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第57話 平和なヴェルヴェディア家①


「お嬢様のお荷物は準備できた?」

「こちらはもう少しです!」

「ちょっと、ドレスは入れないで、って言っていたでしょう!」

「でも靴は入れても……」

「お嬢様ご愛用の文具は一式入れましょう!」


<……忙しそうだな>

「そうね」


 のほほんとしているツテヴウェとナディス。

 荷造りをしている侍女たちを眺めながら、ほんの少しの休息を、ナディスは楽しんでいた。


 先日の騒動の後、ベリエルは一足先に帰る、と告げてから転移ゲートを使って帰国。待っているね、と特大の爽やかな微笑みを向けられた上に、頬へと口づけられてしまい、ベリエルがゲートをくぐったことを確認した後、ナディスは言葉通り倒れた。


 勿論、歓喜で。


 大好きな相手からの頬への口づけ、更にはナディス限定で人殺しクラスの破壊力を持った微笑みを送られればナディスはどうしようもない。

 嬉しいやら恥ずかしいやら、いいや、嬉しいが何よりも勝っているから結果オーライであるとはいえ、使用人の前でぶっ倒れてしまうという醜態を晒してしまったために、数時間部屋に引きこもったのだが、これはツテヴウェのみがきちんと把握している。

 なお、ツテヴウェとベリエルはとてつもなく意気投合してしまったために、こっそりとナディスのあれこれについてを共有する、という約束をしている。あくまで『約束』なので、『契約』ではないから、何ら問題はない、とはツテヴウェ談。


「……ふふ、これでこの国を離れてグロウ王国へ行くことが出来るのね」

<姫さん、向こうで王妃になるのか??

「そうね。……ああでも、ベリエル様が何やらしつこい令嬢がいるから、どうしたものかと……愚痴をこぼしていらっしゃったから、ちょっと……」

<ちょっと?>

「……虫退治をしようかな、って思っているくらいかしら」


 何かどこの国でも似たようなことってあるんだな、とツテヴウェは思う。

 更に、結局ナディスのやることってどこの国でも一緒なんじゃ……とまた追加で思ったが、今は口に出さないようにしておいた。


「ねぇ、ツテヴウェ」

<ん?>

「腰にある契約の証なんだけど……」


 ドレス越しに、ナディスは薔薇に触れる。


「契約を結んだ直後は蕾?だったような気がするんだけど、これって変化するものなの?」

<あー……>


 猫の姿でナディスの隣に寝ころんでいたツテヴウェはのそりと起き上がり、前足をナディスの膝にそっと乗せた。


<もしかして、『咲いた』か?>

「……ええ、そうね。小さな薔薇だけど、……というか、元々小さかったものだけど、綺麗に咲いたわね。昨日の入浴のときに見て気付いたんだけど……」

<……>

「ツテヴウェ?」


 ナディスがツテヴウェと視線を合わせようとするが、どことなく視線が合わない。

 一体何を考えているんだろう、と思うが早いか、ナディスはすい、と手を動かしてツテヴウェの猫の顔面を容赦なくわし、と掴んだ。


<んぎゃ!>

「人のお話はきちんとお聞きなさいまし」

<あー……>


 もごもごと何か言いたげなツテヴウェから早々に手を離したナディスだが、普段と少しだけ様子が違っているのでは?と思いなおして、じっと猫のツテヴウェと目を合わせる。


「……で?」

<ん?>

「薔薇が咲くと、何がありますの?」


 腰にある契約者の証が花開いたこと、一体何なのだろうかと考えるナディスをじっと見ていたツテヴウェは、音もなく人の形をとった。

 そして、すっとナディスに対して膝まづいて、恭しく頭を下げた、


「……ツテヴウェ?」

<改めて、ご挨拶申し上げる。我が契約者どの>

「ん……?」

<まさか、こんな短期間で次の段階へ進むとは思っていなかった>

「段階、ですって?」


 聞きなれない単語に、ナディスははて、と首を傾げる。

 ナディス自身は黒魔術に詳しいわけでもなく、悪魔召還がおこなえるわけでもない。召還術は範疇外だし、これから学ぶつもりもない。だがしかし、悪魔との契約において、迂闊なことはしてはならない、と慎重に考えた。

