「ナディス、話って何だい?」
「ええと……ですね」
ナディスの専属侍女が手早くお茶の用意をしてくれて、場の空気を察してか、部屋から退出してくれた。
ありがとう、とナディスがお礼を言えば、その侍女はにこりと微笑んでくれる。かつてのナディスであればヒステリー気味に『さっさと出ていきなさいよ! 気が利かない愚図め!』と罵っていたが、そんなことはしないと心に決めている。
だから、使用人たちからの評判はすこぶる良いし、そんな使用人たちはあちこちで『うちのお嬢様マジ天使!』と言いふらしているから、使用人からその主へと話があっという間に広まる。
主、すなわち貴族なのだから、必然的に社交界でもナディスの良い評判は広がっていくのだから、ナディスはほっくほく、というわけだ。
それはさておき。
さて、どこから話したものか、とナディスは考える。
「(いきなり色々をすっ飛ばして物事を一気に話しても、混乱してしまうだけよね……)」
ナディスが考えている姿を見て、ベリエルは微笑ましそうに小さくうんうん、と頷いている。
ああ、どんな表情だとしてもナディスは可愛いなぁ……とほっくほくなのだが、ナディスは一生懸命考えていて、ベリエルの優しい考えには気付いていない。そして、少ししてから、ナディスは意を決して口を開いた。
「あの、ですね」
「うん」
「……ベリエル様、一つお聞きしたいのですが」
「何だい?」
ベリエルの優しい瞳は、ナディスを真っすぐ見ている。茶化している雰囲気は一切ない。
「例えば……のお話、としてまず聞いていただきたいのです」
「?」
はて、とベリエルは首を傾げる。
ナディスは確かに慎重なところが垣間見えるが、ここまで慎重になるほどのことの何があるのだろうか、と少しだけ考えたが思い当たることはない。
「もしも、わたくしが人生をやり直している、と……すれば、ベリエル様は、どうお考えになりますか?」
「人生を?」
「はい」
「……ふむ」
もう自分もナディスも、ほぼ成人しているようなものだから、迂闊なことは言わないはず。
そして、ナディスは嘘でも冗談は言わない。
「そうだね……ナディスがやり直している、と仮定して話をしようか」
「お願いしますわ」
「……まず、一つ」
指を一本立てて、ベリエルは微笑みを浮かべつつゆっくりと言葉を続けていく。
「何か、そうなる原因があったのではないか、と推測する」
「そうなる、原因」
ナディスは、ベリエルの言葉をゆっくりと繰り返す。
「ああ。人生のやり直しなんて、そう簡単には起こり得るはずがない。人外の力でも……ああいや、黒魔術なんかではもしかしたら時を戻すという種類の術があるのかもしれないな」
「……」
「そして、やり直しを願うほどの『何か』が、何なのかを考えよう」
ああ、この人は本当にきっちりと話を聞いてくれているのだ、と思うとナディスの目頭はじわりと熱くなる。
泣いてはいけない、そう己に言い聞かせて、ナディスはベリエルの言葉の続きを待つ。
「ナディスのプライドが高いのは、よーーーーく知っているつもりだ」
「うぐ」
「それと、やると決めたら徹底的にやり返すし、ぼっこぼこにしてしまう、っていうことの片りんもしっかり見ているから」
「(やりすぎた!? わたくし、うっかりやりすぎましたの!?)」
「多分、ナディスの反論とかやり返しっていうのは、あんな程度じゃないんだろうけど」
「(……ばらしたの誰よ!?)」
ナディスの内心は嵐そのもの。
確かに色々とやり返していることに関して、ベリエルの言葉を遮ることは決してしない。
悶々とした感情を抱きつつも、ナディスはベリエルの言葉を静かにしたまま聞いている。この人の言葉なら、という心の内もあるのだが、説明してくれているベリエルの顔がイケメンだから遮りたくない、が一番の理由であるが、これを知っているのはツテヴウェのみである。
「……だが、思うんだ」
「……ベリエル様?」
「余程、悔しかったんじゃないか、って」
ナディスも、ツテヴウェも、双方目を少しだけ大きく見開いた。
