「ふぅスッキリした」
「ナディス、お疲れ様」
「どうなることかと思ったが、ただの子供の癇癪だったな」
はっはっは、と朗らかに笑っている馬車の中の三人。
もとい、ヴェルヴェディア公爵と、ナディス、ベリエルの三人であるが、当たり前のようにしれっとそろってあの場を後にしている。いるだけ時間の無駄だし、いたところで何か変わるわけでもない。
「お父さま、面倒に巻き込んでしまってごめんなさい」
「可愛い娘のためだ、かまわんよ。それに……」
にこ、と微笑んだガイアスはベリエルと視線を合わせ、双方意味ありげな微笑みを浮かべてから言葉を続けていく。
「将来の義息子の力にもなってやりたかったのでな、親心、というやつだ」
「本当にありがとうございます、公爵」
「しかし、王太子妃殿下にも困ったものだ。あのおかしな言い分が通じるのであれば、全ての貴族が国に対して使用人の雇用状況までも逐一報告しなくてはいけなくなってしまう。ある程度は報告もするが、全て……というのは無理があるだろうに」
溜息を零しながら呟くガイアスに、ナディスも困ったように微笑んでいる。そして、ベリエルと視線を合わせて頷き合うと、しれっと言い放った。
「本当ですわよね。もしかしたら……王太子妃殿下は、とっても承認寄宮がお強い人なのかもしれません。でも、まだきっと直すことが出来ると思いますし、お父さまや周りの方々がお支えになって差し上げてね?」
「ナディス……お前は、小さい頃、あんなにも暴君だったというのにこんなに優しくなって!!」
「…………暴君?」
「ベリエル様、お聞き流し下さいまし」
そうだった、とナディスははっとする。
確かにある程度しっかりとベリエルにも情報共有はしたけれど、幼いころのあれこれは話していない。やり直す前までは、ナディスはそれはそれは暴君だったし、父も母も結構手を焼いていたのだから。
「(……やり直して、本当に正解だった、わね)」
二人に知られないように、ナディスはこっそりと安堵の息を零した。
王宮から離れ、見えてくるのは何よりも落ち着ける我が家であり、王都用に構えているとはいえさすがと言えるほどの豪奢な屋敷。一等地にあるそれは、社交界シーズンに滞在するためのものとして建築されたものではあるのだが、ナディスが学校に通うためとして今は使われている。
ガイアスも王宮務めであることから、通勤にもちょうどいいかとしていたが、恐らく本来の使用目的のための屋敷になることだろう。
「さぁ、ナディスはそろそろ準備をしなければいけないだろう?」
「ああ、そうでしたわね」
ガイアスからのその言葉に、ぱっとベリエルの表情が明るくなった。
婚約当初からいえば、表裏のないところを遠慮なく見せてくれるようになったと思うが、ナディスに見せる雰囲気とはまた少し異なっているようだが、ナディスからすればとってもおいしいので、問題はない。
王家の人間ともあれば、素を見せてはならない、と厳しく育てられているかもしれない。
だがせめて、グロウ王国から少し離れているこの国ならば。
もしも影がついていたとしても、妃として迎え入れるためのことだと判断してくれれば……とナディスは願わずにいられない。
ベリエルが、自分よりも年下なのに気を張っているというのは……少しだけ、見ていて辛くもある。
妃となる自分の傍でくらい、気を張り詰めていることをやめてほしい。
「……ナディス」
「はっ!」
ベリエルに名前を呼ばれ、ナディスはハッと我に返った。
馬車もいつの間にか停車しており、自宅に到着していてベリエルもガイアスも先に馬車から降りていたようだ。
そして、ベリエルはナディスが降りてくるかと手を差し出したが、ナディスがぼんやりとしていたために声をかけてくれていた、というところらしい。
「すみません、少しだけぼんやりしておりました!」
慌ててベリエルの手を取って、ナディスは馬車から降りる。
