「はー……笑った」
ひとしきり笑ったベリエルとツテヴウェは、互いににこりと微笑み合う。
悪魔と人、こうして見ていると面白い組み合わせだなぁ、とナディスは何となく納得してしまうが、ツテヴウェの名前をほいほいと教えるわけにはいかない、と察してからベリエルをじぃっと見つめた。
「ベリエル様」
「何だい?」
「ひとまず、この者に関しては猫、ということにしておいてくださいまし」
「分かった」
<いや、うっかりこの前どこぞの夫人のパーティーに参加しただろうが>
「それに関しての対策をこれからしますのよ、このお馬鹿!」
すっと立ち上がったナディスは、割と容赦なくツテヴウェの頭をすこーん!と殴る。
たまたま手にしていたのが、ティーカップのソーサーだったからそれでやったのだが、ベリエルはそっと内心でツテヴウェに『それはさすがに悪魔のお前でも痛いんだろうねぇ……』と呟いた。
<いって!!>
「学習なさいまし、大馬鹿者」
「ナディス、まぁまぁ」
一体これどういう構図なんだよ、とツテヴウェは文句を言いかけるが、頭を摩りながら唇を尖らせた。
<姫さん容赦ねぇんだよ……>
「容赦していては、君のような悪魔に太刀打ちできないと思うんだが」
「まぁ、ベリエル様流石ですわ!!」
ツテヴウェをジト目で睨んでいたナディスは一体どこへやら。
きらきらと目を輝かせ、ベリエルをうっとりした目で見つめてからすぐさまツテヴウェに視線を戻して、大きな溜息を吐いた。
「お前、やっぱり最初の計画通りにあの会場にいた全員に暗示とかかけられないの?」
「ナディス、それは少しだけ危険かもしれない」
「危険……?」
<人格崩壊に繋がりかねないんだよ。姫さんも危ないかも、って言ってたじゃんか>
「それはそうだけど……でも、人格、崩壊って」
そんなにも大きなペナルティがあるのか、とナディスは顔色を悪くする。
しかし少し考えて、当たり前かと納得した。
人の記憶というものは、とても繊細だ。
加えて、何か怪我をしそうになった際には頭を守るのだから、当たり前に大切にしなければいけない場所であるということも理解ができる。
しかし、どうやって誤魔化すべきか、とナディスとツテヴウェが考え込んでいると、はて、と首を傾げたベリエルが困ったように問いかけた。
「ナディス」
「はい」
「王太子妃からの手紙に、こう返すわけにはいかないのか?」
「え?」
<どうやって?>
ツテヴウェも興味があったのか、ナディスのところへとやってきて、不思議そうに首を傾げている。
「自分の家の使用人の雇用状況について、期間限定の使用人だとしても王家に教えなければいけないという法律があるのか、と」
「(ああ)」
<(かしこい)>
王家として、と人のあれこれに首を突っ込んでくるというならば、それを逆手にとってしまえば良い、というのがベリエルの考え。
言われてみれば、どうしてこんな簡単な考えに至らなかったのか……とナディスは思わず頭を抱えてがっくりと項垂れた。
「わたくしともあろうものが……!」
むしろこれまで一人できっちりやってきたのだから、少しは力になれれば、と思ったベリエルだったが、予想以上にベリエルの意見はナディスにクリーンヒットしたらしい。
がっくり項垂れながらも『さすがはベリエル様ですわ! 好き!』と素丸出しのナディスの声に、まんざらではないようにベリエルはにんまりと微笑んだ。
「良かった、気に入っていただけたようで」
「気に入るも何も!! ベストですわベリエル様!!」
<姫さん、素が出てるけど>
「…………あ」
はっと我に返ってナディスはがくがくと震えながらベリエルを見たが、ベリエルはにっこにこと満面の笑顔を浮かべているではないか。
別に気にされていない……?と、恐る恐るナディスは口を開いた。
「ベリエルさま……あああああ、あの」
「なんかもう何もかも可愛いからあ許す」
