喧嘩を売る相手を間違えた、とロベリアは一体いつ気が付くのだろうか。
ツテヴウェは執事の格好のまま、ひそやかにほくそ笑んでいる。
「(ああ、本当に馬鹿なニンゲンだ。我が契約者に喧嘩を売って、生易しい結果など与えられはしないというのに)」
ロベリアは変わらずナディスを睨みつけているが、顔色はとことん悪い。
しかし、負けたくないからと睨みつけることはやめない。だが、そろそろ睨むことをやめないと、もっと悲惨な状況になると、ロベリアは思いもしていないらしい。
「(何言っているのかしら、この状況だって何もかも、ナディスのせいじゃないの! どうしてわたくしがこんな目に!)」
「……さて、まずどうして貴女に責任があるか、ですが……」
ナディスは手にしていた扇を、ぱしん、と軽く打ち付けた。
ぱしん、ぱしん、という小気味よいリズムで続けてナディスは扇を打ち付けながら、一歩、ロベリアとの距離を詰めた。
こつん、とナディスの履いている靴音が、何となく大きく響いたような気がしたロベリアだが、引くわけにはいかない、とぐっと体に力を込める。
「そもそも論、貴女がお馬鹿さんだ、っていうことが問題でしょう?」
「…………は?」
ナディスのあっけらかんとした一言で、ロベリアはぽかんと間抜けな顔になる。
会場の面々もそれは同じなようで、ナディスの爆弾発言におろおろしている令嬢たちもいる中、ナディスは変わらず言葉を続けていく。
「大体、後から始めたわたくしに王太子妃教育が追い抜かれてしまったり」
「う」
「学校の成績だってそもそもわたくしに一度たりとも勝ったことはないですし」
「……ぐ、っ」
「魔法の精度だって、わたくしに一度でも勝ったことはありましたかしら?」
どす、ざく、と容赦のない極太の杭が、次々とロベリアの胸に突き刺さる。
実際に、ロベリアは何の分野でもナディスに勝ったことはない。勉強だって、礼儀作法だって、王太子妃教育そのものだって、何一つ、ロベリアはナディスに勝ったことなんかなかった。
家柄でも負けているのだから、王家は喉が出るほどナディスのことが欲しかったのだ。
前回は、ナディスから望んだ王家との……ミハエルとの婚約だったのだが、今回、ナディスはそれを決して望んでいないどころか、ミハエルのことを嫌いぬいている。
ついでに、ヴェルヴェディア家では『ミハエルからの手紙をナディスに渡すとアレルギーが出そうなほどに嫌がるからやめろ』とまで周知されているほどだというのを、ここにいる人たちは知らないだろう。
「な、ない、けれど」
「あと、わたくしいつも不思議でしたの」
まだあるのか!とロベリアはナディスを改めて睨みつけた。
「わたくし、ミハエル様のこと髪の毛の太さほども好いてなどおりませんが」
「え?」
ざわ、と会場全体がどよめいた。
「あ、あなた、それ、本気?」
「はい」
あっけらかんとまた告げられた爆弾発言なそれを、ロベリアは信じられないと震え始める。
王家に対しての不敬罪!と叫びそうになったのだが、はて、と不思議そうにナディスは首を傾げている。
「何一つ好いてもいない、尊敬もしていない相手のことを、取られて悔しいだとか、王太子妃になれないことを嘆いて他国に嫁入りするだとか言うデマを広げるのに必死だったようですけれど……」
閉じていた扇を、ナディスはぱらりと開き、口元に持っていく。
「わたくしは、望まれて嫁ぎますし……ベリエル様と思い合っておりますので、悪しからず」
しれっと告げられた熱愛宣言。
グロウ王国ではナディスがやってくる日を今か今かと待っているのだし、ナディスだって早くグロウ王国へと向かいたい。
だが、学園を卒業してから結婚する、という約束なのだから守らなければならない。成績なら規定以上のものを結果として残しているので、あとは卒業式を待つばかりなのだ。
「嘘……でしょう?」
「嘘をついてどうなりまして?」
「だ、だって」
