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第60話 一難去って、また一難


「さて、と」


 ナディスは与えられた部屋をきちんと片づけて、ひと息ついていた。

 そこに、ナディスの影に潜んでいたツテヴウェがぬるりと出てきて、猫の姿でナディスの膝の上にひょいと飛び乗る。


「あら、ツテヴウェ」

<一応、警告>

「……?」

<妙な気配がしている、一応気を付けろ>


 それだけ言って、また猫のようにナディスの膝の上で丸まった。

 一体何がどうなっているんだ、とナディスは問いかけたかったものの、ツテヴウェの言うことは基本的に合っている。本当のピンチに陥ったことはないのだが、反魔法結界のおかげだとは理解している。

 だから、ツテヴウェの言う『気を付けろ』が一体何なのかを早々に確かめたい。


「……」


 さて、どうしようかと考えたナディスはこっそりと魔法を発動させた。


「(……聴力強化)」


 声に出さずに身体強化を、耳に集中する。

 そうすることで廊下から聞こえてくる声、足音ともにしっかりと聞こえるようになったナディスの耳に入ってきたのは、『ああ、いつものことか』と納得できるような言葉の数々。


『どうしてこの国のご令嬢を王太子妃にしなかったのかしら……』

『グロウ王国に他国の血を入れるだなんて』

『この国のご令嬢だって、素晴らしき方はおらっしゃるじゃない!』


「(へぇ)」


 ぴきり、とナディスのこめかみに青筋が浮かんだ。


<おい姫さん>


 ツテヴウェが声をかけるが時すでに遅し。


「売られた喧嘩、買ってやろうじゃないの」


 手にしていた本のページがぐしゃり、と歪んだ。

 ナディスは言うまでもなく激怒しており、廊下を歩いている恐らくメイドであろう人々がこれで救われることはない。


「……さて、と」


 ゆらりと立ち上がったナディスは、そっとドアを開いて廊下の様子をうかがってから足音を消していそいそと歩いていく。向かう先は勿論、ベリエルの部屋。

 いつでもおいで、と言われていたので、しれっとベリエルの部屋に向かって扉をノックすれば、室内からは愛しい人の声が聞こえてくる。


「失礼いたしますわ、ベリエル様」

「ナディス、どうしたんだい? 何か足りないものでも……って、そういえば部屋に使用人を呼ぶベルがあったんじゃないか?」

「ええ、それなんですけど……」


 にこ、と微笑んだナディスに、やけに迫力があったことでベリエルは色々と察した。ああこれはかの国で、ぶち切れたナディスが見せたあの時の表情だ、と素早く理解すれば座っていた椅子から立ち上がる。


「ナディス、何を望む?」

「……少し、『悪戯』をしようかな、って思いまして」

「そうか、承知した。良いよ、君がそこまで言うんだ。……余程腹が立ったんだろうね」


 え、とベリエルの側近が声を上げようとして、どうしたものかとナディスを見た瞬間、あまりの迫力に凍り付いた。


「(……っ)」


「ええ、ベリエル様。……本当に……ありがとうございます」


 微笑んでいるというのに、目の奥は一切笑っていない。

 雰囲気も、先ほど入室してきたときの朗らか、というか柔らかというか、そういった雰囲気は一切ない。それどころか、今見えているのは恐らく『殺気』というもの。


「でもナディス、ほどほどに……ね?」

「心得ております。それでは、ありがとうございます」


 ベリエルから許可をもらったナディスは、足取り軽く自室として与えられた部屋へと戻った。


<お帰り、姫さ……ん、って……>

「ただいまツテヴウェ」

<目ぇ据わってんぞ>

「当たり前じゃない」


 決して許してはやらん、というとんでもない強い意志と殺気と、諸々。


「さぁて……あのメイドどもをちょっとお呼びだてしようかしら」


 あーあ、とツテヴウェが呟こうかどうしようか、というタイミングでナディスが使用人を呼ぶためのベルを、りりん、と鳴らした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ねぇ、新しい王太子妃サマに呼ばれてるわよー?」