「あ……ありがとうございます……」
ナディスは真っ赤になりつつも、嬉しいやら恥ずかしいやらで、どうすればいいのか分からなくなったのだが、ベリエルが良いなら良い、と割り切っておいた。
<姫さんの素見てもドン引きしない男なら、確実に幸せになれるな>
「ちょっとお黙り」
「幸せに?」
「……ええ、と」
ナディスがツテヴウェと契約した際、宣言したこと。
絶対に幸せをつかみ取る、ということだが、その幸せ、というのは『ナディスが笑っていられる』ということ。
ミハエルを好きになってしまった一度目は、散々たるものだった。
気持ちを踏みにじられ、ナディスからミハエルへの好意を逆手に取っての数々の暴言や暴挙。
それらをナディスがきちんと把握したのは、死の直前だった。……認めたくなかったのだ。
ナディスは、本当にミハエルを愛していた。
だから、ミハエルのためならば何でも耐えられたし、ミハエルの多すぎるともいえる業務を肩代わりしても文句なんて言わなかった。むしろやりがいを感じていたし、王妃からも『くれぐれもミハエルのことをよろしくね』とお願いされていたからこそ、ミハエルを支えるために全力を尽くした。
全て、無駄になってしまったけれど。
「……前回、わたくしは……ミハエル殿下のことを愛しておりました」
「は?」
ナディスの一言を聞いて、ベリエルの持っていたクッキーは粉々になる。
ぱらぱらと落ちていくクッキーだったものを、ツテヴウェはじーっと視線で追いかけていたが、ナディスはマジ切れ寸前のベリエルに幸か不幸か、全く気付いていない。
「ですが、何もかも、踏みにじられた」
「何もかも、って」
「言葉通りですわ」
困ったように微笑むナディスを見て、ベリエルの怒りは一旦どこかに飛んで行った。
普段の自信満々なナディスとは違い、どこか儚げな雰囲気を持っている。ナディスのこんな表情を引き出したのが、あのミハエルということが気に食わないが、ベリエルは大きく深呼吸をしてから、もう一度ナディスの頬にそっと触れた。
「……裏切られた、と?」
「ええ。……最終的には……処刑されてしまいました。……ふふ、情けないでしょう? 公爵令嬢たるものが、愛なんていう形のないものに必死に縋ろうとした、だなんて」
「……」
それほどまでに愛してしまっていたのだろうな、とベリエルは冷静にナディスの言葉を聞いていた。
あまりにも悲しげに笑うものだから、ベリエルはせめて、いつものように微笑んでいてほしいと。そう願って、するりと指の腹でナディスの頬を撫でていく。
「あ、の?」
「それほどまでに好きだったのに、今は?」
「今……」
もしかして、と一瞬だけ嫌な予感が過ったベリエルだが、ふとナディスの顔を見て、そんな思いはどこかに吹き飛んだ。
「(……ナディス、顔)」
まるでとてつもなく苦手な虫を見たかのような、何とも言えない心底嫌そうな顔を見て、ツテヴウェが『ブハッ!』と思いきりふき出してしまう。
「どうやったらあんなクソ男を好きになれると思いまして?」
「うん、俺が悪かったな」
「構いませんわ、この会話の流れでしたら、わたくしがあのミハエル殿下をまだ好いていると思って当然…………」
「ナディス?」
「とう、ぜん……っ」
当然ですわ、と言いたかったらしいナディスだが、今にも爆発しそうなほどにキレていることは明らか。
何かごめん、と心の中で謝ってから言葉にもきちんと出す。こういうすれ違いだけは残していくと、良いことは全くないから。
「……まぁ、その」
ちらりとナディスがツテヴウェを見て、条件を話してもいいか、と目だけで問いかける。
それくらいならばまぁ良いか、とツテヴウェは判断してから頷いてみせた。
「わたくしがミハエル殿下を好きだった気持ちをまるっといけにえにして、やり直しましたもの。ですから、あのクソ男になびくだなんて、ベリエル様が誰かに殺されでもしない限りはございません」