでこくりと頷いて一歩後ろに下がった。
「王太子妃殿下、あまりに浅慮な発言はおやめくださいませね」
「……っ、アンタの、せいで……!」
「まぁ、この期に及んでわたくしのせいに?」
「アンタ以外のせいだ、っていうの!?」
「はい」
あっけらかんと頷いたナディスに、ロベリアはぎょっと目を丸くする。
ナディスのせいでなければ、一体誰のせいだというのか。ロベリアの頭の中では、『ナディスが全て悪い』という思考回路しかないのだから誰のせいになるのか、と必死に頭をフル回転させるが、どうにも思い当たらない。
「そもそも、王太子妃殿下が王太子殿下を繋ぎとめていないことが、事の発端でございましょう?」
一体何を言っているのだろうか、とロベリアはポカンとする。
「幼い頃、王太子妃候補に選ばれたのは貴女でしょう?」
「そ、うだけど」
「王家が、何故だかわたくしに執着してきたから、嫌々ながらわたくしだって一時的に王太子妃候補となりましたが……」
ふぅ、と溜息を吐いたロベリアは、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「妃殿下の教育の進みが芳しくなかったから、わたくしと比較されただけのこと。そして、わたくしは王太子殿下に執着されたくなかったから、我が国ではなく別の国で婚約者を探しました。……家のため、そして、この国のために!」
大げさなほどの身振り、手振りでナディスはつらつらと事実のみを正確に告げていく。
ロベリアはどうにかして反論したかったが、このティーパーティー会場の雰囲気はすっかりナディスに支配されていた。
「(待って、何、これ)」
今更、ぞっとしたロベリアだがどうすることもできやしない。
国のためを想って他国の王太子妃としての勉強までしていて、学校の成績も優秀。学ぶ姿勢を常に見せ続けて国内・国外の評判も相当高くして来ているナディスにとって、これくらいの情報操作など、造作もなかったのだ。
自信があるから、ナディスもこの喧嘩を思いきり吹っかけた。
ついでに言うならば、てって的にやり込めてからこの国を離れてベリエルとの結婚をしようと、そう思っているからこそ、遠慮なんかするわけがなかった。