「実際、ミハエル殿下のことは一切お慕いしておりませんし、王太子妃にもなりたいとは思っておりませんでした。当家の父と母も同じ考えですし……ねぇ」
はぁ、とわざとらしくも溜息を吐いて、しかし可愛らしく首を傾げて淡々と告げていくナディスを見て、会場の面々は『何だ、そうだったの?』『社交界での噂って、あまり真に受けない方が良かったんですわね』と、ひそひそとした声が聞こえてきてしまう。
ナディスはきっとミハエルのことを好いているからこそ、当てつけのように他国の王族に嫁ぐことを決めたのだ、という根も葉もない噂が一気に広まっていたが、これで沈静化するであろうことは容易に推測できる。
「……っ」
「妃殿下、お黙りになっているだけでは何も変わりませんが」
「でも、っ……でも!」
何かを必死に言おうとしているロベリアをちらりと見て、ナディスは内心でニタリとあくどい笑みを浮かべる。勿論、その気配をしっかり察したツテヴウェは、そっと咳ばらいをしてから気を取り直したようにナディスの耳元に口を近づけた。
「お嬢様」
「なぁに?」
「……そろそろ、お時間です。本日はレヴィド夫人へもご挨拶できましたし……」
「ああ、そうね。ベリエル様のお時間もありますし、帰りましょうか。……妃殿下は、もう何もこちらに対して言うことはないようですし」
「っ、ま、待ちなさい!」
ナディスが帰ろうとしたところで、はっとロベリアがようやく我に返るが遅かった。
手を伸ばしたものの、するりとナディスはそれを避け、ツテヴウェを伴って帰るためにさっさと歩いていく。レヴィド夫人も困ったように溜息を吐いて、ナディスに追いすがろうとしているロベリアの手をぱしりと叩き落した。
「いたっ!」
「妃殿下、あまりにもはしたないです」
「レヴィド夫人、何をしますの!?」
「どうして帰ろうとしているナディス嬢を無理に引き留めようとしているのですか。……しかも、ナディス嬢の悪い噂まで社交界に広めているだなんて……次代の王妃としての自覚がありまして?」
至極まっとうな正論を思いきりぶつけられ、ロベリアはかっと真っ赤になるものの、すたすたと歩いていくナディスにはもう手を伸ばしても届くはずはないことは理解できる。
ここでナディスのプライドをへし折ってやろうとしていたはずなのに、ロベリア自身がまさかターゲットになってしまって、逆にプライドをべっきべきにへし折られてしまうだなんて、本人は何も予想していなかった。
ナディスにとって、ロベリアの相手をすることについては、その辺を飛び回っている虫をはらう、という程度の造作もないもの。
実際、ロベリアがどれだけ噛みついてこようが、牙も歯もない野獣が思いきり噛みついてきているような状態。振り払ってしまえば、簡単にポイ捨てできてしまうのだから、心の底から相手をする意味も、、何もない。
「何で……」
へたり、と座り込んで呆然としているロベリアをちらりと視線をやって確認したナディス。
クス、と心底楽しそうに笑ってからレヴィド夫人のパーティー会場を後にして、ヴェルヴェディア公爵家の家紋の入った馬車に悠然と乗り込んだ。
そして、窓を開けてレヴィド夫人に声をかける。
「レヴィド夫人、今度改めてお伺いしてもよろしいでしょうか? わたくし、夫人ともっと色々なお話をしてみたい、って前々から思っておりましたの」
「勿論ですわ、ナディス嬢。今度はまた別のお茶やお菓子をご用意しておきますから、お時間のある時にゆっくりいらしてね」
「ありがとうございます! グロウ王国に向かう前に是非!」
そう挨拶をして、ナディスは公爵家へと帰っていった。
道中、にんまりと微笑んでいるナディスを見て、ツテヴウェも自然と塩基が零れた。
「うまいことやったな」
「もうちょっとメンタルへし折ってやりたかったけれど……本番は、わたくしとベリエル様の結婚式への招待の後……ね」
そう呟いたナディスは、上機嫌でずっと馬車に揺られていたのであった。