「ヴェルヴェディア公爵令嬢、ならびにグロウ王国王太子、ベリエル殿下のご入場です!」
良く通る声が、王宮の謁見の間に響いた。
ぎぎぎ、と音がして重たい扉が開かれると、国の重鎮たちが厳しい顔をして勢ぞろいしていた。その中にはナディスの父であるヴェルヴェディア公爵もいるのだが、こちらは一切厳しい顔などしておらず、にこにこと微笑んでいる。
「(……面倒な面子を揃えたものね、あの王太子妃)」
「(ナディス、遠慮しなくていい)」
「(はい、ベリエル様)」
小声でこそりと話してから、ナディスはにこやかな微笑みをたたえ、ゆっくりと一歩を踏み出した。
ベリエルと腕を組み、何事もないかのように悠然と歩いていく彼女たちの様子を見て、訝し気な顔をしている。
「何だあの余裕は……」
「全く、公爵令嬢だからと何とも図々しい……」
「(聞こえてるっての、禿狸)」
ナディスにはツテヴウェからの保護魔法が駆けられている上に、身体強化も施されている。うっかり聴力も強化されているから、ナディスに対しての悪口の数々は嫌でも聞こえてきてしまうのだ。
「ナディス、顔が」
「嫌ですわ、ついうっかり」
ベリエルがこっそり指摘してくれなかったら、とんでもなく悪い目つきのままで国王たちに謁見することになっていただろう。
視線を移せば、国王や王妃は、何となく面倒そうな顔をしている。
はて、一体何が、とナディスがまた視線を移せばニヤついた顔のロベリアとミハエルが視界に入った。ああそうか、今回の呼び出しはそういえばこの二人が原因だったな、と思い出して小さく溜息を吐いてしまう。
どうせくだらないことだ、とわかりきっているが、いらない不安の目は早々に潰しておきたい。
だから、この誘いに乗ったというだけの話。果たしてあの王太子夫妻がそれを理解しているか、と問われれば『否』だろうが。
「国王陛下、王妃殿下におかれましては本日もご機嫌麗しゅう。ナディス・フォン・ヴェルヴェディア、お呼びと伺い馳せ参じました」
「う、うむ」
「……その、どうしてベリエル殿下も?」
「わたしはヴェルヴェディア公爵令嬢の婚約者ですので」
それだけ言って、ベリエルはにこりと微笑む。これ以上面倒な勘繰りしてんじゃねぇぞ、と言わんばかりに圧をかければ国王夫妻がぐっと押し黙ってしまったことを確認できた。
まずこれで、面倒な口を一つ塞げた。
「(……先手は打てたな)」
「(ありがとうございます、ベリエル様)」
二人で微笑み合っていると、この短時間のやりとりすら我慢できなかったのかロベリアががたん!と勢いよく立ち上がって国王夫妻の前に出てきた。
「いい気なものね! 貴女、ご自身がベリエル殿下のことを蔑ろにしている自覚を持っているんでしょうね!?」
「……はて」
ロベリアの言葉のすぐ後、ベリエルが首を傾げた。
「どうして貴殿はわたしの許可もなしに、わたしのことを名前で呼んでいるのか……」
「あ、え、と」
「わたしが名前呼びを許可しているのは、あくまでわたしの身内のみ。そして……」
ベリエルは、ぐっとナディスの肩を抱き寄せて、親権な表情ではっきりと言い切った。
「婚約者にして、未来のグロウ王国王妃たるこのナディスだけだ」
「……っ!」
「ベリエル様……」
どこかホッとしたようにナディスが微笑んだのを見て、ベリエルは改めて微笑んだ。ナディスを安心させるように、うん、と頷いてからロベリアに冷たすぎるほどの視線を向ける。
「さて、一体どのような理由でわたしの名を、わたしの許可なしに呼んだのか」
「そ、それは、あの」
「聞いたところ、貴殿とナディスは友人でもない。せめてナディスの友人なら、百歩譲って名前呼びを許可しなくもない」
「……!?」
「当たり前だろう? 個人的には一切関係がない人から、どうして親し気にされて嬉しいと思えるんだ? ああ、関係はあるか。しかしそれは国家の間での付き合い、というだけ。そうだな、やはり個人間の付き合いなどないな」
畳みかけるように言い切ってから、それで、とベリエルは続ける。
「我が妃に、何の用件だ?」
ぎりり、とロベリアは悔しそうに歯を食いしばるが、彼女を守るようにミハエルが前に出てきた。
