「何ということをしてくれたのですか!!」
びりびりとまるで空気が震えるような王妃の怒鳴り声が響き、ミハエルもロベリアも、ぎょっとする。
「貴女は……くだらない見栄のために、王家の顔に泥を塗ったのですか!」
「そ、そんな、つもりは」
「では一体どんなつもりなのですか!!」
ちょっとナディスにほえ面書かせたかったんです、とは言えないロベリアはぐっと黙り込んだ。
ミハエルはお茶会の一件を知らないために、おろおろとしながらロベリアと王妃を交互に見ているのだが、ロベリアを庇おうにもやったことがあまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、庇うに庇えない。
ナディスには悪いところは一切ないため、ロベリアが勝手にいちゃもんをつけただけなのだ。
しかも、お茶会の席にいた令嬢たちからの冷たい視線を受けてしまって顰蹙を買ったことにすら気付いていないことだけではなく、主催者のレヴィド夫人に恥をかかせていることにも気付いていないらしいから、王妃は深い深い溜息を吐いた。
「……レヴィド夫人にも謝罪のお手紙を書かなければいけないわね……。誰か、わたくし専用のレターセットを準備して頂戴! それから王太子妃、あなたは王太子と共に参加する公務以外、参加しないで!!」
「そんな!」
「当たり前でしょう!? 王家の顔にこれ以上泥を塗って、恥の上塗りまでもするつもりなの!?」
内容が内容だけに、ヒスを起こした!と叫ぶわけにもいかない。
ミハエルはまさかロベリアがこんなことをするわけない、と思っていただけにぽかんとしている。しかし王妃にぎろりと睨まれ、ようやくハッとしてロベリアの腕を掴んでから慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません、母上! 王太子妃にはわたしからしっかりと……」
「そのくらい当たり前です。お前の妻であり、王太子妃であり、次代の王妃なのですからね」
言葉で頬を思いきり殴られたような衝撃を食らい、ロベリアもミハエルもさすがにしょんぼりとするがしっしっと出ていけ、と手で追い払われてしまった。
失礼しました……と二人してしょんぼりと王妃の執務室を後にして、王宮の廊下をとぼとぼと歩いて行った。
「ロベリア……一体何であんなことを……」
「だって……、ナディス様がこちらにいちゃもんを付けてきたんですもの! この王太子妃たるわたくしに!」
「しかし、ナディスの言ったことは真実なのだろう?」
思っていない相手から、特大の杭がナディスの心にぶっ刺さった。
うぐ、と変な声を漏らしてしまったのだが、そんなことよりも未だにミハエルがナディスのことを名前で呼んでいることが気に食わないのだが、どうしてミハエルがお茶会の出来事を知っているというのか。ロベリアは真っ青になって震える声でミハエルへと問いかける。
「あの……どうして、ミハエル様がお茶会の、内容を……?」
「……まさかロベリア、君に王家の『影』がついている、ということに未だに気付いていないのか?」
「か、かげ……?」
ぽかんとしたロベリアに、今度はミハエルがぎょっとする番だった。
ミハエルと婚約する=準王家の人間となる。
王家の仲間入りをする、ということは、所謂『普通の人』と同じ扱いはされないということなのだ。
実際、ナディスは前回幼い頃から王太子妃候補として教育を受けていたのだから、かなり早い時期から王家の『影』はついていた。行動は逐一報告されていたが、うまいこと監視の目をすり抜けてあれやこれや、ミハエルに近付いてくる女子生徒たちに対して報復していたのだが、それはナディスの隠密行動がとてつもなく優れていたということ。
ちなみに、これに関しては王妃からとっても怒られた。あのナディスですら。
しかしナディスはとても頭の回転が速かったことに加えて、口がとってもうまかったこと、更に追加で実家があのヴェルヴェディア公爵家。
「か、影なんて……そんな……」
「王太子妃候補の頃からついているし、一時期はナディスにもついていたのだぞ」
「何故です!?」