「(この、人)」
ナディスの心は知らないままで、ベリエルは微笑みを浮かべたまま言葉を紡いでいく。
「もし仮に、ナディスが二回目の人生をやり直しているならば、それだけ『悔しい何か』があったということ。……もしもそのやり直しをできる存在がいたというのであれば、その何か、に力を借りた……というところかな」
ああ、そうか。
この人は、きちんとナディス自身のことをしっかりと見てくれているのだ、と理解し、気持ちの何かがすとん、と腹の内に落ちたような気がした。
「ベリエル様」
「何だい?」
「もしも、その予想をわたくしが『あたり』だと言ったら……?」
ナディスの言葉に、次はベリエルがきょとんと目を丸くした。
当たっていた、ということは……と、少し考えてお茶を一口飲んだ。
「……つまり?」
「二回目を、行っております」
「人生を、ということか?」
「はい」
躊躇なくナディスは頷いた。
そして、ベッドの上に寝ころんだままだったナディスの愛猫……もとい、ツテヴウェに視線をやった。
「来て頂戴」
それだけ告げれば、ベッドから降りてナディスの足元に歩いてくる。
ナディスがその様子を見て、ベリエルをまっすぐ見てから静かにまた、口を開いた。
「……変化なさい」
<仰せのままに>
「……へぇ」
ナディスは、決してツテヴウェの名前を言わなかった。そうすれば、ツテヴウェの真名が他の人に明かされることとなってしまい、ナディスに対してどんなペナルティがふりかかるのか、分かったものではない。
「……こういうことです」
「なるほどねぇ……」
ベリエルの様子を見ている限り、ナディスに対しての嫌悪は感じられない。
しかし、ナディスは恐怖で内心怯えていた。もしも、拒絶されてしまっては……という恐怖がじわじわと攻めてきているのだ。
「…………」
「(……どうしよう……)」
一体、何を言えば良いのか。ナディスの口の中がじわじわと乾いてきていて、お茶を飲もうとするが手が震えているかもしれない、と思えばティーカップに手を伸ばせない。
「……面白いなぁ、ナディス」
「へ?」
思いがけない言葉に、ナディスはきょとんと眼を丸くしている。
まさかこんな言葉をかけられるとは思っていなかった、ということもあるが、自信はあったものの恐怖が勝っていたのだから。
「いや、まさか人外を従えているだなんて思っていなかった!」
「え、あ、あの」
「ナディス、どうやって契約……ああいや、そういうことを言ってしまうと契約違反になってしまう可能性があるから、迂闊なことは言えないよね」
「は、はい」
「そうか、まさかあの猫が……そうかそうか、言葉通りナディスのボディーガードだった、ということか」
思ったより、というか、想像以上に物分かりが良い。
ついでに理解がとんでもなく早い。
「あの、ベリエル様?」
「ん?」
「どうしてそんなにも……」
「どうして、って」
ベリエルは少しだけ首を傾げて、そして微笑んで手を伸ばし、ナディスの頬にそっと触れて優しく撫でる。
「……あ」
「将来の、俺の伴侶を信じない馬鹿がどこにいる?」
以前のミハエルは信じなかったんですよねー……とナディスは声に出さず、呟いた。頬に感じる温かさは紛れもない本物。
「信じて、くれるの?」
「うん」
「……じゃあ……」
「ん?」
「その、あいつを……グロウ王国に一緒に連れて行っても、良い、かしら」
「そうだね、でも一つだけ確認して良いかな?」
「確認?」
一体何を、とナディスは首を傾げる。
「あいつと、何の関係もない?」
「はい」
<姫さん!?>
「だって、わたくしが目一杯幸せになって、天寿をまっとうしてからお前が行動する、そうでしょう?」
あっけらかんと言うナディスに、ツテヴウェだけでなくベリエルも思わず噴き出した。
「あっはっは!!」
<いやー、さすが姫さん!>
どうやら、ナディスのこのさっぱり感を二人して改めてお気に召したらしい。
しばらく、ナディス以外の二人はけらけらと明るく笑い合っていたのだった。