心配しているようなベリエルの視線を受けて、安心してもらえるように、と微笑み返してから並んで歩いていく。二人の姿を見守っている屋敷の使用人たちは、いつまでこの光景が見られるのか、とほんの少しだけ寂しさを覚えた、とは後に聞いた話であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……これで、ひとまずは安心ですかしら」
「そうだね、ナディス」
「は…………」
い、と続けようとしたナディスを、ベリエルがぎゅう、と抱き締める。
「(!?!?!?!?!?)」
ベリエルの腕の中でプチパニックを起こしていたナディスだが、ぎゅう、と強めに抱き締められてしまった。
「あ、ああ、あの」
「お疲れ様、ナディス」
ぽんぽん、と背中を優しく叩かれ、ナディスにだけ聞かせるであろうとても優しい声音で言葉を紡がれれば、いつの間にか力が入っていたらしく、ほ、と緩んだのが分かった。
「……馬鹿の相手は……疲れました」
「うん」
「でも……これで、ようやく、ですわ」
どこか嬉しさを含んでいるナディスの声音に、ベリエルも自然と頬が緩んだ。
「卒業式が終われば、もう……あとはグロウ王国へと向かうだけ」
「荷物を先に転送でもしておけば、式が終了次第ナディスが我が国へ来るだけ、になるよ?」
「ベリエル様、それが良いです」
「なら、さくっと荷物をしてしまおうか」
「はい!」
元々、帰ってきたら荷物を進めようと思っていたのだ。
さっさとやってしまえば、卒業式さえ終わってしまえば愛しい人のいる国へとさっさと行けるのだから善は急げ、とナディスがベリエルの腕から出ようとしたその時。
<姫さん、荷物ってどこまでやればいいの>
「あら、お前手伝ってくれるの?」
<おう。早々に行きたい感めっちゃあるから>
「ナディス、手伝ってもらえば?」
「うーん……」
きっと、普段のナディスならば手伝ってもらう、一択だったかもしれない。
短期間の旅行なんかだと、『ならお願いね』ときっと頼んでいたに違いないのだが、今回は移住のための準備なのだから、何をもっていって何が不要なのかを確認しながら出なければいけない。
もっと正確に言うと、衣類に関しては現在住んでいる国と、グロウ王国では流行がかなり異なっているために、ほいほい何でも持って行っていい、というわけでもないのだ。
「衣類以外なら……手伝ってもらおうかしら」
そう呟いたナディスに、ベリエルも提案主のツテヴウェも、きょとんと眼を丸くしている。
根本的に性別が違えばこうなるんだろうか、とナディスはしみじみ思い、クス、と微笑んでからベリエルの腕に甘えるようにぎゅ、ともう一度抱き着いてから口を開いた。
「女には、色々ありますのよ。男性に分からないような……細かいことが、ね」
ぱちん、と可愛らしくウインクをしてから言えば、何となく察してくれたらしいベリエルはナディスの頭を撫でているし、ツテヴウェはやはり理解できていないのか『何だ?』と首を傾げている。
種族の違いもあるもんなぁ……と思うナディスとベリエルの視線を受けつつ、考えることが面倒になったのか、ツテヴウェはいつものように猫の姿へと変化してから、とてとてと歩いて気に入っているソファーへと向かい、ひょいと飛び乗ってから丸くなった。
「こうしてみると、単なる猫だね」
「そうでしょう? 当家の中ではメイドたちに大人気なんですの」
笑いながら会話をしているナディスとベリエル。
二人の穏やかな声を聞いて、しっかりと見守っていたツテヴウェは猫の姿のままでくあ、と大きく欠伸をした。
勿論、何かあれば思いきり関与するつもりだったが、そうならなかったので『まぁ良いか』と安心し、そろそろナディスの移住のためにこの国とはおさらばか、と考えている。
向こうでも表向きはナディスの愛猫として振舞う準備は出来ているし、問題はないだろう。
きっと、またナディスが大暴れするに違いない。
そう考えれば、自然と楽しくなってこっそりと笑うツテヴウェなのだった。