「げ、めんど」

「でもいかないとまずいから、行きましょ」


 そう呟いて、メイドたちはめんどくさそうに溜息を吐き出し、ナディスの部屋へと向かう。

 表向きだけはきちんとしていることもあり、他の人がこのメイドたちの心底だるそうにしている様子を伺い知ることはできない。そうしてナディスの部屋に到着したメイドたちは扉をノックしてみた。


 だが、室内からは一向に返事がない。


 三人は各々顔を見合わせて、返事がないことを『入室可能』と勝手に判断してから遠慮なくドアを開いた。


「……まぁ、礼儀も何もないお馬鹿さんが三匹も釣れましたわ」


 扉を開けば、目の前にナディスがいた。

 きゃあ、と悲鳴を上げる暇もなく、ナディスは三人を部屋の中に遠慮なく引き込んだ。


 どさどさどさ、とナディスの部屋になだれ込んできた面々を、ナディスはにっこりと微笑んで見下ろしている。そしてその笑顔にはやはりというか、遠慮なく圧を込めている。


「……さて、と。わたくしの世話係になっているにも関わらず……こんなにも到着が遅いのは何か意図があるの?」

「……っ!」


 ズバリ指摘されれば、メイドたちはぐっと押し黙るが、気丈にもナディスを睨みつつ見上げている。しかし、視線があった三人のうちの一人の前髪を鷲掴みにしてしまった。


「きゃあ!!」

「何してるんですか!?」

「ちょっと!!」


 慌ててメイドたちが起き上がってナディスの腕に掴みかかろうとしたが、ナディスはすい、と手を挙げて指をつつ、と動かせば二人のメイドがふわりと浮き上がってしまったのだ。


「何よこれ!」

「ちょっと、下ろしなさいよ!」


 ぎゃあぎゃあと騒いでいるメイド二人(宙に浮いている)、そして前髪を鷲掴みしているメイドのことは手放さないままにナディスは美しく微笑んで口を開いた。


「ねぇ……誰に向かって口をきいているの?」


「え」

「は?」

「いやあなた、何をそんなに偉そうに……」


 各々反論した、次の瞬間だった。


「――ひっ」


 瞬間的に見せた、ナディスの氷のような無表情。

 一体どうして、とか考える暇もなく、各々浮いているメイドは容赦なく壁へと叩きつけられたのだ。


「あぐ、っ」

「…………、っ、あ!!」


 痛い。

 痛い。


 だが、それを上回っているのは呼吸が止まりそうなほどの衝撃を加えられた背中の状態がどうなっているのだろうか、ということだろう。

 背中だけを打ち付けたなら、まだいいのかもしれない。

 しかし、彼女たちは後頭部も何もかも強かに打ち付けられてしまったものだから、呼吸ができないやら激しい痛みに襲われるやらで、何をどうしていいのか軽く混乱している。


「……な、なにを」


 しているのですか、という言葉は続かなかった。

 ナディスがじっと、彼女のことを見つめており、それ以上言葉を紡ぐことが出来なくなり、はくはくと口を開け閉めすることしかできなくなってしまったのだ。


「ねぇ、お前たちの立場、良く分かっている?」

「……っ」


 ナディスが前髪をわし掴んでいるメイドは、恐怖に染まった目でナディスを見上げている。


「聞いている? あなた、耳が聞こえないの? それとも」


 掴んだ前髪を少しだけ持ち上げ、そのまま床へと思いきり打ち付ける。


「ぎゃっ!!」


 ごしゃ、と鈍い音が響いたが、痛みは一瞬激しいものがやってきただけで、すぐさま消える。


「…………え?」

「まぁ、大馬鹿ともいえるほどの間抜け面」


 くすくすと楽しそうに微笑んでいるナディスを見て、メイドは悟る。

 恐らく敵に回してはいけない人を、敵に回してしまったらしい。そもそも、王太子妃たるナディスを蔑ろにしているのだから、この程度の罰を受けただけで済んでいることをラッキーだと思うしかないことに、気付いてはいないのだ。


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