「用件ならある! そこのナディスは、王太子殿下という婚約者がいるにも関わらず、他の男に懸想していたのだぞ!?」
何だと! と家臣たちがざわめいている。
しかし、ベリエルは退屈そうに欠伸をしてから『で?』と先を促した。
「で、って……」
「その男の見た目は? 素性は? そこまで断言するのであれば、どんな輩なのか、今すぐここで証言できるだろう?」
「そうですわねぇ……。ああ、もしかしたら先日の茶会でわたくしが連れていた従者のことを言っているのかもしれませんわ、ベリエル様」
「へぇ、すごいな。従者といるだけで浮気扱いをしてくるような国なのか、ここは」
「であれば……わたくし、護衛騎士すら連れて歩けません! どうしましょう、ベリエル様……」
よよよ、と泣くような仕草をしつつ、ついでに畳みかけてやればあっという間に王太子夫妻は真っ青になってしまう。
たかがこの程度のことでナディスを窮地に陥れれると思えるとは、一体どんなおめでたい思考回路なのだろうか、とナディスもベリエルも冷めきった目を二人に向けることしかできない。
「そ、それは、でも」
「従者なのだから、会話もします」
「でも、あんたとあの従者は!」
「親し気だった、と言いたいの? おかしなこと、貴女……従者と普通に対話していたら、それすらも仲良し、と認識するの? それともう一つお聞きしたいのだけれど……」
「何よ!」
「わたくしの従者のお話、結構あちこちで広めてくれていたそうじゃない。わたくしのお友達が教えてくれたのだけれど……」
「あ」
どこまで話を掴んでいるのだろう、そう考えるとロベリアは途端に真っ青になって震えあがってしまう。
そんな程度のメンタルで、果たしてこの先王太子妃としての業務を滞りなく果たせるのだろうか、とナディスは鼻で笑った。
「根も葉もないお話を広げる王太子妃、って……最悪ですわね」
ぴしゃりと言い切ったナディスを、家臣たちはぎょっとしたように見ている。
いくら他国に嫁ぐからといっても、祖国の関係者……それも未来の王妃に対してここまで発言が出来るものなのだろうか、と愕然としている人が多く、おろおろしながら事の行方を見守っている。
……と言えば、聞こえはいいが、単に何も言えなくて困惑しつつ傍観している、というのが本当のところだろう。
「あっはっは、ナディスにベリエル殿下、その辺にしてさしあげては?」
「お父さま」
「公爵」
朗らかに笑いながらやってきたヴェルヴェディア公爵に、周囲はほっとする。ナディスもベリエルも、公爵がやってきたことで一時的に怒りを鎮めてくれているのだから、万々歳、とでも思っているのだろう。
「何も言い返せない人をあまりにも追いつめると、可哀想だろう?」
「へ……?」
可哀想、というその一言で、ロベリアはポカンとした顔になる。
なんとも顔芸に忙しい女だ、とナディスは小さく欠伸をかみ殺した。
「ヴェルヴェディア公爵……そ、それ、って、どういうこと、ですか?」
「何も言い返せず、ただ茫然としているだけの王太子妃殿下があまりに哀れだったもので」
あっけらかんと言い放たれた常葉に、へたりとロベリアは座り込んでしまった。
「ああ、すみません。ですがね、陛下に王妃殿下、さすがにミハエル殿下が可愛いからと甘やかしすぎた結果ではございませんか?」
更に追い打ちをかけてくるガイアスは、相手が国王だろうと王妃だろうと容赦なんかしない。
実際、国王夫妻はとんでもなくミハエルに甘い。それは家臣たちの間でも有名な話なのだ。ロベリアやミハエルの耳に入っていないのは、『何か騒がれると面倒だから放っておこう』と判断されているだけだとも、実際のところは気付いていない。
「……いやはや、当家の娘に喧嘩を売るなど……。相手をお間違えではありませんかな」
ひやりとするような冷たい気配をまとい、ガイアスは続ける。
「ナディスに喧嘩を売る、すなわち、ベリエル殿下……もとい今後はグロウ王国にも喧嘩を売ることと同義。それと、我がヴェルヴェディア公爵家にも併せて喧嘩を売る、ということなのだからね」
その言葉を聞いた家臣たちも、ミハエルもロベリアも、さーっと顔を真っ青にした。
ナディスの父であるガイアスも、婚約者たるベリエルも、三者三葉ではあるが似た者同士だったのだ。