「……いや、彼女だって王太子妃候補だった、から」
なお、現在のナディスにはグロウ王国からの『影』がしっかりついている。
ベリエルに色々と報告されているが、ナディスは何を言われても痛くも痒くもない。ツテヴウェのことはまだ報告していないが、ツテヴウェとは念話で会話できるのだから、会話を聞かれようにも聞かれない。
「(じゃあ……あの人、知ってて私に何も言わなかったの!?)」
別に言う必要なんてないのだが、今のロベリアはナディス憎し、という感情が先走っている。
だから、若干の暴走思考気味なのだが、ミハエルはそれをそっと察している。ナディスのことに関してはミハエルも若干暴走している節はあるのだが、一旦離れてしまえばさすがに冷静になるというものだ。
今のロベリアは、王太子妃という役割をこなしてもらわなければいけないのだが、どうにもナディスを前にすると感情が最優先になってしまうらしい。
「……ロベリア、君は、もう少し冷静に行動した方が良いと思う」
「ミハエル様!?」
「実際、ナディスを目の前にすると感情が先走ってしまっているじゃないか。王太子妃としての行動としては軽すぎるぞ」
「そ、それは」
「良い機会だ、少しゆっくりしてはどうだろうか」
ナディスのことについては腹が立つ。
しかし、ナディスが自分の前に無自覚ながらも立ちふさがるということが、腹が立っているというよりは、出来ることならばロベリア自身の前から消えてもらいたいのだ。
放っておいてもナディスは嫁入りしてグロウ王国へと旅立つのだから、いなくなるのは必然であるというのに。
「どうして……皆、あんな女を大切にするのですか!!」
「どうして、って……」
「私が、っ、王太子妃なのに! それなのにどうして……!」
ロベリアが執着しているのは、一体何なのだろうか、とミハエルは考える。
ナディスに執着しなくても、ロベリアはロベリアなのだ。
「王太子妃だからとて、何をしても良いというわけではないだろう?」
「…………っ」
ミハエルの至極まっとうな言葉に、じわりとロベリアの目に涙が浮かんだ。
ロベリアは、ロベリア。
ナディスは、ナディス。
どちらが優れているとかではなく、今、ロベリアが王太子妃としてミハエルと結ばれているのだからこれ以上執着しても何も良いことなんかないはずなのだ。
「それに……ナディスは、ベリエル殿下と結婚して、もうすぐグロウ王国へと向かうだろう?」
「そう……です、わね」
ぐす、と鼻をすすりながらロベリアはミハエルの言葉に頷いた。もういなくなる人間を、どうして気にする必要があるのか、と思えば心がジワリと落ち着いていく。
だがしかし、それを言ったミハエル自身の胸がじくりと痛んだ。
「(そうだ……ナディスが、結婚してしまうんだ……)」
前回の記憶があるわけではない。
だがしかし、何故だかミハエルには『ナディスはミハエルのことを愛していて、自分から離れていくはずなんかない』と強く強く思い込んでいるのだ。
もしかしたら、前回ナディスがミハエルに執着したあまりに、心の奥底ではナディスのことを想っていて、無意識のうちにナディスのことを必要としているもかもしれないが、今回はナディスがミハエルを一切必要としていないどころか、ミハエルへの感情を一切合切なくしてしまっている。
「(嫌だ……)」
諦めろ、と現実を突きつけられていたのだが、どうしても諦めたくないという感情が次第に大きくなってくる。
ロベリアを落ち着かせたのもつかの間、今度はミハエルがナディスへの気持ちを封じ込んだというのに抑えきれない執着心がこみあげてきてしまったのだ。
それを知るのは、ミハエル自身だけだが、ツテヴウェが敏感に察した。
<……姫さん>
「なぁに?」
<面倒くさい男が、また姫さんに懸想し始めた>
「まぁ、何て好都合」
それをツテヴウェから報告されたナディスは、にぃ、と微笑んだ。
「さぁて、王太子妃は可哀想なくらい叱られたようだから……次のターゲットは、アホ男……かしらね」
妖艶な微笑みを浮かべるナディスは、心から楽しそうで。
ツテヴウェは執事の姿から猫の姿に戻って、楽しそうに尻尾をゆらり、と動かしたのだった。