 あの空間で、慎重に考えてから結論を出して、現在に至っているのだが契約に段階があるのは知らなかった。ツテヴウェ自身も恐らくこれは予想外だったのだろう。彼自身も目を丸くしているのだから。


「ねぇツテヴウェ、あなたがさっき言った次の段階ってつまり何なの?」

<ああ、それは言葉通りだ。お前と俺の繋がりがしっかりしたんだ>

「……へ?」


 今までも結構な力を貸してくれていたというのに、これ以上?とナディスが首を傾げていると、ツテヴウェはまたすぐに猫の姿へと変化した。


「あ、ちょっとツテヴウェ」

<……誰か来てる>

「……」


 ああそうか、とナディスはすぐに察した。

 廊下の足音を敏感に察知したツテヴウェは、ばれないようにと猫の姿になったそうなので、ナディスもきちんと合わせるようにツテヴウェを抱き上げて膝の上に乗せた。

 そうしているとすぐ、部屋の扉が数回ノックされる。


「はぁい、どなたかしら」


「ナディス、お母さまよ」


 ノックをした主の声を聞き、ホッとしてナディスは返事をする。と、間もなくターシャが部屋へと入ってきた。


「お母さま、どうなさいまして?」

「明日にはグロウ王国へと旅立つわたくしの可愛い娘と、お茶会をしようと思っているのだけれど……お時間はあるかしら?」

「もちろん。あなたはお膝から降りて、ここでお留守番でしてよ」


「んにゃ」


 はい、とツテヴウェを膝から下ろしてナディスは立ち上がり、いそいそとターシャの元へと向かう。

 そういえば、母とお茶会をするのはいつぶりだろうか、と考えてみればナディスの表情は自然と緩んでしまうが楽しみである。


「ナディスのお気に入りのお菓子を用意したのよ」

「まぁ! お母さまありがとうございます!」

「お茶はいつものハーブティーで良かったかしら?」

「もちろんです!」


 微笑ましい母娘の様子を見ている使用人たちは、皆揃ってほっこりとした表情を浮かべている。

 中には、『お嬢様とのこんなやりとり、もうお気軽には見れなくなってしまいますのね……』と寂しげにしているものまでいるが、ナディスはほんの少しだけ苦笑いをするだけにとどまっていた。

 そうだ、自分は嫁ぐのだからこうして母とお茶会がそう簡単にできなくなってしまうのだ……と、思えば確かにすごく寂しく思えてしまった。


「……そういえば、お母さま」

「なぁに?」

「あの王太子妃のやらかしについて、どのような処分が下るか……確定しまして?」

「ああ……そのことね」


 ふふ、とターシャはとても楽しそうに微笑んだ。

 悪戯っ子のように、こうして母が微笑んでいるということは、恐らくろくでもないことになったのだろう、と簡単に想像できる。とはいえ、あれはロベリアの自業自得。

 どのような罰が下ろうが、それを引き寄せたのはロベリア自身なのだからしっかりと反省はしてもらいたいものだ。


 普段、よく母とお茶をしていた中庭の、ナディスお気に入りの四阿。

 ヴェルヴェディア公爵家の、よく手入れをされている中庭を見るのが、ナディスはとても大好きだった。


「……さて」


 向かい合って腰を下ろし、お茶がセッティングされたところでひと息、となったタイミングでターシャはお茶を一口飲んでから言葉を紡ぎ始めた。


「そうね、簡潔に伝えましょうか」

「はい」


 自然と背筋を伸ばし、ナディスはクッキーを手に取ってかじる、さくり、と軽い歯ごたえとバターの風味が口の中に広がって、ナディスは自然と微笑みを浮かべる。


「ふふ、ナディスったら……。ああ、そうそう。あの王太子妃だけど……」

「あ、はい」

「ひとまずは、一か月の公務禁止、だそうよ」

「まぁ……」


 ナディスが思わず口に手を当てて、更にぽつりと呟いた。


「あら、そんな些細なお仕置きなんですのね……」


 その言葉に、給仕をしていたメイドが一人。思わず動きを止めたのは、きっとメイド長と執事長しか知らない。


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